あぐねリリース

 なんかのサイレンが町を満たす東京。その朝の光は故郷の窓から見た光と同じこともある。
 モンゴルの草原の空と、荒川の河川敷の空は、実は繋がっているんだなと当たり前のことを当たり前のように感じられてうれしい。
 僕が一番好きな俳句は種田山頭火さんの"お寺の竹の子竹になつた"という作品だ。
 先日はコンクリートの町を練り歩く機会があったので、外圧に押し出されるようにして歌っていたのはクロマニヨンズのギリギリガガンガンのサビパートで、歌詞は次のようなものである。"ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン 今日は最高 今日は最高の気分だ"
 種田山頭火さんと甲本ヒロトさんの詩には大好きな部分がある。
 あぐねていた些末な気持ちがいつまで経ってもまとまらない。
 ネットは川で、言葉は魚。どこに向かって行くかは不明である。

 

にわとりサンバ

 食べ物にあまり興味のなかった僕が人生で一番おいしいと思ったにくを、誰かに食べさすたいと思ったのでゴーレム君に声をかけると、成り行きでSさんとジェントル先輩を誘うことになり、四人で焼肉屋さんを予約したのであるが、Sさんが急用でキャンセルしたいと腹痛をこらえるような表情で申したので、気の毒だったけれど三人で予約し直します、とゴーレム君がアレンジを加えて雨の降りしきる渋谷のスクランブル交差点横のTSUTAYAの前の有象無象の中に、我々三人が立ち尽くしている時、信号が青に変わり群衆が四方八方に入り乱れる。
 ししみさんは酒豪だから、あるいは酒乱だから、鬼だから、とジェントル先輩がふふふと笑って僕とゴーレム君を地下へ誘い、隠れ家というにはあまりにおしゃれなバーだかパブだか、要するに酒をごんごん出してくる場所に押し込んで丸っこくて妙に小さなテーブルを囲むようにして三人で椅子に座り、話す言葉がなにもない。話すべき言葉はとうに話し終えており、仕事の話は味気なく、プライベートを話すにはこのパーティーの親密度が足りない。加えてゴーレム君はジェントル先輩に対して人見知っており、ジェントル先輩は大人理論によって人に会話を無理強いしない。となると二人とそこそこ仲がよいと自負している僕が話題などをごんごん提出してお二人を楽しませて仲良くなってもらわねばならないという義務感にも似たお節介がパフォーマンスを発揮するのだけれど、そもそも僕は日頃から「草原のベッドで寝たい」などと考えているだけの天気の傀儡であるから話題などは特にあらない。すると何が起こるかというと三人の間にひたすら天使のさえずりが轟くだけなのである。ウエイターさんがやってきてオレンジジュースとオレンジジュースとジントニックを置いて去る。僕だけ酒であるから、この最初のひとくちのリアクションできっと全てが上手く回りだすに違いないと思ってぐびりとやってからくーっ、うめえうめえ! ポンヌポンヌ! などとやってみたけれどジェントル先輩はによによと笑うばかりでゴーレム君に至っては手遊びを始めていた。僕は無理をするのはよくないことだなと思って赤面した顔をおしぼりで冷やしながら草原のベッドに思いを馳せた。
 そういうことがあってこの度のパーティーはきっと失敗するに違いないと思った。

