よかったです

 全く知らない人から頑張りを認められた。

 朝8時に出勤しデスクの前でいつものようにぼうっとしていた。
 ぼうっとするのは会社で一番得意だった。
 外線電話がビルルと鳴ったので、受話器を取った。
「もしもし僕はししみです。誰ですか」
「もしもし俺は先輩だ。ししみさん今日の責任者は誰ですか」
 ホワイトボードを見ると、今日の責任者はししみになっていた。
「今日はししみです」
「ししみさんか。ではししみさんに言います。俺は熱が出た」
「馬鹿な」
 聞けば37℃の熱だという。
「それでね、俺は偉い人に相談しました。熱があるから休んだ方がいいですねと」
「危険な感染症を保持している可能性が?」
「……ああ」
 先輩は重々しく吐息を漏らし、こほ、こほ、とうるさくない程度に咳き込んだ。
「こういうご時世でもあることだし、つまり俺は会社を休んだほうがいいと思うのだ」
「道理でござぁな」
 先輩が本当に感染していたら会社全体が封鎖される可能性すらあるかもしれない。
 会社が封鎖されると売り上げが落ち込んで倒産するかもしれない。
 倒産すると先輩も僕も路頭に迷い泥水をすすって飢えをしのがなければならなくなる。
 泥水はおいしくないからいやだ。
「というわけで俺は休むのだが、つきましては俺の業務をししみさんにやってもらいたい」
「わかりました。おかゆを食べて寝てください」
 電話を切った僕は、再び忘我の境地へ至った。
 だいたい5秒くらいで自分が何者かを忘れることができる。
 ぼうっとしすぎて視力が0.1くらいになった頃、本日の相棒のWさんが話しかけてくれた。
「ししみさん、あの先輩の分まで働くとなると13時間くらい会社にいることになりますね」
 Wさんは高いモラルを持っている親切な人だった。
「そんくらいになりますね」
「大丈夫ですか、体力的に、きつくないですか」
「実のところ全く問題ないのです。何しろ僕はぼうっとしているだけなので」
 Wさんはフハハハと笑った。
「さっき山岡さんにラインを送ったんですけど、ししみさんを褒めていましたよ」
 全然知らない人の名前が出てきたので、僕の首が10センチくらい伸びた。
「どうして僕が褒められるんです?」
 これを御覧なさい、とWさんは自前のスマートフォンを見せてくれた。
 画面には山岡さんとWさんのやりとりがある。
 その中で山岡さんが「ししみさんはいつも頑張っているね」と書いてくれていた。
「うーん、やっぱり見てくれている人というのはいるものですね! ほっほっほ」
 よい気分になった僕は、メモ紙に「よい気分になった」と書いた。
 その時、僕の脳裏に、ある考えが生まれた。

 いつも元気だとか、いつも明るいとか、そういう人って、そういう人であるというだけで価値があるのでは?
 人は疲れるし、悲しむし、怒ってしまうこともあるし、暗くなることもある。
 だから、いつも元気でいること、いつも明るいことは難しくて、おそらく自然ではない。
 自然に振舞うなら、常に元気で明るいという状態にはならないはずだ。
 いつも元気で明るいという状態は不自然だ。不自然な状態が継続するということは、そこに意思があるということだ。
 いつも元気で明るい状態でいたいという継続的な意思とは、努力のことをいうのではないか?
 では、なぜそんな努力をするのか。人を喜ばせるのが楽しいからだ。
 いつも元気で明るい人の価値とは、つまり人を喜ばせたいという意思の価値だ!
 そうか、そういうことだったんだ。元気の正体は意思なんだ。明るさも、面白さも、意思なんだ!
 お笑い芸人、youtuber、アイドル、スポーツ選手、棋士、漫画家、彼らの意思こそが価値!
 意思こそが嬉しさの、やさしさの、感動の源だったんだ!

 ぼうっとそんなことを考えていたら、13時間はあっという間で、窓の外はすっかり暗くなっていた。
 全く仕事をしなかったけれど、なんかすっきりしたので、よかったです。