4月23日のつづき


 

 

 

 わたくしの目の前を白い蝶が飛んでいる。
 手を伸ばせば届くところにいるように見えるが、蝶は決して捕まえられない。
 まるで手をすり抜けるようにして虚空を舞う。わたくしは焦り、闇雲に手を伸ばす。
 そのうちに蝶の正体に気がつく。蝶に見えたものは、淡い光だ。厚みも重みもないただの光。
 ひらひらと舞うその光をわたくしはどこかで見たことがある。どこか、とても懐かしい場所で。
 茫漠とした脳裏にひとりの少女が姿を現す。少女はいつも笑っていた。わたくしは彼女を知っている。
 そうだ、わたくしは彼女をよく知っている。彼女の名は嶺花。おお、なんと懐かしい名だろう。
 わたくしと嶺花は貧しい村に生まれた。作物は日照りで腐り、家畜は痩せ衰えていた。
 人々はみな暗い顔をして、生きているのか死んでいるのか知れたものではない。
 しかし嶺花、きみだけはいつも笑っていた。髪に真珠の飾りをつけて。
 村の者はみんな、きみの真珠が偽物だと知っていた。きみですらそのことを知っていた。
 それでもきみが本物だと言えば、そう信じたくなったのだ。誰だってうつくしいものを大切にしたい。
 わたくしは輝くきみの髪飾りに触れたかった。嶺花のあかるさに触れたかった。わたくしだけの光にしたかった。
 けれど、ああ、もう誰もきみに触れることはできない。
 きみはその名が現す通り、生者の手の届かない場所で咲き続ける。
 ああ嶺花! もう一度きみにあうことができたら。
 きみを蘇らせることができるならわたくしは、何もかもをきみにあげる。
 
 以上が知恵の輪によって論理渦に囚われ、幻覚を見ている王さんの描写です。
 王さんには王さんの物語があるのだものなあと思って書きました。
 おそらく王さんは、嶺花さんを生き返らせようとしてアントンラボに入社したのでしょうね。うまくいったのかどうかはわかりませんけれども。
 僕は第三の僕です。僕はこの世界では神様みたいなものですが、厳密にはとても影響力の低い神様で、そのうえあんまり空気を読めない神様です。現実の世界では、普通の人です。
 今はYoutubeで、ビートルズを聴きながら、夜は何を食べようかなあと考えながら書いています。
 どうしてクローンについて書き始めたか、書いてもいいでしょうか。
 僕はインターネットのニュースで、実際に中国の企業が、クローンペットを作っているのを知ったんです。
 サイトには、全く同じ色で、全く同じ顔をした犬の写真が載っていました。
 その二匹の犬は、オリジナルの犬のクローンで、本当は一匹だけクローンを作ろうと思っていたのに、偶然二匹のクローンができてしまった、と書いてあって、なんだか衝撃を受けたんです。
 あなたのクローンが偶然二人できました、と言われたとしたら、その時僕は何を考えればいいんでしょう。
 僕と僕のクローンは、おそらくただの他人ですが、やっぱり気になります。
 僕が二人いることは、楽しいのでしょうか、悲しいのでしょうか。
 そういうことを、書きながら考えられたらいいなあと思って、書いています。

 ハイタッチを終えた僕ともう一人の僕は、玄関の前で顔を見合わせて少し笑った。
 たとえ相手が僕といえど、勢いに任せてハイタッチをしてしまったことが、お互いに恥ずかしかったのだろう。
「僕ではない僕が、僕のところへ何をしに来たのかわからないけど、僕は僕を不審者だと思わないことにしたから、部屋で豆大福でも食べるかい」と、僕は言った。
「いや、用事が終わったらすぐ帰るよ。もともと僕はそのつもりだったんだ」と言って、もう一人の僕はポケットから折り畳みナイフを取り出した。
 もうひとりの僕は刃を広げ、僕をみつめた。
 僕はとても大切なことを忘れていた。
 僕は時々、僕を殺したくなるくらい、嫌いなんだ。

 

 

つづく