 しかし人生というのは塞翁さんのお馬さんのようなことで、元はと言えば食べ物にあまり興味のなかった僕が人生で一番おいしいと思ったにくを、誰かに食べさすたいと思ったのでゴーレム君およびジェントル先輩を誘ったんだから、おいしい肉を食べさすことができればそれでよかったのだから、予約した店の前で三人でうろうろしたり、ガラスから中を覗き込んだりして大層不審者ぶりを発揮したあとおとなしく店に入って椅子に座っていると串刺しにしたでっけぇ肉を外国の人がナイフでぶすりとやってずばっと切られた肉片が白い皿の上に綺麗に広がり挨拶もせぬまま三人でフォークで滅多刺しにしてそれを羅刹のように口に運ぶのだ。噛みしめるたびにうまい。噛みしめるほどに美味である。こんなにうまいにくは他にはないに違いないと僕は思うのだけれど思いを放つような真似は誰もしない。世界最高のうまいにくを前に我々三人はやはり固く口を結んでもぐもぐやっていた。誰も不本意をしない世界がほんのわずかに形成され始めた時、ステージでギターを爪弾いていた赤いシャツのボサノヴァ歌手の方がうらららと叫んでオーレイみたいなことを絶叫しはじめた。すると今までしめやかなおしゃれムードだった店内がにわかに活気づき、ミラーボールが光をごんごん反射してディスコティックになり、歌手の手拍子に合わしてお客がハンズをクラップし始めた。サンバです! サンバです! とゴーレム君が顔をこわばらせて肉のことも忘れて、安いステーキのように身を固くした。ジェントル先輩はまいったなこれはという顔をしてお義理の手拍子をしていた。僕はわあショーだなんかのショーだと思って頭の上でぱんぱんぱんぱん、ぱんぱんぱんぱん、シンバルを鳴らすお猿さんの人形のように元気いっぱいに拍手をした。すると店の奥から赤い羽を体中にあしらった筋肉質の女性が手をひらひらさせながらホーゥと叫んで現れた。そのすぐ後ろには金色の羽をあしらった筋肉質の女性が腰をどぅるどぅる回転させながらホーゥと叫んで現れた。二人の女性は店内を竜巻のようにぐるぐると踊りながら回り、各テーブルの横にくるとお客さんに向かってダンスを見せつける。私のダンスを一番近くで見ろ。そんなことは決して言わないけれども踊りこそがそれを表現しているのだ。もちろん僕たち三人はみんな目をそらした。それから恐ろしいことが起きた。赤い女性が隣のテーブルのお客さんの手をとってステージに連れていったのだ。金色の女性も各テーブルから活きの良さそうな人物を連れてステージに上った。そこで人々は練習したこともないサンバを見様見真似でぶるぶる踊り狂うという趣向であった。ぶるぶると世界は振動をはじめていた。ボサノヴァ歌手の奏でるギターは激しくかき鳴らされ大地の心臓みたいなビートが店内を揺らしミラーボールは目眩を続けている。ステージに上げられてしまった眼鏡の痩せた男性はすごく真面目な顔でダンサーのパフォーマンスを一瞬で習得し生真面目にサンバを踊っていてそれが妙に面白くぱんぱんぱんぱん、僕の拍手をあなたに捧げる眼鏡の方にと思っていたら魔手は我々のテーブルにも伸びゴーレムくんとジェントル先輩は腕をつかまれた。ゴーレム君は空いた手を僕に伸ばし、口をぱくぱくさせていた。周囲の音がうるさくて何を言っているのかよくわからなかったけれど、たぶん助けてくださいししみさんみたいなことを言っていたんだと思う。聞こえなかったからよくわからないけどもしかしたら子供のころザリガニ釣りしましたよね? とまったく文脈に関係にないことを言っていた可能性も微粒子レベルで存在している。ゴーレムくんとジェントル先輩はダンサーに連れ去られ、結局サンバを踊っていた。踊る二人は輝いていた。ダンスは、それは未熟ではあったけれど、にこやかであった。技術はいらない。そんなものはぜんぜん必要ではない。ほんとうに大事なのは、楽しむ心ではないのか。
 サンバタイムが終わって二人は席に戻ってきた。ゴーレムくんはテーブルの一点をみつめて動かなくなり、ジェントル先輩は「俺は踊っている間、ししみを殺そうと思っていたよ」とにこやかに言った。このパーティーは成功だったのだと思った。何が起こるかわからないのだなと思った。つまらないかもしれないと思うことでも面白いことはあるし、その逆もあるから全部大体予想通りになんかならないから予想通りにならないまんまがよい。
 ゴーレム君は朝が早いので先に帰宅し、ジェントル先輩は薄暗いバーに僕を連れて行ってタピオカミルクティーを飲んだ。僕はマティーニを飲んでオリーブを余した。僕とジェントル先輩の間にほとんど会話は無かった。彼と何回かご飯を食べた時、彼の言った言葉が僕は好きでそれは僕が前からなんとなく思っていたことだったから、たぶんそういうのを馬が合うとか言うのだろうと少し思うのだ。
「話さない関係もあるよね」と。それはロマンチックな意味ではなくて、絆でも共有でも同調でもない寛容さが顔を出す以前の、すごくシンプルな相互理解のお話だ。にわとりは空を飛ばないよねって、チキンとかかって自虐がややこしい。そして重要なのは一度形成された相互理解は不変ではないということで、人の心はミラーボールのようにごんごん変わって行くので、もうブッダやパンクスが言うようにNO FUTUREでNO PASTで生きているなう。

