月休映行

 月休映行。

 昼寝坊して、起きてみると窓の外はもうすっかり晴れておるようで、台風が通過してしまったのでしょう、早朝は交通機関が乱れて大変だった気配がありましたが、いずこからか蝉の残党の声も聞こえていたりして、もうすっかり平静平穏のようでしたから、今日は読みかけの本を読み終えてしまうことにしましょう、リビングのマットレスに寝転がって、尋常の休日の通りに小説を開きますけれども、一体何度こうしてきたか、もう数える気持ちもありませんけれども、何度こうしてみても、ぜんぜんまったくこれっぽっちも飽きない。これは誇張もなく、僕の好きなこと。これはいささかの迷いもなく、僕の愛していることです。

 ポテイトチップスをつまみ、プリングルスもつまみ、芋と文字に囲まれた小三時間を過ごしたのち、読み終わった本を本棚にスッ……と置くことは儀式のようなもので、「これは読んだ本です」と自分に知らせること、自分自身に分からせておくことは、とても落ち着くこと、安心することでありました。東京に引っ越してきた当初、僕は持っていた本のほとんどすべてを手放さなければならなかったから、本棚は全く空っぽで、とても寂しい思いをしたけれども、今となっては、あれから長い年月が経った今となっては、本を差し込むスペースがないという困りごともありつつ、やはり溢れ出るくらいの愛着があることは、愛別離苦の恐ろしさとトレードオフの喜びでいいです。失敗を恐れていたら、本当に何もできなくなると思うので。僕はよく生きるために何もしないことを選びますが、何もしないために生きているわけではないものな。

 本を読んだあとは、月休映行。
 これも習慣ではありますが、読んでいない本を鞄に入れてお財布も入れて、それで炎天下に乗り出す時、それはすこしくらいは面倒くさいなあという気持ちもあります。しかし楽しみが常に上回っていますから、蝉が奏でる複雑なリズムを聴きながらバス停に向かい、乗り物を待つ間は、世界最強の照明であるところの太陽光に照らされて、真っ白に光を反射している本のページを、文字を、見つめています。そんな僕を、前に立っていたおばあちゃんが、じっと見てくるの「見ないで、見ないで」と思います。おばあちゃん、僕に何かついているのでしょうか。バスが来て、バスは涼しいです。

 映画館に着きましたら、ルーティンになっていることですが、ステーキを食べます。もう一体、何枚ステーキを食べたのかわかろうとも思いませんけれども、脇目も振らずステーキを食べていると、昔の僕では絶対に感じ得なかった幸福という気持ちが、浅はかな浅ましい幸福だと思っていた食べ物による充足が、実に率直に素直に感じられるようになったのです美味しい食べ物を食べると幸福だなあと思うようになったのですそれは、僕が不用な気持ちを捨てられたからだと思います生きることに命がけだったので、生きることに邪魔な思考を捨てられたからだと思います。ステーキを食べた後に、かわいらしいワッフルも食べてみました。さくさくふわふわもちもちで少しチーズの味がしますアイスを乗せて食べると甘みを吸収した生地が、たまらなくやわらかく香りのいい生地が、まるで別物のように重層的な甘みを放ちます。あまりの美味しさに悪いことをしたような気持ちになり急いで食べました。それから本を読みました。とてもおもしろい本なんですよ。シロクマのレプリカを作っている工場のお話です。のめり込みます。

 映画を見ました。今日見た映画は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」という映画で、これは本当にへんてこで、あまり綺麗な言葉ではない言葉で言うならあらゆる文脈でくそぶっ飛んでいたので、僕は普段映画のおすすめとかはしないのですが、おすすめはしないですが、とても見る価値があると思います。特に古い映画が好きな人は、ありますと思います。