シーソー

 天使or悪魔のバランスを欠いている時には、はっきりと墜落している感覚が架空性足の裏に伝わっており、おそらく傾きが零 -ZERO-の地面に対して視線は仰角45度でロックされていたので、視野狭窄を起こしているのは瞳ではなく、瞳を司る意思の方、つまりいわゆる精神が認識しているのはクローズアップされた針の穴サイズの小さなフレームに区切られたわずかな青い空だけである。
 本来ならばヒトの顔の前面についている二つの瞳の視野は180度から200度とされており、対面に何者か(おそらく天使or悪魔)の姿を認めることが容易なシーソー上で、しかし予想はことごとく自らの希望的観測を裏切り続けていた。
 青い空は前述の通り4ピクセル程度の大きさの青い点であるとしか認識することができず、ものすごく長大な望遠レンズの先でちらちらと星に似て輝いていたから、そもそもそれは例えば奇抜なブルーのTシャツを着た天使or悪魔である可能性はこれっぽっちも零 -ZERO-ではなく、青空とTシャツの判別もつかないことが、言うまでもこの場合は真だった。
 ここで墜落した事実に立ち返り、足の裏の触知を唯一の根拠として姿勢制御を試みることは生まれたばかりの子鹿と同様に本能的で、地に足が着いた、というレトリックがようやく字義通りの意味を伴って肉体に浸透する。泥濘であれ地雷原であれ地に足が着いている状態は少なくとも浮遊や漂流よりも安定していることに気がつく。
 脚を軸に据え仰角45度ロックの望遠レンズを力技(散歩、ネットカフェ、JazzBar等)で彷徨わせることで視界を覆っていた暗黒ブラックシャドウがスクラッチくじのように4ピクセルずつ削れるようになっていた。ダークマター(暗黒ブラックシャドウ)の残量が50%を割った時点で一斉に黒面が霧散し青空をバックにして仰角45度のシーソーの対面に座っているもうひとりの小さな自分(天使or悪魔)の姿を認めた時、本当に今更ながら自分がどんな格好でシーソーに座りながら墜落していたのか理解することが出来る。
 世の中のどんな物事にもバランスが関係していた。意図的に偏らせることで意識的に視野狭窄を起こし、その結果、時間・体力・気力・資金などのあらゆるリソースを効率良く使うことが出来るようになると考えていたけれど、誰かの正義が誰かの悪に成り得るように、どちらかに傾くとシーソーには必ず悪魔と悪魔が出現するようになっており景色が4ピクセルの広さになる。バランスを保って地面と板が平行を成す、ごく僅かな瞬間だけ天使と天使が現れる仕組みである、と考えた。
 何年か前に買っていつの間にか使わなくなっていたイヤホンを宝箱から引っ張り出して聞いたことの無い音楽を聞きながら本も読まずに電車に揺られて窓の外の連続したトンネル灯をぼうっと見ながら帰宅している時ふと、家に帰るのってこんなに楽しみだったっけ、って。360度まるごと全部、外の世界だと気がつく。

 

一日


 給料日を過ぎていた。
 軽い気持ちで銀行に向かいATMを操作して時間と体力と気力とを引き換えに手に入れた小銭を機械にお願いして財布にしまいながら、財布Bと財布Cに振り分けるべき金額を計算して昼飯には何を食べようか一生懸命考えなければ食べたい物も特に思いつかないくらいには飽食の時代に生きていて今日は、ご飯を食べるのはやめようと思う。財布にお札がたくさん入っていると誰かに褒められたような錯覚を感じて、よく考えると僕には今本当に欲しい物が別に無かったから、欲しい物が別になくても全然大丈夫そうな馬に会いに行くことにしてしまう。

