4月21日

 命のことを考えていたら胃が痛い。
 最寄り駅から7駅遠い駅で電車を下りて帰路についた。
 隣を歩いていたのはプレーリードッグのチャーリーだ。
 チャーリーは両手でピザをもって感情の無い目をしている。時々立ち止まり背伸びをして周囲を見渡す。
 チャーリーは風の匂いに注意を払う。
 そしてピザを熱心に食べている。あごを細かく動かして。唇の隙間から長い前歯が見えている。
 彼の体の大きさに対してピザは少し大きすぎる。だから一向にかさが減らない。ピザの無くなる速度は口を動かす速度に全く比例していない。
 つまりかわいい。
 いくら食べても無くならない。無限かもしれない。けれどチャーリーはピザに飽きているようにも見えない。
 食べるためだけに食べているようだ。草や木や花やなまこやうにや鍾乳石と同じだ。蟻も魚も蜘蛛も。
 喜びは無い。
 おそらくそれが食べるということなのかもしれない。意味がくっついていてもかまわないけれど。
 最初の食べるという行為はそういうものだったのかな? という意味だ。たとえば僕がアメーバだった頃。
 僕は僕より小さいアメーバをたぶんほんとうに何も考えずに意味もなく食べていたんじゃないかな。
 アメーバがキャラメルとかを食べていたらかわいいな。

 問題がひとつ発生し、とても困ったことになった。
 古ぼけたタバコ屋の前を通りかかった時のことだ。
 マスクが蒸れ、口の周りが湿気てなんか気持ちわるくなったのだ。
 僕はマスクを外したい。しかしマスクを外すとなんか気持ち悪い、という不快感情以上のリスクがあるかもしれない!
 病気になるかもしれない。
 それはよくないことだ。僕は苦しみたくない。だからマスクを取らずに湿気を除去する解決策をみつけなければならない。
 必死に考えたけれど解決策は何一つ浮かんでこなかった。僕とチャーリーは晴天の下を歩き続けた。広い国道には車が行き交っている。
「マスクが蒸れるんだけどどうしたらいいだろうか」と僕は聞いた。
「気にしなければいいんだよ。死ぬわけじゃないし」とチャーリーは言った。
 チャーリーはプレーリードッグだ。 
 彼はマスクがどういうものか知らないのだ。

 16時前の街には人がいる。スウェットを着たカップルや、電気自転車を駆るたくましい母親、立ちこぎをする少年、ピットブル、仲のいいカラス、プレーリードッグ
 それはキャタストロフィ以前と比べてみてもそれほど減っているようには見えない。彼らには出かける必要がある。僕にもチャーリーにもある。大した用事でなくとも大事な用事だったりする。価値観は移ろう。しかし夜になると光る恐竜の骨は、今かんがえてもナイスだった。どうして発光しなくてはいけなかったのか、おそらく意味なんてないんだろうけれど、かっこよかったものな。
 チャーリーはピザを取られたらすごく怒るだろうな。噛みつくかもしれない。でもどうだろう。素早くピザを取ったらびっくりして固まってしまうかもしれない。手をピザの大きさに広げたまま目が点になるかもしれない。びっくりすると動きが止まってしまう動物がいる。死んだふりをする動物や、仮死状態になる動物もいる。わーと叫んだり、走って逃げ出す動物もいる。人それぞれだ。個体差がある。なんらかの違いがあり、なんらかの共通点がある。ただそれだけのことが愉快なのはなぜだろう。
 中には毒のある野草もある。毒キノコや、するどいとげをもつ山菜がある。けれど甘い果物もある。そういうのをみつけるのがうれしいからかもしれない。時々石ころみたいにでっけぇゲンゴロウが歩道に落ちていることがあって、それは一瞬恐ろしい感じがするが、ゲンゴロウは噛んだり刺したりしない友達の虫だ。そういうのを知ることがうれしいからかもしれない。

 牛丼屋の前を通り過ぎるときいつもよい匂いがする。だんだん腹が減ってきて、コンビニでチョコレートのかかったエクレアを買って公園のベンチで食べようかなと思ってしまう。隣で延々とピザを食べ続けているチャーリーのせいでもある。
 ショーウインドーの向こうには鉄塊然とした二輪車が並んでいる。バイク・ディーラーの店内は薄暗く、ガソリンの匂いがしそうだ。
 食べないことにしようと決意した。家に帰れば食べるものはあるのだ。台所の戸棚の奥にシスコーンがあった気がする。
 シスコーンがいい。
 ぬるい風が体をすり抜けて南へ向かった。
 複雑に入り組んだ巨大な歩道橋が見えてくる。巨人のジャングルジムみたいな。もうすぐ家に着く。
 家についたらマスクを顔から引きはがし、剥がした勢いを殺さずに「エェイッ!!」とゴミ箱にマスクを投げつけるだろう。
「ヤァッ!!」かもしれない。
 あまり違いはない。
 黄色い壁のホームセンターが見えてきたあたりで、チャーリーはついにピッツァを食べ終えた。
 彼は手を舐め、二本の足でホームセンターの横の日陰になった小道に入っていった。自分の家に帰るのだろう。
 中華料理屋の前を過ぎ、潰れたペットホテルの前を過ぎ、帰宅した。
 自分の部屋に入るやいなや、顔からマスクをむしりとってゴミ箱に捨てた。
 顔がとてもすっきりした。
 最高の気分だ。天上世界の清涼感だ。顔、すずしい。
 たしかに彼の言う通り、ある種の物事は何も気にせず時間に任せていれば好転するのかもしれない。