最高到達点

 夜のど田舎の森の中の道を自転車を漕いでいた。たぶん月は出ていたから、情景は全然絶望を意味していなかった。冬で、肌がぴりぴりするほど寒かった代わりに、空気は凛と引き締まって適度な距離間でよそよそしく、私はきちんと世界に一人で存在している感じがした/私の肉体と重なって存在するものはひとつとしてなかった。そして心臓が鼓動を続けていて、チェーンはしゃあしゃあ音を立てていた。10年以上前の私はそうしてこれから少し失敗をして心に三日月形の傷を負うのだが、その思い出はやがてファニーな印象を伴ってたびたび思い出されることになった。ことの顛末はいささか青春的過ぎて今の私には上手く共感することができない行動によって破綻するのだけれど、共感できないからといって理解できないわけではなく、むしろ理解することは容易だった。フィクションやノンフィクションを追体験することによって/私のイメージを重ねることによって、なんとなくの現実に非現実を落とし込もうとしていたのだろうし、それはおそらく手近に青春的モデルが存在せず、物語の力を借りて、テンプレートを利用して自分を正当化しようとしていたのかもしれない。どう感じれば良かったのかもわからないし、どう振舞えばいいのかもわからないのだから、それがたとえ全人類的に個別で、分別の不可能な、ユニークで個人的な体験(死とか誕生とかみたいに)であるとしても、私の類型的なわくわくが否定されることはおそらく無いはずで、ようするに私はひどくかわいらしかった。そんなかわいらしい私が、2020年の今、こんな風になっているのだと想像できるはずもなかったし、今、ここにいる私と、メガロパ・ゾエアのように可愛い私との間にとても深い溝があるということを自転車を漕いでいる私は想像できるはずもなかったし、かわいらしい私が想像できるはずもなかった今、ここにいる私のかわいらしさを、私はすこし恥ずかしく思うけれど、かわいらしいままの成体の私は、あの頃と全く変わりようのない最高到達点の一番端っこで今日もはらはらしながら生きています。

 小学生の頃、たしか三年生の頃、家のトイレに行く途中で僕には突然未来がはっきりと視え、細部まで感情までリアルに眼前に現出したので、そのヴィジョンを想起する際いつも必ずトイレを思い出すようになってしまいました。トイレには数冊のマンガ本が置いてあって、ドラえもんとゆんぼくんだったことまで鮮明です。僕は会社員になるのだ。髪型を七三にして、乗りたくもない電車や車に乗り、行きたくもない会社に惰性で向かう、そんな立派な大人になるだろう。僕は平凡な未来を見通し、そんな人生は面白くもなんともないから嫌だなと思い、またそんな人生は穏やかで幸福だろうなとも考えていました。僕は冒険家や科学者になる未来を思い描こうとしたけれど、冒険家や科学者は思い描いた端から融解し、うずまき模様になり、気が付くと会社員になっていました。また僕は勇者や魔法使いになろうともしたけれど融解し会社員になりました。また僕は会社員でいいかと妥協した末、人の形を一切喪失し、暗闇の中に光るふたつの目玉になってしまうこともありました。僕が暗闇の中に光るふたつの目玉で、花を食べて暮らしていたころ、やにわにお腹が痛くなり、嘔吐と下痢を繰り返し、すこしの飲料も身体が受け付けなくなり、たえまない眩暈と熱と腹痛によって瀕死の状態に陥り入院することになった時、僕が想像していたのは質量を持った死でしたが、死は彗星のごとくあらわれ、彗星のごとく消え去りました。お医者さんは棺桶に片足を突っ込んだ僕を見て「これはよくあるやつだから大丈夫だよ」と言いました。僕は自分の痛みとかいうものは、本当の本当に他人にはわからないものなんだなあと思いました。病室のベッドで寝ていると、お母さんがお見舞いに来て「ぼうや、何か欲しいものはあるかい?」と聖母のほほえみをして尋ねてくださいました。暗闇の中に光るふたつの目だった僕はもうぼうやではないにせよ母の温情に涙を禁じえず、頬を濡らしながら「本をください。僕の部屋の本ならなんでもいいのです。ただ一冊の本を僕にお恵み下さい」といいました。母はひとつうなずくと、静かに部屋を出ていきました。母は再び病室を訪れ、僕に一冊の本を手渡しました。母が持ってきた本は、今でも決して忘れません。ロス・マクドナルドの『さむけ』です。僕はタイトルを見て思わず笑ってしまいました。母も笑っていました。僕の瀕死に際して母の見せたユーモアというものは、これは死を笑い飛ばすような強さがありました。僕の痛みとかいうものは、僕にとっては一大事だけれども、僕以外の人にとってはどうでもいいものです。でも『さむけ』は、そのユーモアは、おそらく僕にとっても、また母にとっても、必要なものだったと思います。僕はこの話が好きで、たまに文章にして書きますが、そうして何度も書くことによって新しく見えてくることもあり、また見えなくなることもあるように思います。書くたびに常に最高到達点は更新されていきます。