 昨年ぶりに出会った朝の馬は、柵の太い木の棒の狭間から馬顔をひょっこり出し、昨年と同じように薄紫色の長い舌をベロベロと振り回していて正体がよくわからなかった。公園は井戸の底みたいに冷えていて空は青く晴れていた。作業服を来た飼育員のお兄さんがバケツに干し草を詰めてあちこち移動していて、インコの檻の向こうではテニスプレイヤー達がゆっくりと球を打ち返しながら切り忘れたマイクの向こうから聞こえてくる放送委員の雑談みたいに遠い音で何か話していた。
 馬に触れようとすると馬は首を引っ込める。馬は顔を触られるのがおそらく好きではなく嫌いなのだけれど、柵の隙間に握りこぶしを差し込んで(パーにすると、動物はつい噛みたくなってしまうのだと昔、マンガ本で学んだので)、馬が寄ってくるのを待っていると「仕方ないなあ」という顔で馬が寄ってきて握りこぶしを自らの鼻穴にそっとあてがって鼻をぶるぶる震わせている。もちろん手には鼻水がついて、馬の鼻息が吹くたびに鼻水が冷たい。徐々に手を開いて長い鼻を指先でそっと撫でると、最初は我慢していた馬もやはり嫌だったみたいで首を引っ込めてそっぽを向いた。父親と四歳くらいの女児が「馬だ」「馬」と呟きながら背後を通過する時、僕もすっかり動物の一員になったような気がした。馬を触ろうとする動物である。少しだけれど馬には触れたし、今年の挨拶も済んだから蛇口から出てくる冷水で手を洗っていると唇がピンク色のヤギが子供動物園の入口からこちらをじっと観察している。

 電車を乗り継いで永田町に向かうと、整然とした町並みが都会だった。国会議事堂の前には警官隊が4,5人ぼうっと立っていて、多くが老人だった。テレビを見ても老人ばかりで、アイドルないしミュージシャン達だけがとても若い。10年後にはもっと老人だらけになるのだろう。なんて腰の痛い社会だろうか。どんどん分別くさくなる。電車の床に座り込む若者が駆逐され、暴力が駆逐され、煙草が駆逐され、あらゆるリテラシーが強化され、マナーを守ってお年寄りに優しくしましょう。日本にはロボットが本当に必要になるのかもしれない。名探偵おじいさん。怪盗おばあさん。少年漫画の時代が終わって老人漫画の時代が来て、保養施設の僕たちはテレビに向かってみんなでコントローラーを握ってマリオカートとかやっている。
 東京高等裁判所の前には何故かカメラマンが二人、座り込んでいた。テレビ局の腕章をつけて何かを待っている。その奥、正面入口の前には更に人だかりが出来ていて、今にも「勝訴」と書いた紙を持った誰かが現れるのではないかと思ったけれど、野次馬をする元気も無かったのでささっと中に入ろうとすると行列が出来ている。保安検査場から伸びる列に混ざって意識をVoidだかNullだかにさせてぼうふらしていると背後の識者が「どうやら生活保護関係の何かであれらしい」と彼の知人に向かって提供していた。携帯電話を使用してニュースサイトにアクセスして風の噂の確度を高めようと画策したけれどネットニュースからは根拠が得られず、その代わりに芸能ニュース、政治、経済、そういうニュースに自分はあまり興味が持てないんだということをやっと理解した。保安検査場を無事に通り抜けた後は裁判の予定表(タッチパネル)をめくりエレベーターで5階に移動して待合室でひとりだった。法廷の奥の待合室は、本当にとてもとてもとても静かで世界の終わりみたいだ。それは本当に待合室だった。
 開廷時間の5分前に法廷に入り傍聴席でメモ帳にメモを取りながら、僕は人間のことがもっと知りたかった。もっと人の事を赦したかった、傲慢にも。もっと僕のことを許したかった、楽だから。法廷を出て地下の食堂で550円のカツカレーを食べる。病院の食堂、あるいは図書館の食堂、スキー場のヒュッテの食堂などの施設には必ずカレーがあるけれど、あれは一体何故なのだろう、大体同じ味がするあの甘いカレーが好きだし、食べてしまう。今日は食べないと考えたはずなのに、カツカレーは泣きながら食べた方が美味しいと思った。泣く必要が特に無かったので涙は出なかったけれど、人生には色々なことが起きるもので、そのことは日常の中で忘れてしまう、愚かにも。あるいは賢明にも。

