母とドライブ
母の車には、何故か女子十二楽坊のアルバムが積んである。
女子十二楽坊は、ずっと前に流行った中国のインストバンドで、雄大な大陸を彷彿とさせるメロディーとダンサブルなリズムを組み合わせた楽曲でお茶の間を虜にした。
まさか2020年になってその名を目にするなんて思ってもみず、ダッシュボードの中にアルバムをみつけた時には「なつかしすぎる」と呟いてしまった。
母は運転席から「それな、なつかしいでしょ」と言ってにこにこした。
思えば僕は、母の好きなアーティストの事を何ひとつ知らない。勝手に中島みゆきとかが好きだと思っていた。母は家で音楽を聴いたりしなかった。
会話のネタも尽きたところだったので、ちょうどいいと思って女子十二楽坊をCDプレイヤーに入れる。
一曲目は聴いたことがない曲で、ただ懐かしがりたかっただけの僕はさっさとその曲を飛ばした。
二曲目はあの曲だった。当時テレビからよく聞こえてきたやたらノリのよいあの曲だ。どうやら『自由』というタイトルらしい。母の車になかったら、たぶん死ぬまで聞くことがなかったと思う。
ダンスミュージックのようにバスドラムがビートを刻みだし、二胡(中国の伝統的な弦楽器)の軽妙なリフレインが車の中に響いた時、僕はたまらず爆笑した。今聴いてももちろん美しいメロディーだし、楽しい気分になる曲ではある。でもあまりに懐かしすぎるし、今聴くと自由すぎて面白すぎる。しかも母がこんなテンションの高い曲を聴いてドライブしているのかと思うと、もうたまらない。流行った当時はCDを持っていなかったはずだから、僕が家を出てから母はこのCDをわざわざどこかで買ったのだ。もうだめだ。最高だ。
僕が助手席で涙を拭いながら爆笑を続けていると、母も楽しい気分になってしまったのか、運転をしながら曲に合わせて首を左右にぐねぐねさせ、志村けんみたいな顔芸をして僕の笑いを取ろうとした。
反抗期の頃なら母のひょうきんな態度に苛立ったかもしれない。
けれど僕はもう充分に大人だった。
こうして親子水入らずの時間を壊したくはない。
僕は親孝行のつもりでリズムに合わせて首をぐねぐねさせ志村けんみたいな顔芸をした。言葉はいらない。笑いの応酬を楽しもう。
母は大人になった僕の顔芸を見た途端、肩をすくめて「いやだ」と言って顔をしかめた。
早く東京に戻ろうと思った。
ダッシュボードには女子十二楽坊の他に二枚のCDが入っていた。
一枚取り出してみると、宇多田ヒカルだった。
そんなはずがない。母が宇多田を聴いているわけがない。何かの間違いだ。
「これどうしたの?」と聞いてみると、
「職場の女の子がくれてさ、お母さんに歌ってほしいんだって」と言った。
母の話によると、職場の女の子さんと母はカラオケによく行くらしい。そこで女の子さんは母の歌声に感動し、自分の好きな曲も歌ってもらいたいという一心で宇多田のCDを母にプレゼントしたのだそうだ。おそらくかなり高濃度の脚色が施されていると思われたが、母はそう言った。
母は暇さえあればドライブをしながら歌の練習をしているという。
たしかに車の中ならどれだけ大声で歌っても迷惑ではないし、運転しながら歌うのは気持ちがいい。それはよくわかる。しかし髪が白くなってきたど根性母ちゃんが志村顔をしてトラベリントラベリンて絶叫していたら都市伝説ひとつ増えてしまうんじゃないのか。
「ふーん、母さんってディーバだったんだなあ」と適当に相槌を打ったら、
「あら、あたし痩せたんだよ、わかんないの?」と言って色々な角度から痩せたらしい顔を見せようとしてくる。
どうやらディーバという言葉を体重に関する悪口と聞き間違えたらしく、僕は本当にどうでもよい気分になって宇多田のCDをプレイヤーに入れた。
明日の今頃には
わたしはきっと泣いてる
あなたを想ってるんだろう
うつくしい歌声が流れてくる。
はっとした。母はいつも僕に、今度はいつ戻ってくるのかと聞く。
母だってきっと、寂しい思いをしている。
そっけない態度を取るなんて、僕はだめなやつだ。
「今度母さんの歌、聞かせてよ」
「え? 今歌おうか?」
「いや、今じゃなくていい」
最後の一枚は、渡辺美里のCDだ。
『夏が来た!』が入っているアルバム。
そのCDは、聞かなかった。ジャケットを見ただけで涙が出そうになったからだ。
夏が来た!は、僕が本当に小さな子供の頃、車でかかっていた曲だ。
父が運転し、母は助手席にいた。僕と姉が後部座席に乗って、みんなで買い物に行く。車の中では夏が来た!がかかっていた。
母が一番最初に歌い出し、姉も笑いながら真似をした。僕も負けずに歌った。父は笑うばかりだった。
家族がドライブをする時は、いつもそうだった。
だから渡辺美里のCDは見なかったことにした。
あまりにもたくさんの想いが込められているから。
そしてそのCDを母が今も持っているということが、僕はうれしくて、とてもつらい。
車が駐車場に停まり、車内の音楽がふつりと消える。
僕と母は車を降りて緩やかな坂をのぼった。
坂の上からは、人のいない冬の海が見える。
僕たちは意味もなく故郷の海水浴場を訪れたのだった。
特に会話もなく、波の音を聞きながら砂の上を歩く。
言葉なんてなくてもよかった。
ふたりで聴いた音楽が、僕と母の間に、たしかに今も流れている。