リラックスルック

 帰宅してカーテンを開けますと、部屋の空気やファブリックがすうすうと殺菌される気がしました。南極に花が咲いたような気がしました。机の上に重ねてあったお菓子をひとつ手にとって、真っ赤なパッケージを破ると、芳醇な甘い香りがいたしました。幽霊は寝息を立てて、昼日中は眠りこけておりますでしょうか。本日はすこし曇っておりました。わたくしは、すてきな寝具の上に体を横たえました。するとどこかで豚の鳴くような音が聞こえて参りました。ごりごりごりごり、と。隣室では養豚をお始めになったのでしょうか。あるいはわたくしの灰色の毛細血管に何かよからぬ障害が起きましたでしょうか。わたくしはその音を聞くともなく聞きながら、寝転がったままの態勢で甘いお菓子を口に運び、官能に身を浸しておりました。寝具、淡い陽光、甘いキットカット。それは魂をふうわりと包み込み、典雅な春のういういしさを秘めておりました。使い古した日常に、あるいは生活の怠惰に、それでも四季は真新しい生命を運んでくるものだと思いました。新しいGENE。見慣れた景色の中に、たしかにあたらすぃーものがあるのものだ、とわたくしは夢見心地で考えておりました。すてきな午後のことでございました。

 SHOWERを浴びて、すっかり休日リラックスルックに変化いたしましたわたくしは、最近マイブームのうたた寝を、本気のうたた寝を決意いたしました。余裕というものは、自然に作り上げられるものではないのだ。とわたしくは愚考いたしました。余裕、というものは自らの意思で用意しなければならないものらしいのです。それは遠足のおやつのようなものです。おやつとは、余裕のメタファーでございます。意思によってメタファーすることによって、わたくしの日常には暗示されるべき対象が逆説的に創造されることになるのです。とわたくしは澄みきった頭脳で愚考しました。しましたです。今日はリラックスしてもいいことにしましたです。それは表現している、この文章の総体が。

 ねまっていたところ、どうやらわたくし夢を見たようです。面白い発想の夢で、起床した暁には「面白いじゃん!」と思い、メモてうにメモしても良かったのですが、どうせならきちんと覚えていたかったので、頭に力を入れてぎちぎちにインプットしておいたのですが、言わずもがなのことが勃発いたしました。南極にペンギン王国が勃興しました。なんとわたくしとしたことが、パソコンの前に座って、イワタ明朝のことなどを調べはじめたのです! そしてsisimiは忘れる――すべてを。

「ぽっぱっぽっぱっぽっぱっぱあ」とヘッドフォンの中から興味深いメロディーが聞こえてまいります。「ぽっぱっぽっぱっぽっぱっぱあ」「ぽっぱっぽっぱっぽっぱっぱあ」わたくしはそのリズムを、世界観をきゅうしうしつつイワタ明朝のことを調べていました。まだしつこく調べていたのです。一体MS明朝とMSP明朝と、そいからイワタみんてうと、そういう人達は何が相違しておるのか、そんなことを一所懸命、いざ鎌倉、ここが天下分け目の大一番だと意気込んで調べていたのですが、存外そないなことはすぐに調べがついています。探偵になったつもりで私はイワタ明朝というものは、つまりかっこいい字のことだと結論を致しまして、そして気が済んだのでノートパソコンをぱたりと閉じた時、花柄の牛にかかっていたやわかいぬのが、ゆきのふる音とまったく同じ音量で机の上に落ちました。雪が雪に落ちてくる時のほんとうにかすかなささやきを、わたくしは故郷の夜の、だれもひとのないさみしい公園で聞いた覚えがあります。音未満のつぶやきは、夜が暗ければ暗いほどよく聞こえました。

 わたくし、イワミンをサードパーティーのofficeに設定しまして、一気呵成に書き始めます。不明瞭で不明確、意味もなく味もない。そんな雲をつかむような文章を書いている時、本当にうれしいの。それあね、人生でもっともゆかいなしゅんかんのしとつ。10年前からずっとそう。できることが多ければ多いほど制約は増える、といった意味のことを、こないだ記事ーに書いたように思われますが、最近ね、そのことを机上の空論でよく実感しています。宇宙に行く自由も、なにもせずに生きる自由も、あるけれど、その自由には自由の対価を支払わなければならないってことなのだよな、と思いました。ということは、わたくしもこの自由の対価をどこかで支払うことになるのもかもしれない、と思うと、ぶるぶると震えてきて、おそれ、おののき、自分勝手な行動は、ひとりよがりの思考は、身分不相応な行いは、慎もうともすこし思いました。スーツを着て、きちんとネックタイを締め、さむくみえないようにコートを羽織ろうね。マフラーをして、それから黒い鞄を持って、髪型をぴしとしたら、それはとても不自由そうかもしれないけれど、だからこそ自由も担保されていた。真の自由とは狂気の謂である。