 

老人

 東の空に巻きあがる入道雲は大切なものを隠しているように見える。近づいてみれば色も形もないはずの水蒸気が硬く凝集して要塞のようだ。あの白い壁の中には何か大切なものがある予感がする。記憶の遥か彼方、もう霞んで見えないくらい遠い日々の中で、僕はたしかに見たことがある。たくさんの記憶が渦を巻いて硬く凝集している。思い出したいことは何一つ思い出せないのに、どうにもならないことだけは意識の表層に浮かび上がってくる。思うようにならないものだ。涼やかな風が吹いていた。風は草と土の匂いがした。まるぼうずの丘の上は風の音ばかり聞こえていた。時折、頭上にふるふると甲高い声で鳴く鳥がいた。大きな翼を羽ばたかせもせず、青空の一点を中心に、綺麗な円を描いてゆっくりと旋回している。鳥の影はぼんやりと輪郭を失い、いずれ空に吸い込まれて見えなくなる。いつもそういうことをしている鳥だ。いつも僕が丘の上に座っているように、その鳥はいつも空に吸い込まれていく。陽の高いうちは鳥を何度か見かけるけれど、たまにしか見かけないものもある。それは丘の麓のずっと向こうから歩いてくる。ぎらぎら輝く緑色の草原を、こちらに向かって一直線に進んでくる。右手にとがった木の枝をぶら下げて、つばのついた緑色の帽子をかぶって、毛むくじゃらの白い犬を連れている少年だ。陽に焼けた肌は浅黒く、伸びた真っ黒い髪が鈍い光を放っている。少年は僕の背中側に回ると、しばらくそこで何かしている。白い犬の息遣いが右や左に移動する。しばらく経つと、椅子の足にかつんと木の枝が打ちつけられる。背後に立った少年が言う。
「今日は何を見た」つぶやくような、ひとり言のような、低い声だ。
「空と、鳥と、草原を見た」
 少年は僕の前に回り込み、まるで悪霊にとり憑かれたように激しく枝を振り回した。その姿を見た白い犬は興奮して吠えた。気が済むと、少年と犬は再び僕の背後に回り込む。それから木の枝が椅子の足を小突く。
「今日は何を見た」
「変な子供」
 すると少年は鳥のように甲高い声で笑った。毛むくじゃらの犬を連れて、飛び跳ねながら草原を駆けていく。いつもそういうことをしている少年と犬だ。名前も知らない少年と犬だ。少年はいずれ、この場所には近寄らなくなるだろう。そして忘れるだろう。
 たくさんのことを忘れている。大事なことも、大事ではないことも、すべて入道雲の向こう側にある。手に入れることができない、けれど確かにあると分かる場所にある僕とは全く関係のない大切なものは、遠い昔に失った、かつては価値のあった感情と記憶の凝集した、色も形もない煙だ。
 太陽が地平線に沈み、濃紺の空に星がまたたき始めた頃、椅子を畳んで家に帰る。パンを食べる。ベッドに横になり、ランプの灯りで本を読む。夜にしか鳴かない鳥が鳴いて、いつの間にか眠っている。

 

今週のお題「理想の老後」

 

