シミュレーション

「日曜日に面倒なアレがあるので、Gさんとシミュレーションしておいてよ」とモヒカン先輩はつぶやいた。シミュレーションとは最大限の準備を意味する言葉で、1から10まで誰にも質問をせず作業を終えられる状態を完了とする段取り作業だ。段取り八分という言葉がある通り、準備はとても大事である。床屋さんはハサミが必要だし、ギタリストはギターやアンプが必要だ。そして僕とGさんにはシミュレーションが必要だったので、二人で並んで椅子に座り、しばし静寂の中で黙想を為したのち、パソコンを使って準備をすることにした。
 
 段取りは、準備は、シミュレーションとは、つまり想像力を駆使して行うおままごとのようなものだと思うのだけれど、日曜日の面倒なアレは、簡単に書くとピクニックなので、僕はまず水筒が必要だと思った。
「喉が渇くので、水筒が必要です。それも、大きな水筒です」と僕は言う。
「小さい水筒では駄目なんですか」とG君は言う。
「大きい水筒がいいでしょう。山には水を汲める場所が無いからです」
 G君はメモ帳に「大きい水筒」とメモをした。
「熊よけの鈴が必要です」と僕は言う。
「熊がいるんですか? 本当ですか?」とG君は言う。
「おそらくいないでしょう。しかし備えあれば憂いなしという言葉もある」
 G君はうなずき、熊よけの鈴、とメモをした。
「虫除けスプレーは?」とG君は言う。
「とてもすばらしい想像力です。必須ですね」と僕は言う。
 G君はほほえみ、虫よけスプレー、とメモをした。
「大変なものを忘れていました、地図です。地図がなければどうしようもない」と僕は言う。
「ししみさん、そのことで案があります。地図は記憶していこうと思うんです」とG君は言う。
「馬鹿なッ」僕は興奮し、拳をテーブルに叩きつける。「無理に決まっているッ」
 もちろん本気ではない。G君は僕の数倍の記憶力があり、彼が提案するならきっと実現する。
「うふふ、言ってみただけです」
「そうなんだ、じゃあ持って行くことにしようよ」
「そうしましょう」
 G君は地図、とメモをした。
「丘の上に登ったら、景色を眺めよう」と僕は言う。
「何が見えるんですか?」とG君は言う。
「空と町と海が」
 G君は、空と町と海、とメモをした。
「そういえばししみさん、雨が降ったらどうなりますか?」とG君は言う。
「とても良い発想だよ。とても良い。それはついぞ思いつかなかった。レインコートを持ってゆこう」
 G君はレインコートとメモをして、アンダーラインを引いた。
「ランチは?」とG君が聞く。
「荷物になるので、必要最小限にしよう。おむすびがいいだろう」と僕は言う。
「具は?」とG君が聞く。
 僕は深く考え込んだ。今までで一番解答が難しかった。おむすびの具の最適解とは一体。
「うめぼしはどうだろうか」と僕は提案する。「腐りにくくなるというし」
 G君はうめぼしのおむすび、とメモをした。
「頂上に到着したら、モヒカン先輩に電話をかけよう」と僕は言う。
「なんて言いますか?」とG君は言う。
「頂上に着きました、晴れていたら景色が綺麗です、雨だったら雨が降っています、と言うことにしよう」
 G君は、景色が綺麗です、雨が降っています、とメモをした。
「僕は、帰りは同じ道がいいと思います」とG君は言った。
「それは安全だね。安全な道で帰ろうね」と僕は言った。
 G君は帰り道は同じ、とメモをした。
「町に戻ってきたら、電車に乗って帰ります」とG君は言った。
「そうだね。またね、って言おうかな」と僕は言った。
「それは確定ですか?」
「最後のあいさつは、自分たちにだけ分かればいいから、なんでも大丈夫のはずだよ」
「じゃあ、そこだけは、その場の雰囲気で決めませんか」とG君は提案した。
 僕は顔を伏せた。
「G君、こんなことを言うと、きみはひどく驚くかもしれないが、僕は時々とんでもなくアホなのだ。本当に、想像もつかないくらい、アホなのだ。だから最後のあいさつをする時、もしかしたら何を言えばいいのかわからなくなるかもしれない。そうならないためにも、僕はまたねと言う、と決めているんだ。G君はなんと言ってくれても、それはもちろん一向にかまわないけれど、僕はアホのようにまたねと言うから、その時はどうか笑ってほしい」
 G君はしばらくメモ帳を見ていた。
 それから、またねと言われても笑わない、とメモをした。