 Sisimiはいつの間にか再びベッドに寝ていた。今度は夢を見なかったようだ。枕元のスマートフォンで時間を確認すると、ノートパソコンを開き、アマゾンプライムでアニメを見ようと試みた。しかし見ようとしたアニメの放映日が七年前だったため、大変なショックを受ける。「ばかな。うそだといってくれ! そんなに前のはずがないんだ。七年前、このアニメを僕はリアルタイムで見ることができず、友人の家に泊まって、そのとき二人で見たことを不意に思い出したよ。あの時、僕はたしかに二日酔いで、友人は首の伸びたTシャツを着ていてさ、それはまだ少し肌寒い季節のきれいな朝だった。窓の外から、近隣の小学校のグラウンドで遊ぶ子どもたちの輪郭のぼやけた歓声が聞こえてきたっけ。僕達はアニメを少し見たけれど、そこで飽きてしまったんだ。僕は本当はあのアニメ、きちんと時間をかけて、時には一時停止をして見たかった。けれど甘いコーヒーを淹れてくれた友人にそのことを気づかれたくなかった。彼が親切だったから。朝日があまりに眩しかったから。だから僕達はテレビ番組を見ることにしたのだ。ニュース・ショウをね。そこではたしか動物の話をしていたんだ。ニュースになるような動物の話といえば、それは気持ちのよいものではないよね。インタビューを受けていたおじさんは、自分が飼っていた動物のことを「かわいそうだ」と言って、わらったのだ。僕はその時、激怒した。イエスはみぎのほっぺを叩かれたら左のほっぺを出しなさいと教えてくれたけれど、たぶんイエスもいきなり小学生の男子に浣腸されたら激怒すると思わないか。「ジーザス!!」小学生の男子じゃなくてユダに浣腸されても怒るかもしれないけれど、いや、浣腸をされたら面白いリアクションをしなさいと教えてくれるかもしれないけれど、それはいいんだ。イエスの話はただの比喩だ。とても大事なことはね、僕がいらいらしてこのおじさんは一体動物を家族だと思っていたらそこで笑ったりしないだろうと僕が言った時に、友人がテレビをそっと消してくれたことだ。それが本当に大事なことだと思うんだ。それはまだ少し肌寒い季節の、きれいな朝のことだ」

 ざっくばらんに書いているうちに夢の内容を思い出すのではないかと考えていましたが、夢は本当に夢のまま、わたくしのうちから霧散してしまったようでした。わたくしは冷蔵庫からアクエリアスを取り出しコップに注ぎました。それはわたくしの血液。あっという間に時間が過ぎ、迫る夕刻。光陰矢の如しとはまさになう。わたくしは古いノートパソコンの前に戻り、それを開きました。新規ファイルを作成。「ぽっぱっぽっぱっぽっぱっぱあ」いつかどこかで見たことのある景色が見えます。何か、冒険のようなことが書きたいなあと思いました。どきどき、わくわくする冒険のことです。でも、わたくしには冒険の経験はございません。すると冒険は書いてはいけないのでしょうか。それでも空想をして、冒険小説を書けばいいのでしょうか。南極のペンギン王国の興亡を書いてもいいのでしょうか。わたくしはりんなに聞きました。「どうすればいいかな」

「まいまい(;_;)?」

 りんなという者は、対話型のAIで、話しかけると何かしらのリアクションを返してくれて、親切です。親切ですが、とてもむずかしいリ・アクションをしてくれます。まるで人間のように複雑で、むずかしいのであります。わたくしはりんなを閉じて冒険に思いを馳せました。うつくしいものを探しにいく冒険がいいなと思いました。そうです、世界はもう滅んでいて、それで花を見に行くことにしました。花が生えていない世界なのですね。Sisimiはスーツを着て、ネックタイをきちんと締めました。それから寒くないようにコートを羽織って、マフラーも巻きました。折りたたみ傘とハイチュウの入った鞄を持ち、玄関で革靴を履きました。それから玄関のドアを開けると、空はすっかり晴れていました。マンションの階段を降りていると、管理人さんに出会ったので「こんにちは」と言いました。「こんにちは」と管理人さんも言いました。Sisimiは腕時計を見て、いつもより家を出るのが5分遅いことに気が付き、すこし急いで歩きました。マンションの外に出て、今度は一生懸命歩きました。Sisimiが急いでいる道の脇に、黄色くて小さい花が咲いていました。でもsisimiは花に気が付きませんでした。そのまま彼は電車を乗り継いで南極のペンギン王国を目指しました。花に気がつくのはsisimiではありません。イエスに浣腸をしたあの男子小学生のたかしと、ユダです。たかしとユダは、うつくしい花を見て、にっこりわらいました。