 ご飯を食べた後前科12犯の老人を見た。ここでも老人だ。そして僕は、おそらく他人をコンテンツとして見ているな、とその時悟った。「僕はエンタメではない」と思っているけれど「他人はコンテンツ」として見てしまう。その視点を回避するためには他人が「私はエンタメではない」と表明する必要がある。もしその意思を表明しないうちに僕が他人をエンタメだと思わないようにするなら僕はただの狂人である。僕は僕がエンタメではないと思っているし、それをブログの中で表明したけれど、僕は他者が僕のことをエンタメとして見ないようになるとは思っていない。僕はエンタメではない、かもしれないけれど、僕は他者から見れば何らかのコンテンツなのだ。面白なのか悲しいなのか、どう見られているのかはわからないけれどそれは見てもいいものとしてコンテンツだった。ということがただ分かった。
 おじいさんには執行猶予がついた。執行猶予の期間内犯罪を犯さなければ懲役は無くなる。人生に期限がついていることは行動を明確化するかもしれないと考えた。このブログは一年続けることにしていたから、一年でぴったりやめようと思った。執行猶予だ。悪いことは何もしていないんだけれど、基本的に僕は僕のことが許せない。だから悔い改めてほしい。ただちに判決を言い渡します。被告は塵芥じみた文章を書き散らかし、自らのソウルジェムを濁らせた罪によって、罪ではないんですけれども、幸福に過ごすことを命じます。

 裁判所を出ると人だかりは露と消え、空は紫色になっていた。永田町から神保町まで皇居の周囲をたどって歩く。皇居ランナーがたくさん走っていた。路肩の草むらでは鳩と雀が寄り集まって地面をつついている。そういえば馬も枯れ葉をばりばり食べていた。僕も動物だったらよかった。つくしんぼうやふきのとうなどを片端からもぎとって食べられたらワイルドだし、花の蜜を吸ってもワイルドだ。昔は山に生えていたアケビの木に猿のようにのぼって実をとって食べたり、木苺のつぶつぶを食べたりしたものだけれど今はもう恐ろしくてできない。でもタラの芽を天ぷらにするととても美味しい。
 靖国神社の境内にはかなり大きな石灯籠のようなものがあって、鳥居も巨人のサイズだった。参道を歩いて街に出ると空気がもう親しげになる。本屋がたくさんあるのを目にするだけで心があたたまる。あたたまるついでにロイヤルミルクティーをしようと思いドトールをたずねる。ドトールロイヤルミルクティーは素晴らしく美味しい。色々な場所で飲んだロイヤルミルクティーだけれどどう考えてもドトールのものが美味である。Lサイズを持って席に座りサン=テグジュペリの人間の大地の続きを読んだ。この本は昨年から読み続けているけれどまだ終わらない。2時間で読み終わる本もあれば三ヶ月かかる本もある。人間の大地はあと2日くらいで読み終わりそうだった。良い本だ。とても良い本。特にギヨメについて語るシーンは冒険小説のようでわくわくしてくる。詩的な表現もサンテクスらしくてうれしく、夢見がちで星空のようだ。名言も多い。1939年に初版が発行されているから、約80年前の本だ。飛行機を操縦して窓から地球を見たらどんなに素晴らしいだろうか。生まれ変わるとしたら渡り鳥がいいかもしれない。白鳥になったら川底に頭を突っ込んでワイルドだ。水鳥が水中深くに顔を入れるとお尻だけ水面から飛び出して変なポーズになることがあるけれど、あれは花の蕾みたいで愛らしく、また滑稽でもあり、子供の心が踊ります。

