最高到達点

 夜のど田舎の森の中の道を自転車を漕いでいた。たぶん月は出ていたから、情景は全然絶望を意味していなかった。冬で、肌がぴりぴりするほど寒かった代わりに、空気は凛と引き締まって適度な距離間でよそよそしく、私はきちんと世界に一人で存在している感じがした/私の肉体と重なって存在するものはひとつとしてなかった。そして心臓が鼓動を続けていて、チェーンはしゃあしゃあ音を立てていた。10年以上前の私はそうしてこれから少し失敗をして心に三日月形の傷を負うのだが、その思い出はやがてファニーな印象を伴ってたびたび思い出されることになった。ことの顛末はいささか青春的過ぎて今の私には上手く共感することができない行動によって破綻するのだけれど、共感できないからといって理解できないわけではなく、むしろ理解することは容易だった。フィクションやノンフィクションを追体験することによって/私のイメージを重ねることによって、なんとなくの現実に非現実を落とし込もうとしていたのだろうし、それはおそらく手近に青春的モデルが存在せず、物語の力を借りて、テンプレートを利用して自分を正当化しようとしていたのかもしれない。どう感じれば良かったのかもわからないし、どう振舞えばいいのかもわからないのだから、それがたとえ全人類的に個別で、分別の不可能な、ユニークで個人的な体験(死とか誕生とかみたいに)であるとしても、私の類型的なわくわくが否定されることはおそらく無いはずで、ようするに私はひどくかわいらしかった。そんなかわいらしい私が、2020年の今、こんな風になっているのだと想像できるはずもなかったし、今、ここにいる私と、メガロパ・ゾエアのように可愛い私との間にとても深い溝があるということを自転車を漕いでいる私は想像できるはずもなかったし、かわいらしい私が想像できるはずもなかった今、ここにいる私のかわいらしさを、私はすこし恥ずかしく思うけれど、かわいらしいままの成体の私は、あの頃と全く変わりようのない最高到達点の一番端っこで今日もはらはらしながら生きています。

 小学生の頃、たしか三年生の頃、家のトイレに行く途中で僕には突然未来がはっきりと視え、細部まで感情までリアルに眼前に現出したので、そのヴィジョンを想起する際いつも必ずトイレを思い出すようになってしまいました。トイレには数冊のマンガ本が置いてあって、ドラえもんとゆんぼくんだったことまで鮮明です。僕は会社員になるのだ。髪型を七三にして、乗りたくもない電車や車に乗り、行きたくもない会社に惰性で向かう、そんな立派な大人になるだろう。僕は平凡な未来を見通し、そんな人生は面白くもなんともないから嫌だなと思い、またそんな人生は穏やかで幸福だろうなとも考えていました。僕は冒険家や科学者になる未来を思い描こうとしたけれど、冒険家や科学者は思い描いた端から融解し、うずまき模様になり、気が付くと会社員になっていました。また僕は勇者や魔法使いになろうともしたけれど融解し会社員になりました。また僕は会社員でいいかと妥協した末、人の形を一切喪失し、暗闇の中に光るふたつの目玉になってしまうこともありました。僕が暗闇の中に光るふたつの目玉で、花を食べて暮らしていたころ、やにわにお腹が痛くなり、嘔吐と下痢を繰り返し、すこしの飲料も身体が受け付けなくなり、たえまない眩暈と熱と腹痛によって瀕死の状態に陥り入院することになった時、僕が想像していたのは質量を持った死でしたが、死は彗星のごとくあらわれ、彗星のごとく消え去りました。お医者さんは棺桶に片足を突っ込んだ僕を見て「これはよくあるやつだから大丈夫だよ」と言いました。僕は自分の痛みとかいうものは、本当の本当に他人にはわからないものなんだなあと思いました。病室のベッドで寝ていると、お母さんがお見舞いに来て「ぼうや、何か欲しいものはあるかい?」と聖母のほほえみをして尋ねてくださいました。暗闇の中に光るふたつの目だった僕はもうぼうやではないにせよ母の温情に涙を禁じえず、頬を濡らしながら「本をください。僕の部屋の本ならなんでもいいのです。ただ一冊の本を僕にお恵み下さい」といいました。母はひとつうなずくと、静かに部屋を出ていきました。母は再び病室を訪れ、僕に一冊の本を手渡しました。母が持ってきた本は、今でも決して忘れません。ロス・マクドナルドの『さむけ』です。僕はタイトルを見て思わず笑ってしまいました。母も笑っていました。僕の瀕死に際して母の見せたユーモアというものは、これは死を笑い飛ばすような強さがありました。僕の痛みとかいうものは、僕にとっては一大事だけれども、僕以外の人にとってはどうでもいいものです。でも『さむけ』は、そのユーモアは、おそらく僕にとっても、また母にとっても、必要なものだったと思います。僕はこの話が好きで、たまに文章にして書きますが、そうして何度も書くことによって新しく見えてくることもあり、また見えなくなることもあるように思います。書くたびに常に最高到達点は更新されていきます。