 様々の過去を書くことは未来を書くことの100倍簡単だった。人間の脳は過去を覚えていられるように出来ているが、未来を覚えているようには出来ていない。未来を書くことには想像力が必要で、想像力は過去によって増幅された。この先の最高到達点は無限個の点の連なりを経て水平線の向こうへ消えてゆくけれど、遠くから続く点を辿って足元まで目をやると、次の一歩はきっと案外他愛ない。明日のことでなくとも、1分先の最高到達点を想像することは案外簡単なのではないかと思いにこにこしていると、書き物机の横に置かれたスマートホンが全く予想外に点灯し、見知らぬ電話番号を表示している。震動している。手に取って電話に出てみるとすごく近くで鳥の鳴く声が聞こえた。すっかりくたびれてしまう鳴き声で、モンゴル・ベッドについて思いを馳せた。すごく疲れている時、草原に置かれた一台のベッドを思い浮かべることがある。床にこしょうがまき散らされたり、ガラスの瓶が割れてしまった時、本棚の後ろに印鑑が転がり落ちた時、鞄の中の財布がなぜかみつからない時、モンゴルベッドは現れた。モンベはおそらく僕の未来ではないし、僕の過去でもない。それは僕には実際にはまったく無関係の想像上の光景だけれど、特別に大事だというわけでもないのに、おそらく僕をいつもわずかに救済していて、そういう想像は誰でも持っているものではないだろうか。後輩のMくんは夜眠る時、いつもおかしの家をぱくぱく食べるところを想像するという。するとぐっすり眠れるのだという。そのお話は僕を幸福にした。Mくんはおかしの家のことを誰にも言ったことがないと言っていたけれど、それはおそらく誰にも言う必要がなかったからだ。たぶん正しい想像力は、他者に肯定してもらう必要も、共感してもらう必要もない。それは自分のためだけにあって、自分だけに効果のある、オーダーメイドの素敵なベッドだった。

 私は今よりももっとへとへとに疲れ切っていた。新しい冷蔵庫、新しい洗濯機、新しいベッド、見たことのない部屋の中で呆然と立ち尽くし、やはりモンゴルベッドを思い浮かべ、何かやらなければならないことがあったように思うも、やらなければならないことなど結局のところひとつもないような気持ちにもなった。食べること、眠ることは旅に含まれていて、人生が旅なら旅は生活そのものだった。ひとりでどこへでも歩いていく自由があり、何人かと暮らす自由があった。知らない場所で打ちひしがれる自由があり、見慣れた場所で腐っていく自由もあった。笑ってもよかった。笑ってもいいのかと納得し、私はひとりでワッハッハと声に出してお腹をぽんぽん叩く所作をした。特筆してすごく大変な事件に巡り合うような人生ではなかったし、かといって何もないわけでもなかった。とにかくなんとなくどこかへ進もうと思っていた。なんだかどんどん変なところへ来たなあと思っているうちにおじさんになって、失敗も成功も、喜びも悲しみもすべてひとつの価値に統合され、思考は止まり、感情は消えた。狭いワンルームの真ん中でからっぽになった私は、隙間を埋めるようにこれから自分はどうなるのだろうと不安になった。これから私は何をして生きていくのだろう? また、何をせずに生きていくのだろう? 私はもはや私自身の人生から興味を失っていた。もう充分生きたなあと思っていたし、10年前もそう思っていたなあと思った。変わっていく心があり、変わらない心があった。そういうもの、諸々をすべて含んでいる今が最高到達点だった。ここがどんな場所にせよ、自分が何者にせよ、いつもずっと常に自分は自分の人生の先端にいた。ここに辿り着いたのだ、と思った。とても人には真似のできないやり方で、どうやら自分は今ここでぼうっとしているらしいぞと思った。走馬灯が駆け巡り、一瞬ふらりとしたかと思うと、意識がはっきりと頭の中に戻ってきて、私は部屋を見渡した。窓の近くの床に置いてあるさぼてんに霧吹きで水をやった。とげのない平べったいさぼてんは万歳をしていた。その時ようやく感情も戻ってきた。私はうれしくなった。さぼてんに水をやることは最高到達点で最高の行動だった。霧吹きを床に置いて机に向かった。私は黙らせようとするのは私だった。今この誰もいない一番先っぽのところで、私は誰にも遠慮も忖度もせずに、ありもしない未来を思い出して書いている。