 紅茶を飲んで帰宅してから怖い映画をひとつ見た。アンソロジーになっていて、明確なオチのない話もたくさんあった。怖い映画なので幽霊みたいな人がまあまあ出てくるのだけれど、幽霊については不思議な点がものすごくたくさんある。まず幽霊はなぜ女性が多いのだろうか。少女だったり大人の女性だったりするけれど、大抵青白くて髪が長くて痩せている女性が多い。白いワンピースみたいな服を着ていたら満点だけれど、だいたい毎回そういう格好をしている。力士の幽霊はいないのだろうか? 動物霊は、犬や猫なら案外あるのかもしれないけれど、ゾウやキリンだって幽霊になってもおかしくはないはずだ。幽霊は服を着ているけれど、ではその服も幽霊なのだろうか? だとしたら壊れたパソコンの幽霊などもあるのだろうか。眼鏡の幽霊に取り憑かれたら、眼鏡をかけていないのに眼鏡をかけているように見えるのだろうか。無生物が幽霊になるなら、概念はどうだろう。成長の幽霊とか面白いのではないだろうか。成長したつもりになるけど、本当は成長してなくて幽霊だったのだ、ということ。すごくとても怖いと思う。色々考えてしまう。

 映画を見終えてパソコンの前に座り、今日はいくら使ったのか気になって財布Aを見てみたら、1000円しか使っていなかった。ロイヤルミルクティー代とカツカレー代だった。ここだけの話なんだけれど僕は自分が天才なのではないかと思った。だいの大人が一日遊ぶのに1000円しかかからないというのはすごいことなんじゃないか。たったの1000円でこれだけ多彩な遊びができる大人はそういまいて。やったー! と思った。
 良い気分になったのでyoutube音楽を聞いた。詳細は分からないけれど一瞬でこの人はすごいなあと触知した。すごいパワーがある。僕は何も知らないんだなあ。うううん、何でも知らないのではなく、知らないことだけ知らないんだ。

 

はたちの雑談

今週のお題「二十歳」

 

ハローハローこんにちはこんばんはおはようございま~す、おはようございま~す、私しみです、私清水ございます、、しみしみしみしみ
染み込ん。

今日は楽しく雑談をしますね、雪山とは、楽しいものなのだ、と僕はわかったのだな。だから今日はいつものように音声入力間睡眠を使って今リビングで喋りまくっているのだ。12時になろうとしている。お昼である。天気は曇り。洗濯機は雨なり、とり若なり、健やかなる。
楽しいなぁ。楽しいね

はてなブログ今週のお題が20歳なので、20歳なので、20歳のことを喋ろうかなと思っています。20歳の頃は何をしていたかな、本当のことを言おうと思う本当のことをね。真実はいつも1つ。コナンくんは1人。名探偵は僕。
20歳と言えばタバコが据えるようになる歳ですね、またお酒が自由に飲めるようになる歳ですね、そーゆー歳つまり大人になると言うことの責任感や達成感や、そういうものとは関係がなく、カナリアはかなりかわいい。鳥は空を飛べるはず。何歳になっても君の心は羽ばたいて行ける。羽ばたいて行けると、僕は熱弁したい。今まさに熱弁しているのだ、そう。体温は平熱です。
つまり年齢的な制限と言うのは気にするときには気にするし気にしないときには気にしないけれど年齢によって得られる権利みたいなものは結局のところ20歳に手に入れるものが最大値であり後は年齢を重ねるに従ってどんどん損われていくもののことの方が多いように思われるので、結局のところ、20歳と言う年齢にもあんまり気にしなくていいような感じが僕は勝手にしています。豆大福をだから食べてもいいんですよ???豆大福をね。ハーレーダビッドソンに乗って。たらふく、いつでも、しこたま、権利を常に意識していなければいけないと言うわけでもないだろうし。でも楽しいですよね20歳は、それが人生で1番幸福な時期であったなどと誰にも言わせない、と言う良い言葉もどなたかがおっしゃっていたように思いますけれども、だからあんまり気にしすぎなくてもいいのかなって思いますけど、今日はすごくよくしゃべることができるなぁって言うふうに思いましたわかめ。どんぐり。小さい焼き丼。

