新しい本屋さんを現す

 夜、訪れたことがない本屋さんの看板が白く赤く灯っている、矢印は左向きで、ビルの中に吸い込まれている。威圧感のあるビルの、トンマナ合わせた格好と感性を、僕は持ち合わせていない。ポケットの中のスマートフォンは、なんだか埃っぽいし、髪の毛も照ってはいない。もしビルの中に頭突きコミュニケーションが得意なヤギがいれば、あるいは20匹のカエルが喉を膨らませていれば、僕は赦されたような気持ちになっただろうに、東京のビルは人の巣であることが息苦しい、それはなぜかと考えると、やはりいちばん恐ろしい最強の動物だからだった。
 ビルを指している白赤の看板に導かれるままに、本屋さんを尋ねることにする時、通行許可証を持っていないから、すこし緊張している。新しい場所をたずねることは、自分の居場所を広げることだけれども、世界を狭める行いだ。宇宙は果てしなく広いけれど、宇宙のマップに進むためには、人類のレベルが低すぎるから、より狭く深く脳内とかをマッピングしている。
 ビルの中は煌々と明るく、外の道にわらわらと溢れていたサラリーマンサラリーレディサラリードッグサラリーソノモノなどが可愛く見えるほどに烏合烏合していて、あちらこちらでごうごうと風のような笑い声が聞こえてくる。本日は酒宴で、みょうにちも酒宴だろう。ここは酒宴ビル、ここは忘却の塔。許可証はジントニックですキューバリブレです、高く舞えば舞うほどに白くはっきりと眩しく灯る光、高らかに上がる楽しげな声、ひとよかぎりの蜃気楼が屋内に充満して酒気を帯びている。うつむいてすすんでゆきます。
 四方を煉瓦に囲まれたビルの通路、左右の道におしゃれな食べ物屋、タピオカ屋、ハンバアグ店、ラアメン店、階段などが設置されてあるけれども、目的の知的財産店がなかなか姿を現さず、しかたなく壁にひっついていた地図などを見てみると、地下1の右っかわのはしっこの奥の奥のずっと片隅に、ちんまり収まっているの、さすが本屋さんだった。本屋さんは喧騒から遠い。本は静かに読むものだ、本は現実よりよほど騒がしい。
 天井の低い、天井まであるような本棚の密集した、白と黒の本屋さんにたどり着いた時、もう何度も何度も数え切れないくらい感じたわくわくをまた感じている。本の背表紙に呼ばれている。それが好きだったし安心する。本棚の間を回遊し、一冊一冊が巨大なサンゴ礁か島のようだ。背表紙から物語が現われる。知識がいざなう。僕を手にとって読んだほうがいいよ、と彼らはひどく元気だ白く照らされて、こんなにもにぎやかに咲いていて群れをなして、走りもせず這いもせず凛として、何かの予感を含みながら何かを待っていた。僕はヤギだったらよかった。物語を食べるヤギだったらよかったな。使い古して、少し壊れたボールペンのために、替芯を三本買って、もう何も目にしないように目を閉じたら、小さくて狭いマップには新しい色がついて、新しい居場所が表示されるようになる。その分世界は狭くなるけれど、僕が訪ねてみるまで、本屋さんは、ただの真っ黒の壁だった。