4月23日

 命を分割すると個人の所有する特異点も二つになる。

 20時を少し過ぎたくらいだったろうか。
 オンデマンド方式で映像作品が見られるウェブサイトに接続し、超能力を持ったヒーローたちが内なる「人間の欲望」によってモラルに反する行為をするのを普通の人が、普通ではない方法によって裁く、といった内容のアメリカ産ドラマを見ながら、ワイングラスで日本酒を飲んでいた時のことだ。
 裸電球のぶら下がる薄暗い部屋の隅にある小さな木の机の上のモニタを眺め、椅子の背もたれにもたれ、ワイングラスを傾けていると、野獣のような素早さ・筋力を持った女性の登場人物が忍者のような性質を持った黒い登場人物に小刀で腹を刺され地に伏し、一見して絶命したように思われたが、彼女に複雑な思い(信頼、あるいは信頼したいという願望、おそらく仲間意識も)を寄せる人間の登場人物が駆け寄り、彼女を抱き起した時、なんと彼女は目を開けて、生きている。
「きみは奇跡だ!」と人間の登場人物が叫び、画面は真っ暗になりエンドロールと相成った。
 僕はヘッドホンを外して耳を伸ばし、きみは奇跡だ、と呟いたあと、カーテンの隙間から見える空の暗さに気が付く。
 夜の空はエンドロールに似ていた。

 エンドロールについてぼんやり考えていると部屋のチャイムがディンドン鳴らされる。
 こんな夜中に誰であろうか。もしかしたら不審者かもしれない。僕はポケットに友人からもらった知恵の輪を忍ばせた。
 不審者だったら知恵の輪で気を引き付けておいて、その間に逃げようと考えた。
 とても難しい知恵の輪なので、たぶん5年くらいは大丈夫と思う。

 玄関ドアのカギを外し、ドアの隙間から外をうかがうと、黒い山高帽をかぶったスーツの男が立っている。どことなく猫みたいな顔をした痩身の中年で、彼は僕を認めると嬉しそうに笑った。
「ししみさんこんばんは。突然お邪魔してすみません。わたくしはこういうものです」
 猫男は胸元から四角い紙片を出して、うやうやしく差し出した。
 そこには、安頓科技 王応歐と書かれている。いわゆるひとつの名刺のようだ。
 僕は名刺を受け取り、「どうもご親切にありがとうございます。すみません僕は名刺を切らしておりまして」と言った。
 そしてポケットに手を入れ、「名刺代わりに知恵の輪をどうぞ」と言って、知恵の輪を差し出した。
 王さんは知恵の輪を受け取り、銀色に光る謎のかたまりを眺めていたが、しばらくすると知恵の輪をいろいろな角度から観察し、かちゃかちゃやりはじめた。論理渦に囚われたのだ。
「王さんあなたはとても親切な人だったでもひとつだけ間違いを犯した。それは僕が極度の人見知りだということを知らずに僕の家を訪れたことだ僕にとって僕以外のすべての人間は不審者であると言って過言ではなかったのだよ。それでは、さらばだ」
 と言ってドアを閉めようとしたとき、誰かの手がドアの端をつかんだ。
 驚いて顔を上げると、王さんの隣には僕が立っていた。

「君は僕以外のすべての人間は不審者だと言った。それなら、二人目の僕は不審者にあたるだろうか?」
 と外にいる僕が言った。その声は僕の声だった。
「僕が二人いるなんてことは聞いたことがない!」と僕は言った。
 外にいる僕はしばらく赤べこのようにうなずいていた。
「僕が二人目の僕のことを知らないのも無理はない。何しろ僕はそこにいる王さんが務めている会社、アントンラボによって作り出された僕のクローンなのだからね」
「クローンだって? どうしてクローンがここに?」と僕は驚きながら言った。
「どうしてってそれは、商売のためだよ。セールスマンが突然人の家を訪ねる理由といったら、それは商売のためでしょうが」と二人目の僕は言った。
「王さんは営業に来たというわけ?」
「まさしくそのとおりだよ。今は論理渦に囚われ、人の形を喪失しようとしているようだけれどね」
「でも王さんにもクローンがあるから?」
「安心というわけさ!」
 僕と僕はハイタッチをした。

 

つづく