 様々の過去を書くことは未来を書くことの100倍簡単だった。人間の脳は過去を覚えていられるように出来ているが、未来を覚えているようには出来ていない。未来を書くことには想像力が必要で、想像力は過去によって増幅された。この先の最高到達点は無限個の点の連なりを経て水平線の向こうへ消えてゆくけれど、遠くから続く点を辿って足元まで目をやると、次の一歩はきっと案外他愛ない。明日のことでなくとも、1分先の最高到達点を想像することは案外簡単なのではないかと思いにこにこしていると、書き物机の横に置かれたスマートホンが全く予想外に点灯し、見知らぬ電話番号を表示している。震動している。手に取って電話に出てみるとすごく近くで鳥の鳴く声が聞こえた。すっかりくたびれてしまう鳴き声で、モンゴル・ベッドについて思いを馳せた。すごく疲れている時、草原に置かれた一台のベッドを思い浮かべることがある。床にこしょうがまき散らされたり、ガラスの瓶が割れてしまった時、本棚の後ろに印鑑が転がり落ちた時、鞄の中の財布がなぜかみつからない時、モンゴルベッドは現れた。モンベはおそらく僕の未来ではないし、僕の過去でもない。それは僕には実際にはまったく無関係の想像上の光景だけれど、特別に大事だというわけでもないのに、おそらく僕をいつもわずかに救済していて、そういう想像は誰でも持っているものではないだろうか。後輩のMくんは夜眠る時、いつもおかしの家をぱくぱく食べるところを想像するという。するとぐっすり眠れるのだという。そのお話は僕を幸福にした。Mくんはおかしの家のことを誰にも言ったことがないと言っていたけれど、それはおそらく誰にも言う必要がなかったからだ。たぶん正しい想像力は、他者に肯定してもらう必要も、共感してもらう必要もない。それは自分のためだけにあって、自分だけに効果のある、オーダーメイドの素敵なベッドだった。