しかしやはり20歳と言うのは権利が1番いろいろできるようになる時期なのでその上相撲も体力もすごくパワーがあるのでいいですねそういうときにやりたいことを何でもやってしまうの差みたいな感じではずかしいと自覚しつつも恥ずかしい青春を送る事は案外いいことなんじゃないかなぁと僕は思いますなんだかすごく真面目なことを言っていてあんまり楽しい感じがしないので何をしていたのか自分の20歳の頃は思い返してみると、友達が作ったガンダムのプラモデルをロケット花火をつけて海水浴場に持っていって真夜中爆発すると言う遊びをしていましたよ。それは全然権利とは関係ないですけどね。権利と全然関係ないんかいスタミナ源たれソフト回、Javaボック20歳以上、人身御供波動軒、ミネソタの母みりんばっかり買う、コーヒー飲みながら街をついばむ、穴あきだらけのクイズ問題、素人目にも唇で切れるに行く、下の上でとろける芳醇なスラングバックパックの中には東海道五十三次スカンジナビア大江戸グルメ紀行、戦場駅付近盗賊出没中につきクッキー5枚ハンター1本とんでもないアルバムの右上の九段下のモヒカン通行手形は君の愛と夢と希望と、それから月に行きたいって言う石田波動軒。

ピチピチの子、マグロみたいな子、20歳になるといいんじゃないですかね、マグロは泳いでいないと息が詰まってコロリと死んでしまうので、いろんな場所に行ってみようとか、いろんなことをやってみようとか、あると思うし、なかったらなかったでピチピチのヤドカリみたいになってもいいと思うし、考えれば考えるほど言いたいこと、教えてあげたい事と言うのは僕にはあんまりなかったよ。自分で見つけるのが楽しいのかもしれないね。
そういうふうになんだか20歳を過去のものとして捉えているのはそもそも僕自身面白くないなぁと思ったんだよねー、おはようございまーす、なので、これから僕が20歳になるとしたら、20歳になって何がやりたいかを考えよう。何回死んでもこれは変わらないよ

20歳になったら僕は、アジアを旅行したいと思う沢木幸太郎さんみたいに、いろいろな場所をとにかくめちゃくちゃに旅行して、良いこととか悪いこととか何でも集めて頭の中にしまっておく。と言うことがやりたい。その事は損得じゃなくて、ただの願望だ。でもただの願望で良いだと思うんじゃ。さて洗濯機が静かになったぞ。私は洗濯を干すことと使用可能。それは私の培ってきた選択術者。おやすみなさい見果てぬ夢をご覧なさい。ぬいぐるみをなでなさい。また明日、明日はもっと良い1日になるよ

 

はたちの文

今週のお題「二十歳」

 

 はたちのころは、よくお酒を飲んでいた。
 サントリーのREDや、ビーフィーターを、ガラスのコップに入れてぐいぐい飲んだ。
 ジンはロックで飲むと夏にぴったりで、きりりとする。青い果物に渋くて、乾いた味がする。
 お酒を飲みながら当時流行っていたSNSに日記を書くのが趣味で、よく考えてみると、僕の生活様式は、はたちからほとんど全く変化がない。
 ニコニコ動画を見て、映画を見てゲームをして、文章を書いて、時々どこかをさまよって、ごく稀に友人と会って話して、眠れぬ夜を過ごす。(最近は割とぐうぐう寝る)
 その繰り返しの中に明暗があり、上下があり、フラットな瞬間がある。
 分かりきったサイクルへの愛憎は、これは誰でもだと思うけれども、いかがだろう。
 変えたいと思えば「習慣の奴隷だ」と言って脱出を試みればよいし、まだ変えたくないと思えば「石の上にも3年」と言ってスパイラルを徐々に登ればよいと思う。
 意思があればどちらでもよい。
 人生の選択に間違いはない。
 間違いとは、選択をしないことである。

