4つの本棚

 我が家には本棚が三台ある。

 ひとつは小さい本棚である。小さい本棚には古い本が並んでいる。新しい本を入れる余地はない。ぎっちりである。どうして古い本が入っているのかというと、それはわからない。なんとなく古い本を入れた方が良いような、こぢんまりしたたたずまいをしているからだろうか。きっとそうだろうと思う。改めて観察してみると、四段あるうちの上二段は小林先生の小説で埋まっているので、ほぼ祭壇のようでもある。僕は小林先生の本が好きである。サイン本も何冊か持っている。それはちょっとした僕のお宝だけれども、小林先生を好きでも嫌いでもない人にとっては、本棚の上のサイケデリック牛の方が気になるかもしれない。サイケデリック牛は、陶器で作られた牛の置物で、骨格が浮き出ている。骨格の隙間にはリンゴやバナナ、太陽、ハートなどが描かれている。それはまるでメキシコのお祭りみたいだ。死者の日である。カラフルな牛の骸骨だ。この置物は気に入ってる。誕生日プレゼントに貰ったものだ。僕が生まれた日に、死を思わせる置物をプレゼントしたセンスにはいつも脱帽している。メメントモリということである。

 もうひとつは中くらいの本棚である。彼は僕がインターネット市場で購い、また自ら組み立てた本棚だから、少し愛着があるし、機能にも詳しい。機能というのはつまり薄型であること。そして200冊の文庫本が収納できるということである。中くらいの本棚には主にマンガとライトノベルが詰まっている。隙間は少しあるので、あと5冊は入るだろうと思われる。漫画は、よつばとやPEANUTS、それ町などが入っている。ライトノベルは西尾先生専用の一段があり、秋山先生と竹宮先生の棚がある。この中くらいの本棚は、一番読みやすい本を入れることに決めおり、パソコンの横に置いてある。首をぎにゅうと九十度曲げると、もうそこは本棚である。一番目につきやすい本棚なので、いつも入れ替えをしようと思うのだけれど、本棚の入れ替えは知力と体力の限界に挑むスポーツの様相を呈するので、まだ決断できていない。

 さいごは大きい本棚である。この本棚は僕の身長より背が高く、また奥行きも深いので、本棚というよりは単なる棚で、実際に本以外にも雑多なものがぎちぎちに詰まっている。たとえばカエルのぬいぐるみ、近所のレンタルショップが潰れた時にたくさん買った映画のDVD、田舎から持ってきた数枚のCDアルバム、ドライバー、ラジオペンチ、六角レンチ、ベアリングを交換する機械、LANケーブル、書類、写真、カメラなどが置かれている。その他は雑多な本である。本は何も考えずに読んだ端から入れていくし、読んでない本も入っている。漫画も文学もエンタメも新書も入っている。いわゆる無法地帯であり、本棚は人の頭の中を現している、という言葉を物理的に完璧に表現している。思考は、はじめに混沌があり、そこから秩序を見出すことをいう。大きい本棚は、まだ思考として明確な形を得ていない無意識の領域なのである。そういうことにしている。

 さらに最近、新しい本棚を買った。
 この本棚はとても薄い。奥行きは一センチもない。縦の長さは手のひらを広げたくらいで、横の長さは握りこぶしより少し大きいくらいだ。本棚の名前をKindle Paperwhiteという。数千冊の本を格納することができる。本棚としての性能はとてもすぐれている。僕はこの本棚をこれからする予定の引っ越しのために買った。田舎から上京するとき、蔵書の大半を処分しなければならなかったことが、いまだに忘れられないからだ。
 

 

 

お題「我が家の本棚」