 私は今よりももっとへとへとに疲れ切っていた。新しい冷蔵庫、新しい洗濯機、新しいベッド、見たことのない部屋の中で呆然と立ち尽くし、やはりモンゴルベッドを思い浮かべ、何かやらなければならないことがあったように思うも、やらなければならないことなど結局のところひとつもないような気持ちにもなった。食べること、眠ることは旅に含まれていて、人生が旅なら旅は生活そのものだった。ひとりでどこへでも歩いていく自由があり、何人かと暮らす自由があった。知らない場所で打ちひしがれる自由があり、見慣れた場所で腐っていく自由もあった。笑ってもよかった。笑ってもいいのかと納得し、私はひとりでワッハッハと声に出してお腹をぽんぽん叩く所作をした。特筆してすごく大変な事件に巡り合うような人生ではなかったし、かといって何もないわけでもなかった。とにかくなんとなくどこかへ進もうと思っていた。なんだかどんどん変なところへ来たなあと思っているうちにおじさんになって、失敗も成功も、喜びも悲しみもすべてひとつの価値に統合され、思考は止まり、感情は消えた。狭いワンルームの真ん中でからっぽになった私は、隙間を埋めるようにこれから自分はどうなるのだろうと不安になった。これから私は何をして生きていくのだろう? また、何をせずに生きていくのだろう? 私はもはや私自身の人生から興味を失っていた。もう充分生きたなあと思っていたし、10年前もそう思っていたなあと思った。変わっていく心があり、変わらない心があった。そういうもの、諸々をすべて含んでいる今が最高到達点だった。ここがどんな場所にせよ、自分が何者にせよ、いつもずっと常に自分は自分の人生の先端にいた。ここに辿り着いたのだ、と思った。とても人には真似のできないやり方で、どうやら自分は今ここでぼうっとしているらしいぞと思った。走馬灯が駆け巡り、一瞬ふらりとしたかと思うと、意識がはっきりと頭の中に戻ってきて、私は部屋を見渡した。窓の近くの床に置いてあるさぼてんに霧吹きで水をやった。とげのない平べったいさぼてんは万歳をしていた。その時ようやく感情も戻ってきた。私はうれしくなった。さぼてんに水をやることは最高到達点で最高の行動だった。霧吹きを床に置いて机に向かった。私は黙らせようとするのは私だった。今この誰もいない一番先っぽのところで、私は誰にも遠慮も忖度もせずに、ありもしない未来を思い出して書いている。

 

前置き

 7月22日でこのブログは1周年を迎える。
 1年は続けるつもりだったので、僕は満足です。
 更新したりしなかったりだったけれど、まあ、がんばったんではないかなと思う。
(実力不足以外には)特に悔いもないので、あとひとつ記事を書いたら、このブログの更新をやめようと思う。
 僕はブログを作ったり辞めたりするのが本当に好きで、おそらく書くことよりも好きなんだと思う。
 はじめることができるということと、やめることができるということが、素晴らしいことだと思いたいんだと思う。
 いつもなら問答無用でブログを削除するのだけれど、そろそろ大人になろうと思い、このブログは野ざらしにしていこうと思う。野となり山となればいいと思う。
 削除しない理由は、このブログの記事が、ひとつ賞をいただいたからである。
 削除してしまうと、はてな編集部さんを嫌な気持ちにさすのではないかと考えたのである。
 以前賞をもらったブログは、言語道断で削除してしまったのだけれど、それはそれとして、ここは残しておくことにする。
 賞云々以外にも理由がある。ここに書いてある変てこな文章が、もしかしたら誰かを楽しませるかもしれないし、誰かが気に入った文章があったかもしれないからである。
 このブログは幕を下ろすのだけれど、もちろん次がまたあるのだと思う。
 なぜなら僕は前述のとおり、やめるのと同じくらいはじめるのが好きだからである。
 もういいよ! とお思いの向きもあるかと思うけれど、お付き合いいただけると幸いである。
 幸いである、などと偉そうなのは、虚勢を張っている風のジョークなのだけれど、本当のことを言えば、僕はひとりひとり、頭を下げて「今度は面白く書きます。見てください。お願いします」と言って回りたい。
 そんなことを言って回ったところで、困らせるだけなので言わないけれど、きっとたぶん、僕はこれから「見てください読んでください。お願いします」という気持ちでやっていくのがよいのだろうなと思っている。
 僕はコンテンツではない。けれど僕の書く文章は、コンテンツなのだろう。僕の書く文章は、僕ではないのだから。その上で僕には、僕の文章を見てほしい人が何人かいて、その人たちに楽しんでほしいと思っていると、気がついたから。
 とりあえず最後の記事を書いてから、次のことを考えようと思います。
 