 名言ぽいことをびしりと書いて純朴に微笑んでいるところです。
 蛇足を接着するなら、仕事でもなんでも、失敗は成功の母と言って、たくさん失敗をすると、そのぶん次の行動の成功率が上がるような感じがするので、たくさん挑戦し、たくさん失敗し、ちくしょうめと思えばいいと思う。
 こんちくしょうめ、次は成功させてやるぞうと思えばいいと思う。
 僕はぼうっとした性格をしていて、そのことを自覚しているからこそ、仕事中はかりかりに緊張をして速を上げようとするので、失敗がわりに多い。だから特にそう考えるのだけれど、あまり失敗しない人を観察してみると、そもそも仕事をしていないことがあって「仕事してないから失敗しないんだ!」と、大変な事実に気がついたことがある。バッターボックスに立たなければ、三振はしない。その代わりにヒットも打たない。

 仕事をばりばりこなしていて、しかも失敗しない人もいるけれど、そういう人達はなんらかの天才であることが多いので、あまり参考にならないので、気にしなくてよいと思う。
 魚は水の中で呼吸ができる。ゴリラは握力が400キロある。天才は失敗しない。
 僕は魚でもゴリラでも天才でもない。
(頭がすこしゴリラかもしれない)
 天才ではなく凡才ですらなく駄才です。
 愛読書は『きりぎりす』『もの思う葦』です。
 僕はかの道化の華の人間っぷりがとても好きなのです。

 はたちの頃は、ふとしたタイミングで、とてつもなく心が重くなり、未来が真っ暗に思えた。
 これから先、なんにも良いこともなく、あらゆる人間にうしろ指を刺されながら、あいつは本当にただのくずだったなあと言われ、病気になって、ひとりさびしく苦しんで、親が泣き、ただのたうちまわって死ぬのだ、と本気で恐ろしくなり、夜も眠れなくなった。
 いつまで経っても変わらない自分に嫌気が差していた。
 しかし、程度の差はあれど、だいたいみんな同じようなことを考えているものだと思う。
 変わらんなあとか、もっと良くなりたいなあと考えながら、夏休みの最後の日まで何もしないのが、人間という生き物なんだと思う。
 余裕がなくなってみて、追い詰められて、何度も何度も叱られて、痛い目を見て、もう二度とあんな思いはしたくない、という底尽き体験がなければ、よほど優秀な人間でない限りは、日常から何も学べない。お酒を飲みすぎて、体調もメンタルも悪化して、たびたび正気も失って、このままじゃあ僕は死んでしまうなあと本気で焦り、依存症について調べたことがあって、その時に分かったことだ。
 未来なんて最初から真っ暗だし、ここまで生きてこれただけでラッキーだったし、うしろ指をさされない人間なんてひとりもいないし、お前は生まれた頃から本当にただのくずだったし、病気になったら誰にも迷惑をかけないようにひとりさびしく苦しもうとするのだろうし、これからも死ぬまでずっと夜は眠れないよ。つまり、お前は今最低中の最低、死んでいるよりすこしマシな状態でしかないんだよ。だとしたら、それは本当にやっと、自由自在なんだよ。失うものが何一つないというのに、何を恐れているの。どうせ未来はないのだから、やりたいことを一生懸命やってみればいいんじゃないの。
 と、一度スクラップアンドビルドしてみると、逆にやる気が出ることもあり、僕は今の職場を最初の三ヶ月で「辞めよう」と決意したのですが、「むしろ辞めさせてみろこの僕を」と考えるようにしたら何もかも上手くいくようになりましたので、一番わるいのは、怖がっていることなのかもしれません。