本について

 定時の1時間前にほとんどの仕事が終わり、業務用モニタの前に座って高円寺について考えていると、隣の席にモヒカン先輩が音もなく座り、あざやかにマウスを操作してインターネットに接続し、残時間1hをネットサーフィンに費やすつもりであることを示唆した。
「読もうと思ってさ、普通の本を」と彼はつぶやく。
 普通の本という言葉の意味が分からず、その定義を問うべきか迷ってしまう。人の放つ言葉を解釈するのはいつでも難解だ。頭の中の幾何学模様を伸ばしたり縮めたりしているうちに、彼は新しい言葉をそっと放り出す。
「あれはテレビで見たんだよ、山に行った三人が恋? 恋をしてさ、ひとりが死んじゃって、事故かと思ってたら山に登る前にはちみつ? はちみつを飲ませてて、それが体に悪くてあとから効いてきたっていう話で、すごいよね。ねえどうなんだろうね、それは罪になるの?」
 事実を整理したい、と強く考える。モヒカン先輩が友人だとしたら、微に入り細を穿ち質問をしたい。けれどモヒカン先輩はいわゆる上司で、僕はただの部下であり、ここは本の内容を精査する場ではなく、終業前のしずかなボーナス・ステージだった。それはシリーズものですか? それとも一本で完結のドラマですか? と、当たり障りのない質問をしてしまう。
 彼は質問に対して曖昧にうなずきつつ、インターネットを検索して件の作品名を調べ上げ、教えてくれる。有名なミステリー作家の小説だった。その作家の本は3冊読んだことがあるけれど、モヒカン先輩が教えてくれたお話は知らなかった。
「なんかいい本ないかなあ」彼は言葉を宙に漂わせる。
 つまり、こういうことだ。おそらくモヒカン先輩にとって普通の本とは小説のことで、おそらく彼はミステリー作品を探していて、おそらく僕に何かないかと聞いている。明確な言葉はひとつもなかったけれど、おそらくそうなのだ。そして僕はその質問にうまく答えることができない。他者におすすめの作品を語ることがとても苦手だし、ミステリーに詳しいわけでもないし、そもそも本について詳しいわけでもない。それでも何か答えを提示したいと考えたのは、見栄のためかもしれないし、彼が僕に与えた役割をまっとうしたいと考えたからかもしれない。
「い」さかこうたろうさんの本が面白いですよ、というのはとても妥当な答えではないだろうか、と考えて口に出した言葉は、彼の「山田なんだっけ」という言葉にかき消される。
リアル鬼ごっこの」と、突然明確な言葉を得て僕の脳は途端に活性化する。
山田悠介です」
 モニタには山田悠介さんの著作がずらりと表示され、「これは読んだ……これも読んだ……なんで俺、これ読んだんだろう……」彼の呟きが連なる。
 ならば東野圭吾さんだ、と見当をつけた。もはや推理ゲームだった。
 先程の有名作家さんの作品も映像化されていたし、山田さんの作品もたくさんメディアミックスされている。つまりそのような傾向の作品が彼は好きなのだ、と考える。伊坂さん宮部さん道尾さん、その辺だ。乙一さんではないし森さんでも綾辻さんでもない――と連想を続けているうち、急に心が静まりかえった。それは僕が話題に合わせてグルーピングした作家さん達であって、僕の中でしか意味をなさない地図だ。そんな風に、自分の中にイメージや体験を築き上げていくことも読書に含まれているのに、彼の好みを推測しただけの浅はかな答えを示して何になるのか。本を読むってもっと個人的で内部的な活動ではないのか。示すべきはモヒカン先輩が望んでいそうな答えではなく、僕が彼に読んで欲しい本ではないのか。それが僕自身の本当の答えではないのか。僕が彼に読んでほしいと思う本なら、決まっていた。
「ド」グラマグラっていう変な本があってですねと言いかけると彼は「そういえば芦田愛菜ちゃんの本知ってる?」と言いながら芦田愛菜さんの新刊、『まなの本棚』を検索し始めた。そしてすごく真剣な顔で言った。
「これ文章じゃなくて、まなちゃんの写真集だったらよかったのにね」
「そうですねまなちゃんはかわいいですからね」
 ドグラマグラって言わなくてほんとに良かった。

 同じ料理を囲む時、あるいは同じ映画を並んで見る時、同じチームでスポーツをする時、他者と時間を共有することは簡単だと思う。
 けれど本はひとりで読むものだから、本から受け取った本当のことを話すのはすごく難しいのだと思う。読書は人それぞれの人生が前提にある解釈をするから、だからこそ意見が分かれたりして、そこに意味があるのだけれど、その不一致を楽しいと思えない人と話をするのが難しいということでもある、のではないかなあと、ぼんやり考えています。

 