誕生日にまつわる話

『ロボットくん』

「あんたの誕生日プレゼンツに、あたしあ高価な小銭入れを考えているんだけれどね」
 姉がおっしゃり、僕は考える。
(高価な小銭入れ……!? 高価な小銭入れっていうものはだな、僕に言わしたら、この世で最も「使わなくなる道具」のしとつだぞ! それをこの人あ僕にくれようと言うのだ、エクスペンシブな小銭入れを……)
 僕は足を組み替え、青空を見上げた。青空の代わりにカッフェーの天井のうすよごれた黄色味の強い蛍光灯があったけれど透視して僕は、青空を見上げた。よく考えてみれば、たとえ空が曇っていても、雲の向こうは青空なんだ。だから僕たちのお昼には、頭上には、常に青空があるという計算になる。心の目で見るんだ。
「いらない」
 と僕は言った。首を横に振り、Tシャツのすそをぎゅっと握りしめ、
「僕はもっと意味のないものが欲しいんだ」
 と僕は言った。
「意味のないもの?」
 と姉は眉をしかめた。姉の眉間に深い溝が刻まれた。眼がつり上がる。すさまじい眼力だった。
 小さな虫程度なら、彼女がひとにらみしただけでチリに還るだろう。それほどすさまじい眼力だった。
 虫眼鏡で太陽をのぞいたらいけません。という先生とのお約束を思い出して、姉から目をそらさなければ、僕の眼球もチリに還っていただろう。
「たとえば僕はね、アノマロカリスの化石が欲しいのだ。ルイーダの酒場の仲間がなぜか最初に持っているひのきのぼうや、がらすでできたとんぼや、そういうものが僕の誕生日にはふさわしいのだ。わかるね?」
 姉は、となりにおっちゃんこしていた姉の友人と密談を交わした。
 彼女たちは僕には聞こえない周波数で会話をする。
「わかった」と姉は言う。
「わかった」と姉の友人も言う。
 僕たちは揃ってコーヒーカップを口元に寄せひといきにすべてを飲み干してカツンッとテーブルに戻した。
 揃って三人立ち上がり、会計を済ませて外へ出た。
 喫茶店の外は駅前の通りで、やきとりのいい匂いがしていた。あまいタレの匂いもしていた。
 僕は急にさみしくなった。

 姉の友人はときどきすごくゴーストのように気配を消して、足音もさせず、気が付くと真横におり僕の顔をじっと見ていることがあって、あっ! と思った時にはもう僕に向かって右手を差し出し、手のひらに小さな青いロボットを乗せていた。
 親指くらいのメタリックなロボットで、顔も身体も足も四角くて、目はまん丸で、お腹にスパナがくっついていて、わき腹から銀色のねじまきが飛び出している。姉の友人は僕の顔を真っ向から見据えたまま、ゆっくりとロボのねじを巻き、テーブルの上にそっと乗せた。
 ロボットはギジィィィンジィィィン………………と唸り声をあげながらよたよた歩きだした。
 とても奇妙な歩き方だ。右に左に揺れながら、一歩進むごとにつんのめるようにして止まりながら、地道に少しずつ歩いていく。
 ぜんまいが切れるとロボが止まってしまうので、僕はロボットの頭をつまみあげ、ねじを巻いてテーブルに置く。するとまたギャミジィィジィィジと唸りながら歩きはじめる。
 僕はロボットの頭をつまみあげねじを巻き、手のひらの上を歩かせてみる。そしてロボットの頭をつまみあげねじを巻き、文庫本のはじからはじまで歩けるか挑戦させる。何度ためしてみても、ロボは右か左にかたよって歩き、文庫本からころりと落ちてしまう。
「情けないぞロボットくん! どうしてきみはあちこちふらふらしてしまうのか!」
 僕がしかりつけても、ロボは少しほほえんだような顔をしているだけだったが、ある時急に態度を改め、まっすぐに歩き出した。
 文庫本のはじからはじまで、よたよたよたよた、変てこな声を出しながら歩ききって、最後は派手にヘッドスライディングゴールを決めた。
 僕はほこらしい気持ちでいっぱいになった。
 それみたことか。僕のロボットくんはまっすぐ歩くことだってできるのだ。
 僕のロボットくんは20回は失敗したけど、21回目にきちんとゴールしたのだ。
 僕のロボットくんは、やればできるロボットなのだ!
 姉の友人に「ありがとう」とメッセージを送った。
「かわいいでしょう」と姉の友人から返信がきた。
「かわいいし、なかなかかっこいいところもあるよ」と送った。


