悪意と誇り

 おそらく秋で、天気は雨で、午後四時くらいだったと思う。
 ひとりきりの部屋でゲームをしていると、玄関の戸が開く音が聞こえた。
 父は出張に出ていたから、母か姉が帰宅したのだろう。
 居間に向かって開かれた自室の戸を見ていると、予想通り姉が現れた。
 中学に上がったばかりの姉は重そうな学校指定通学バックをソファに投げ下ろした。
 冷蔵庫が開かれる。モーターがぶーんと低くうなる。
 コップをテーブルに置いた時の硬質な音。それからペットボトルから液体が落ちる音。
 僕は光を放つ特殊な鉱石に囲まれた洞窟でモンスターを倒し続けていた。
 モンスターを倒すとファンファーレが鳴り響き、対価が支払われた。
 経験値が貯まってレベルが上がると、気分が良くなる音楽が流れる。
 ちからやすばやさやまりょくが上がると、モンスターをより早く倒せるようになる。
 モンスターを倒すためだけにモンスターを倒している時、モンスターよりもモンスターだった。
 服を着替えた姉が隣にあぐらをかいた。絨毯の上にコーラの注がれたコップを置いた。
 レベルが上がったよ。聞こえてた。ねえ聞いてよ、傘を壊された。
 おそらく暗い表情をしていた。泣いているわけではなかった。姉は怒っていた。
 ロボット公園で友達と遊んでいた。H子ちゃんとA美ちゃんとタイヤをリサイクルした座面のブランコに乗って適当に話していた。小さな子どもが汚れた靴で立ち乗りをするからいつも泥だらけのあのブランコだ。適当にぬぐって座った。帰る方向が一緒だからH子ちゃんとは結構そういうことをする。今日はたまたまA美ちゃんもいたからたくさん話すことがあった。肩肘張らず適当に話すのが楽しいのだ。買い食いはしなかった。ロボット公園は団地の近くにあるから保護者が見たら告げ口をするかもしれないから。でも本当は飴を食べた。あんたは真似をしてはいけない。あんたは適当じゃないから。
 うなずきながらモンスターを八つ裂きにして燃やして氷漬けにして呪ってお金を掠め取った。
 友達と話している最中は雨は降らなかった。傘はブランコの横の柱に立てかけておいた。それから解散することになった。A美ちゃんは反対方向だから来た道を戻った。H子ちゃんとあたしは話しながら土手を歩いてきた。H子ちゃんの話は面白い。ドラマにはまっているらしかった。駄菓子屋の階段のところでH子ちゃんと別れた。ひとりで土手を歩いている時に雨が降ってきた。その時にやっと傘を忘れたことに気がついた。雨は小降りだったからそのまま家に帰ってきてもよかった。でも傘を忘れたことにお母さんが気づいたら、たぶん怒られる。だからあたしはロボット公園に急いで戻った。本当に急いで戻った。すこし走った。戻った時、あたしは目の前の光景が信じられなかった。ブランコの前に、骨がぐしゃぐしゃになった傘があった。少し泥がついていた。傘が放置されたのは本当にわずかな時間だった。走って戻ったんだから、本当にちょっとの時間だった。傘は自然に壊れたようには見えなかった。誰かが壊したに違いなかった。ねえ、どうして傘を壊す必要があると思う? 傘を壊してどうなるの?
 姉は泣いてはいなかった。ただ純粋に、とてつもなく怒っていて、戸惑っていた。
 犯人はだいたい分かっている。ロボット公園の近くの団地に住んでいて、あたしの傘を壊しそうなやつは分かっている。きっと窓からあたしたちが遊んでいるのを見ていたんだと思う。あたしが傘を忘れたのに気づいて、わざわざ壊したんだと思う。そいつは敵だ。あたしは明日絶対に敵を傘と同じ目に合わせたいと思う。
 僕はゲームの手を止めた。その傘はどこにあるの?
 公園にある。だって持ってくるわけないでしょ。お母さんが買ってくれた傘だよ。ぐしゃぐしゃになった傘を見せるくらいなら、忘れたことにする。