ものを綺麗にすること

 机の横にシンセサイザーが置いてあって、それはもう長いこと埃をかぶっており、なんかの遺物のようになっていて、金属製の足元には本や書類やチラシや思い出や、わけのわからないものがたくさん集って集落を形成していた。それを創り上げたのは誰あろう僕、僕なのだが、印象としては自然発生したように思われる。つまり創ろうと思って創ったわけではないのだけれど、創ろうと思って創らなかったからといって不必要なわけではなく、そういうごちゃごちゃのカオス状態でも何が埋まっているのか潜んでいるのかは、おおまかに把握している自信があったし、出来ることなら動かしたくないという消極的な永続を望む欲求が確認されてしまう。そのごちゃごちゃした魔女の大鍋のような見苦しい空間を思いのほか好きだった。好きだったけれど、好きだからといってそのままにしておくのは社会通念上良くないということを承知してもいた。つまり片付けた方がよいよねとは思っていた。誰に見せるわけでもないけれども、綺麗であるほうが精神衛生上よろしいことも確かなのだ。誰に見せるわけでもないものを片付けることは、誰かに見せるために片付けるよりもより立派な行いなのではないかと不意に思い立ち、結句片付けることにしたのだけれど、片付けようと思うと気がヘヴィーになっていくので、そういう時に、気を紛らわせるためにすることがたったひとつだけある。

 とても気が重い時に、それでも何かをやろうと決意した時、そこに音楽があると何故か気分が少し前向きになるという現象に名前がありますか。きっとあるのだろうけれど、音楽をつけながら作業をすると案外心が軽くなる。スマートフォンSpotifyを立ち上げて新しい音楽を流しながらシンセサイザーのコードを外し、埃を拭いて部屋の隅に寄せる。新しい音楽のきらびやかな音色と繊細な歌声とに相反するちくちくした歌詞などを聴くともなく聴いていると作業は予想通りに進んでいき、昔よく使っていたバッグや、全然使わなかった雑誌の付録のかさかさした小バッグなどが出てきてゴミ袋にそっと収納する。まだ読んでいない本はウェットティッシュでかるく拭いて積み上げ、パッケージを解いてもいない編み棒に愕然とし、石膏みたいに固まる美術用の高級紙粘土に至っては何を目的に買ったのか全く思い出せず絶望し、各種イベントで集めたチラシは速やかに捨てることにして、新品の赤と黒のスプレー缶は、手作りのゴミ箱をペイントしようとしていたんだったなあと思って数年前の自分を微笑ましく思いつつも、親しかった人からもらった20文字の手紙、たった20文字の、納品書の端っこにものすごく小さな文字で書いてあるお手紙を発見した時、作業を中断せざるを得なかった。リビングに寝転がって少し気が遠くなる。窓の外は白い光。きっと曇っているんだろう。人と人と、人と人と、わからないなと思う。でもわからないのなんて当たり前のことだった。どうなるかなんて、明日僕は交通事故で死ぬかもしれないし、その逆だってあるだろう、そしてたいがいはどうにもならず、この平穏な時はこの先もずっとこのままぼんやりと終わっていく。どうせ終わるならその時まで貧乏性を発揮してがんばってみてもいい。失敗したくないなら家に引きこもっているしかないから、それは不死身の花と一緒だから、取り返しがつかないくらい失敗をしてそれでそのたびにまた家を出てどこかに行くことだけが僕にできることなんだろう。

 以前、僕は清掃業に従事していたことがあった。床をポリッシャーで磨いたり、その洗浄液をスクイージで集めて缶バケツに入れたり、雑巾でトイレの鏡を拭いたり、油汚れが石のように固まった換気扇を危険なレベルの洗剤で必死に擦ったり、先輩たちとワゴン車の荷台で煙草を吸ったり、そういう仕事だ。その時、僕は掃除とか、ものを綺麗にするということが、一体どういうことなのかを知った。
 掃除というのは、ある汚れを、別なところに移すことだ。
 床を洗えば、汚れは洗浄液に移る。
 ガラスを拭けば、汚れは雑巾に移る。
 そうしてただ、汚れを移動させているだけに過ぎないので、本質的は汚れは巡り巡って消えることがない。
 なので、ぱっと見きれいになっていること、が掃除の極意だと思います。
 すっかり汚れてしまった僕の心を、案外そのままにしておきたい気持ちは、やはりあるけれど、社会通念上、お風呂に入ることにする。

 

月休映行

 月休映行。

 昼寝坊して、起きてみると窓の外はもうすっかり晴れておるようで、台風が通過してしまったのでしょう、早朝は交通機関が乱れて大変だった気配がありましたが、いずこからか蝉の残党の声も聞こえていたりして、もうすっかり平静平穏のようでしたから、今日は読みかけの本を読み終えてしまうことにしましょう、リビングのマットレスに寝転がって、尋常の休日の通りに小説を開きますけれども、一体何度こうしてきたか、もう数える気持ちもありませんけれども、何度こうしてみても、ぜんぜんまったくこれっぽっちも飽きない。これは誇張もなく、僕の好きなこと。これはいささかの迷いもなく、僕の愛していることです。