 真面目な話の途中で恐縮ですが、おくらってうぶ毛が生えていますよね。
 もし毛深いおくらがいたら、めちゃめちゃ気持ち悪いですね。寒がりなのかもしれないな。

 はたちの頃は、友人たちもみなはたちです。
 彼らが眩しくてしようがなかったことがにわかに思い出されますが、前述の通り、みんなやっぱり迷ったり悩んだりしていて、自分の価値をみつけようと必死になっていただろうし、それは僕も同じで、そういう時期だからこそ機に乗じて遊ぶでも学ぶでも働くでも怠けるでも、時間を全振りして極端にやってみるとよかったなあと思います、などと書くと、一般的な論なのだけれども、大人になればなるほどみんなだいたい大人しくなってくるものだし、家族が出来て自由な時間がないようとか、出世しちゃって社交ばっかりだようということになるのは道理なので、それが人生で最も幸福な時間などとは誰にも言わせない、という気持ちがあったのもとてもよく覚えているけれど、何もしなくても老人にはなれるので、いつでも今しかできないことを探して、意思で探して、今やりたいことをやればいいと思います。

 これらはもちろんはたちをとうに過ぎた、僕自身へ向けた言葉でもあります。
 もう充分に大人と呼ばれる年齢になった僕は、これから更に歳をとるなんて信じられないなあと思いつつも、地獄の縁でマイムマイムを踊って楽しんでおりますゾ。
 本当にねえ、はたちの頃には予想もしなかったことが、たくさんあります。
 よくないことも、よいことも、たくさんたくさんあって、面白いですよ。
 それでははたちのみなさん、足を踏み外して奈落に落ちない程度に、モッシュしたりダイブしたりしてくださいね。

 

初詣の雑談

ハローハローびっくり、こんにちはこんばんはおはようございます愛をください夢を見なさい笑いなさいわかめ、、かつしじみ
夜勤明けの朝ですぞ。気持ちがいいね、神保町の古書店は、カレーの匂いする。見慣れない若者たちが、銀杏並木を闊歩する。成城石井でチーズ買う、おばあさんの馬歩になりたい。
東京のビルの向こうにはいつも怪獣がいる気がする、炎白んだびっくりびっくり
そうした人々の全てが、街の人々の全てが、あいつは悪い奴だと言って、怪獣をやっつけようとするんだ。そんな幸せな世界が、あったら良いのになどと、、それ以上考えてはいけない開業改行改行改行

僕はこれから神社に行くのです。遅気にしした初詣4点、これからやります。初詣と言うからには、甘酒を飲まなければなりませんけれども、甘酒はあるのかないのか、なかったらトロピカルジュースを、消耗する。僕はブルーハワイよ、ホワイト正月に、ブラックマンだよ、プレミアムフライデイを、真心込めて、暖かいのだ。大きな鳥居の下で、気温は8度、暖かいのだ。これからどこまでも歩いていけるのだ自由。ありがとうございます。神様も、奥様も、俺様も、森様ハム、神田の喜びを、申し上げます。おいなりさん、よし。改行改行改行

初詣をしましたおいお前でよ。何をお祈りしたかは、心に秘めた野望であります。しめます。
境内にて子供が泣きわめいておりました。僕も泣きわめきたくなりました。真由子の気持ちになりました。舞子センターに駆け込んで、僕の名前を呼んでもらいましょう。そしたら見つかるかもしれませんね、そしたら見つかるかもしれません。

初詣を済ませ人すっかり暇になってしまいました。甘酒を飲みませんでした。だからそうですね今日は、たまにはいいかもしれないですね。。とりあえずホームsweetホームで帰ることにしましょう。家に帰って考えることにしましょう。わかめ0節。

今年の冬は全然寒くないです。暖かいの違い。雪も見ていない。ただ降り積もる時間が1秒1秒の音が聞こえる。はは。おやすみなさい。人身御供ハドーケン!。