感覚
今日も出勤だったんだけれど、会社には本当に僕しかいなかったし、僕しかいないという事態は以前から通常の業務に組み込まれていたことだから特にどうのこうのと考えることはないんだけれど、僕がひとりで放心しているだけなのに業務に支障が出ないという点についてじっくり考えてみると、おそらくもともとたくさんの人が出社する必要なんてなかったってことなんだなあ。
会社に行って働くというのが、今となってはまるで因習であったかのような、そして今、弊害が取り除かれたあとのような、ごく静かな平日の職場はうららかでのんびりしている。
例のごとく腕立て伏せとスクワットをして過ごし、たまに少ない仕事をして、グーグルマップで世界の道を歩いてみたりする。時にはスマートフォンで読書をする。最近はハンス・クリスティアン・アンデルセン全集を少しずつ読んでいるのだけれど、文章表現に特徴があって非常に面白い。童話内の文章表現の面白さというと、宮沢賢治さんにもやはり同じことが言える。この共通点はたぶん偶然ではないと思うのだが、童話をそれほど読んでこなかったので、たいしたことは言えない。でも感覚が僕にうったえかけている。
お昼になったらひとりで休憩室に向かい、ひとりでご飯を食べる。すごく静かだ。空気がいつもより密度を増して、ずっしりして、青黒くなっている感じがする。僕は人のいない職場をしょっちゅう歩き回っている。何か異常がないか確かめている。作業部屋の機材が、きちんと準備出来ているかを確かめている。そうして物言わぬ機械の間をゆっくり歩いていると、墓守になったような気分がした。機械を見て回るだけの機械の僕はラピュタを徘徊するあのロボットみたいでもある。
退勤後、本の街神保町をたずねた。
特に用事があったわけでもないんだけれど、僕はどうにも靖国通りのあたりを歩き回るのが好きでしょうがない。
ぶらぶら歩いて、結局は書泉グランデと三省堂に吸い込まれる(意思とは関係なく吸い込まれる)。
今日は三省堂で村上春樹さんの新しい本を見た。
パッと見ではどういう趣向の本なのかよくわからなかった。ぱらぱらと読んでみると、春樹さんが持っているTシャツの写真が載っていて、Tシャツにちなんだ短い文章が載っていた。Tシャツも、また文章も、まったく固いところがなく、気が抜けていた。なんだかよくわからない本だなあと思い、レジに持って行った。
レジに向かって歩いている時、足が一度止まりかけた。僕はこの本を買うのか!? なんで!? と思った。
なんでだろう。
ほんとうにすごく気の抜けた趣旨の本なのだ。
でも僕はなんだかそれがほしいのだ。