 ポテイトチップスをつまみ、プリングルスもつまみ、芋と文字に囲まれた小三時間を過ごしたのち、読み終わった本を本棚にスッ……と置くことは儀式のようなもので、「これは読んだ本です」と自分に知らせること、自分自身に分からせておくことは、とても落ち着くこと、安心することでありました。東京に引っ越してきた当初、僕は持っていた本のほとんどすべてを手放さなければならなかったから、本棚は全く空っぽで、とても寂しい思いをしたけれども、今となっては、あれから長い年月が経った今となっては、本を差し込むスペースがないという困りごともありつつ、やはり溢れ出るくらいの愛着があることは、愛別離苦の恐ろしさとトレードオフの喜びでいいです。失敗を恐れていたら、本当に何もできなくなると思うので。僕はよく生きるために何もしないことを選びますが、何もしないために生きているわけではないものな。

 本を読んだあとは、月休映行。
 これも習慣ではありますが、読んでいない本を鞄に入れてお財布も入れて、それで炎天下に乗り出す時、それはすこしくらいは面倒くさいなあという気持ちもあります。しかし楽しみが常に上回っていますから、蝉が奏でる複雑なリズムを聴きながらバス停に向かい、乗り物を待つ間は、世界最強の照明であるところの太陽光に照らされて、真っ白に光を反射している本のページを、文字を、見つめています。そんな僕を、前に立っていたおばあちゃんが、じっと見てくるの「見ないで、見ないで」と思います。おばあちゃん、僕に何かついているのでしょうか。バスが来て、バスは涼しいです。

 映画館に着きましたら、ルーティンになっていることですが、ステーキを食べます。もう一体、何枚ステーキを食べたのかわかろうとも思いませんけれども、脇目も振らずステーキを食べていると、昔の僕では絶対に感じ得なかった幸福という気持ちが、浅はかな浅ましい幸福だと思っていた食べ物による充足が、実に率直に素直に感じられるようになったのです美味しい食べ物を食べると幸福だなあと思うようになったのですそれは、僕が不用な気持ちを捨てられたからだと思います生きることに命がけだったので、生きることに邪魔な思考を捨てられたからだと思います。ステーキを食べた後に、かわいらしいワッフルも食べてみました。さくさくふわふわもちもちで少しチーズの味がしますアイスを乗せて食べると甘みを吸収した生地が、たまらなくやわらかく香りのいい生地が、まるで別物のように重層的な甘みを放ちます。あまりの美味しさに悪いことをしたような気持ちになり急いで食べました。それから本を読みました。とてもおもしろい本なんですよ。シロクマのレプリカを作っている工場のお話です。のめり込みます。

 映画を見ました。今日見た映画は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」という映画で、これは本当にへんてこで、あまり綺麗な言葉ではない言葉で言うならあらゆる文脈でくそぶっ飛んでいたので、僕は普段映画のおすすめとかはしないのですが、おすすめはしないですが、とても見る価値があると思います。特に古い映画が好きな人は、ありますと思います。

白猫

 強い雨が降っていて、僕は傘を忘れた。
 駅からの帰り道、マンションの影や、木の枝の下を選んで歩いた。
 赤信号を待つ時には、営業を終えた歯医者の前で雨宿りした。
 雨の中に進むと、頭と肩に、雨粒のわずかな重みを感じた。
 暗い道を、車のヘッドライトが照らす。遠ざかっていく。
 さあさあときめの細かいノイズが、街全体をつつんでいる。
 僕の暮らしているマンションが見えてくる。
 エントランスのオレンジ色の照明が、ガラスドアをすり抜けている。
 三段しかない階段の、はじめの一段に足をかけた時、ガラスドアの間に何かいるのが見えた。
 白い猫だ。
 驚いて足を止めた。猫も驚いていた。目を思いきり開いて、こちらを見た。
 それから白猫は、マンションの奥に走って逃げた。
 集合ポストの中からダイレクトメールを取り出し、ゴミ箱にすてた。
 雨宿りしていたんだな、と僕は思った。
 きっと、叱られると思ったんだろう。