鉄板焼き屋さん』

 姉と姉の友人は、ふたりとも七月生まれなので、日頃の感謝を込めて、鉄板焼き屋さんに連れてゆこうと考えた。
 お高い鉄板焼き屋さんで、スペシャルディナーコースがひとり6000円もするので、予約をするときは、僕はノミの心臓なので、どきどきした。バルサンを焚いたら僕はダニと一緒に死ぬだろう。
 馬がいる公園で待ち合わせをしていたら、遠くから姉と姉の友人が現れた。
 これからお高い鉄板焼き屋さんでコース料理を食べるというのに、姉は『キングダム』というマンガの、筋肉ムキムキの山の民が描かれたTシャツに、ステテコを履いて現れた。意味がわからない。野蛮すぎる。
 その反面姉の友人は黒いワンピースのような服を着てシックだったが、ネックレスをよく見てみると、ショートケーキやドーナツやマカロンが連なっていて、一種独特のセンスをかもしだしていた。
「きみたちはもうすこし普通のかっこうをしたらどうかね」と僕は苦言を呈した。
「いやあんたもそれ映像研には手を出すなのTシャツじゃん」と姉は言った。
 普通の服というものがよくわかっていない僕たちは鉄板焼き屋さんに向かった。

 鉄板焼き屋さんは、オレンジ色のムードのある照明がついていた。
 床は濃い色の木材で、真っ赤なソファーが鉄板を囲んでいる。
 カウンターの奥にはきらきらした酒の瓶が並んでいて、白いワイシャツに黒いエプロンをかけたひげの男性が微笑んで会釈をした。
 僕たちはソファーに座り、目の前の鉄板をじっと眺めた。
 それ以外見るものがない。
 ひげの男性が銀色の台を運んできて、僕たちの前に平たい皿を置いた。
 平たい皿にはほんのり色のついたオニオンスープがあった。
 僕たちは何度もスプーンでスープをすくって飲んだ。
 スープをスプーンですくって飲んでいる時、僕は自分が猿になったような気がした。
 不器用に道具を使い、目的を遂行する猿だ。
 ひげの男性は鉄板でジャガイモを焼き始めた。
 僕たちはそれをじっと見ていた。
 焼き上がった芋が皿に盛られた。僕たちはそれを食べた。
「いい芋だネ」
「おいしいネ」
「あたしも好きよ、芋」
 僕たちの言葉は巨大な換気扇に吸い込まれてゆき、沈黙が降り立った。
 ひげの男性が銀色の台に大きなエビを乗せて現れた。
「ししみ氏、あれ、ロブスターじゃない?」
 姉の友人は僕に密談を持ちかけた。
「わからない。でもたしかにロブスターによく似ているエビだ」
 と僕は言った。
 こうばしい磯の香りが漂って、目の前でロブスターに似たエビが焼けていった。
「このエビは」と僕はひげの男性に話しかけた。「ロブスターですか?」
 ひげの男性はエビを焼きながら、
「外国では、こういうのは全部ロブスターって呼ぶんです」と教えてくれた。
 僕は白ワインを飲んでうなずいた。
 でかいエビなんてロブスターでいいじゃないか、ということだ。
 ロブスターが皿に盛られたので食べた。
 次は牛肉とご飯を食べた。
 最後にアイスを食べた。
 僕たちは鉄板焼き屋さんを出た。
 それからコンビニでスーパーカップファミチキを買った。
 僕は家に帰り、アウシュビッツの本を読んだ。
 強制収容所の人々は、腹を空かせて、ひとかけらのパンを大事に隠し持っていた。

 

絶対的おじさん

(7月6日)

 いつか来るものだと思っているもののひとつに死があって、僕は確実にいつか死ぬのだが、いつか死ぬということについては納得したつもりでいたし、海で溺れてしまった時や、車で事故を起こした時に、そして身近な人がたしかにはっきりと死んだ時に、僕は死ぬというものがどういうものか、ありありと想像できるくらいに理解したのだけれど、死ぬのは今ではないと考えており、死のリアリティーは僕が発狂しない程度の距離にあって、それはまだ脅威ではなかった、考える時間を充分に割くだけの価値がある事柄であると思われた死は、いつもある種の覚悟を与えてくれるし、時には癒しにもなり得るのではあるが、僕の考えが及ぶ範囲の、想像上の死は、あるいは行動規範としてのプラクティカルな死は、なんとなく甘やかな幻想だったんじゃないかとも思われ、というのも、死以前に現在生きている僕には無数の障害・問題があり、そういった現実を死で覆い隠すことによって、僕は現実から目を背けていたのではないか、と考えたのは、とナーバスになったのは、明日僕のお誕生日おめでとうますだからで、おめでとうますの前日の今日、いま、ついさっき、存命中のお母さん様からメッセージが来て「自分の人生……悔いのないように……」と、実にすこぶる丁寧な三点リーダつきの雰囲気のあるしおれたメッセージが、やけに人の心をしおしおにさすメッセージが届いたからで、ぼかぁそれを見、そして「うっ暗い!」と思ったのだが、ウックライ状態になりつつもお母さん様のおっしゃる言葉の意味が鋭いレイピアの閃光となりて我が心の臓を貫き通し、そうかぼかぁ自分の人生、悔いのないように生きねばならんかったのだ、すっかり忘れていたけど! と目が覚醒し、覚醒ついでに現実を直視し、そこではたと気が付いたことがひとつある。それは驚くべき事実である。本当にびっくりしたんだ僕は。そして大いに戸惑っている。
 僕は明日、おじさんになるのである。

 僕はきちんと、しっかりと、骨の髄までおじさんになる。死以前におじさんがやってくるということを、僕は全然考えていなかった。若いままだと考えていたわけではないけれど、だからといっておじさんになるのだとも思っていなかった。ある程度の年齢になった時、僕のセルフイメージはたしかにおじさんに近づいていたし、時には冗談のようにおじさんぶることもあった。けれど心の中ではおじさんらしくない自分を、本当におじさんだとは思っていなかったのだと思う。目じりにしわができることがあるなとか、白髪が増えてきたなとか、そういうことは考えるが、だからといって自己像が一瞬でおじさんに変身してしまうことはなかった。そして僕の周りの世間も、僕がおじさんになることを良しとしなかった。僕がおじさんぶることを肯定する人間は、今もほとんどいない。それはおそらく周りの人間が「おじさん」というものを何か忌まわしいことのように考えているからだと思うし、おじさんと呼ぶことを失礼なことだと考えているからだろうと思う。僕はたしかにおじさんになるのだし、まったく見知らぬ他者からすれば、まごうかたなき真のおじさんではあると思うのだが、僕はそれでも、僕よりおじさんがいる会社で、あるいは僕と同じようにおじさんになっていく友人たちのなかで、おじさんらしさを控えながら生きていく。おじさんであることをどこかに秘めながら、僕より若い人と話すときは若い人になり、僕よりおじさんと話すときにはおじさんになり、不可解なバランスを保って生きていく。おじさんか、おじさん以外かは、時と場所によってフレキシブルに変動する。そういう意味では、おじさん性は相対的なものなのかもしれない。けれど僕の主観的価値観は、明日僕がたしかにおじさんになるのだと告げている。むしろ、おじさん性を相対的なものだととらえ続けている限り、僕は本当のおじさんにはなることができないと考えている。誰がなんと言おうと、僕は明日、おじさんになりたいのだ。もし明日おじさんになるチャンスを逃したら、僕はおじさんになれないかもしれない。僕は、僕の中におじさん姓を定着させることができないまま歳をとることに、ある種の不安をいだいている。僕は僕がおじさんであるという自覚を持つべきなのだ。僕の近くで暮らす人々は、僕のおじさん性を永遠に相対化し続けると思う。40歳の人は、僕を若造だと言うだろう。彼が41歳になっても、年齢差は永遠に埋まらないのだから、その人達から観測した僕はいつまでも若造で、アキレスと亀のように、僕は永遠におじさんになり損ねる。そして気が付いた時には、僕はおじさん期を逃し続けたままずっとおじいさんに近づいていて、ある時突然、浦島太郎さんのような気持ちを味わうに違いない。
 僕がおじさんかどうかは、僕以外の誰かの評価をあてにしている限り、揺らぎ続ける。
 僕は自分自身の力でおじさんになることを決め、そしておじさんを実行しなければならない。おじさんになるためには、それ以外の方法がない。

(7月7日)

 僕はおじさんになった。でもおじさんを実行することはとても難しいことに気が付いた。僕はおじさんになったし、自称おじさんの振る舞いをすることもできる。立ち上がる時に「どっこいしょ」と言うとか、隙あらば親父ギャグを放つとか、腹巻をするとか、そういう当たり障りのない小手先のおじさんを披露することは容易だ。しかしそんなことをしても僕はファッションおじさんのままなのだ。僕は僕のおじさん性をまだ心から信じることができていない。おじさんの初心者としてこれからいろいろなことを学んでいかなければならないと思ってはいるけれど、おじさんについて考えているうちに、だんだんおじさんのことがどうでもよくなって来てもいる。僕はたしかに自分でおじさんになることを決め、おじさんになった。まだ下手だけれど、たしかにあるステージに到達した。それはひとまずよいことだった。おじさんになれてよかった。けれど実際におじさんになってみると、おじさんが僕の人生に何か劇的な変化を与えるかというとそんなことはなかった。60歳になっても気持ちは若いまま! などという言葉を見るとなんだか嫌な気持ちになることがある僕としては、これからどんどん枯れていくことを望んではいるけれども、望むと望まざるとにかかわらず、死以前に、おじさん以前に、僕は僕なのだものな。

 

交換

 誕生日を明日に控えており、にわかにナーバスになっているメンタルは膝の上で激しく震動しているモルモットに似ており、それはたしか上野動物園の「ふれあい広場」様の施設の、ケージの中に隙間なくもっちりとうごめく毛玉モザイク中の一匹で、モルモットの良し悪しと言えば聞こえが良くないので、モルの機嫌と申しましょうか、体調と申しましょうか、すなわち外見から内面を直視する技を持ち合わせていなかった自分が無作為に選んでしまったその者の、そっと持ち上げた瞬間から即座に手のひらを伝わる機械的な、おそらく彼の意思とは無関係な、一種異様な興奮です。目玉をぎょろぎょろとさせ白目をむき出しにし、鼻息もごうごうと荒く、身をこわばらせて膝の上で震える小動物の彼を、僕は恐怖しました。明らかに様子がおかしいし、他のモルモット達とは違う反応をしめしているけれど、それがモルモットにとってどのような状態であるかということが分からず、ただぬくもりと手触りだけはやわらかそうな見た目のままで、何かの病か、あるいは何が原因か知らぬが極度に緊張しているのか、はたまたその日の機嫌が良くなかっただけなのか、そういう想像をこねくりまわしたあげく、隣でおとなしそうなモルモットをそっと撫でていたモル識者のM子さんに「なんだかこの人は様子がおかしいみたいなんだけど」と尋ねると、彼女は口元に微笑を浮かべたままで、壊れものをそっとテーブルに置くような口調で「他のと代えたら?」と言った。壊れているのよ。他のと代えたら?
 あの時僕は、一体何を聞かれたんだろう。
 震動する心を持て余しながら、また一年、生き延びている。