それはただの心配性

 それは大丈夫だよししみさん、全然大丈夫。心配するだけ無駄というものだよ。何しろまだ一度も誰も怪我をしていないのだからね、と言う人の尻拭いを何度かして、あるいは被害を被ってみて思うんだけれど、大丈夫だよと根拠もなく言う人は、他者に危害を加えるつもりなど毛頭なくて、ただ未来が少しも見えていない。僕に未来が見えているのかと言われると答えはノーだけれど。僕は心配性だ。

 状況を説明するとこうなる。
 まずA氏は部屋を区切るために、天井にカーテンを取り付けようと考えた。カーテンを取り付けることによって部屋を自由に分割することができて便利になるのだ、とA氏はわくわくしている。良い考えだと僕は思う。そういう試みはぜひともやってみるべきだろう。環境を変化させることで見えてくることもきっとあるのだろう。ところで天井にはカーテンレールをつけるのかい。あるいは壁に釘でも打つのかい。君はどういう工作をするんだい。
 工作なんてそんな面倒なことをすると思うのかいこの僕がはっはっは、とA氏は高らかに笑う。とても簡単な手順なんだよ、まずはカーテンを100円均一ストアで買ってくるだろう、それを画鋲で天井に止めるだけなのさ。全くお手軽にビフォーアフターなのさ。匠の技をご覧あれ。
 ぞっとした。

 画鋲という表現をしているだけでA氏はきっと何か特殊な、天井にくっつけても取れない道具を使うのだと思った。あるいは普通の画鋲を使うにしても、たとえば画鋲の上にダクトテープをべたべたに貼っておくとか、ある程度の補強、もしくは画鋲が「天井から落ちてこない工夫」をするんだろうなと思った。詳しいことを聞こうとする僕を、もはや少し邪魔くさそうにしてA氏はそんなことはしないったら、ただ画鋲でカーテンを留めるだけだよと言ってきかない。ついにはオフィス用のコロコロのついた椅子の上にぐらぐらしながら立って天井に画鋲を刺しはじめた。画鋲はカーテンの厚みと重みで、作業直後にもかかわらず取れてきそうな気配を濃厚に漂わせていた。ひとつひとつの画鋲の接着力が貧弱だから、A氏は無数の画鋲を天井に留めた。あまりに多いのでひとつくらい落ちてきても気づかないだろうなと思った。
 もちろん僕はA氏を止めた。気を確かに持ってくれ。この地球に重力がある限り、必ず画鋲は取れてくる。ニュートンでなくともそれは分かる。君がまめに画鋲を押し込み、数を数えて落下した画鋲がないか毎日数えるなら話は別だが、そんなことは絶対にしないだろうし、いつか必ず画鋲がおっこって君の足の裏に突き刺さる。いいか必ずだぞ、必ずそうなるから、こんなことはやめなさい。何度も言って聞かせたけれど、A氏はワッハッハと笑うばかりで相手にしてくれなかった。
 しばらくしてから彼の家を訪ねると、部屋を区切っていたはずのカーテンは外されていた。画鋲も撤去されていた。カーテンはやめたのかいと聞くと、結局画鋲が落ちてきてふんじゃってやめたんだ、その時は暗かったから気づかなかったんだ、とA氏はもにょもにょ言った。僕はなんだかぶるぶる震えてきた。よくわからない。全くよくわからない事態だ。誰が考えても間違いなく事故が起きる現場で事故が起きていた。そんなときどんな顔をすればいいのか全くわからない。

 A氏はおしゃれなので、作業机の上にたくさんのビンを並べている。ビンだ。なんのビンなのかは定かではないけれど、色紙の入ったビンや、光るビンなどが並んでいる。それはもちろんテーブルの上に好きなものを並べておくのは、きれいだから良い気分だし、いいと思う。けれどビンの他にも本や書類、洗っていないマグカップが3つ、アクションフィギュア、パソコン、ライター、サングラスなど、とにかく物で溢れかえっており、本などは机から半分はみ出しているくらいで、特に使うようなものでもないビンにおいては机のはじっこギリギリに寄せてあるし、物体がつねにクリフハンガーしている。リアルを極めたジェンガのようでもである。落ちても壊れないものはとにかく、ビンは机から落下したら割れるので、違う場所に置いたらどうか、とおせっかいに提案をしてみたのだけれど、A氏はいつものように楽観的にバハハハと笑い、もう一年くらいこんな机だけど全然平気だからね、これが僕のベストなんだよししみさん! と言ってはばからない。人の机にとやかく言いすぎるのも野暮なので、ふうんそんなものかあと答えてから3ヶ月後くらいに彼の部屋に行くと机の上からビンが一掃されていた。ビンは机から落ちて割れたらしい。その時すこし酔っ払ってて机にぶつかっちゃったから仕方なかったんだなあへへへとA氏は言う。なんと言えばいいのだろうか。なんと言えばいいのだ。だんだん間違っているのは自分の方なんじゃないかと思えてくる。足に画鋲が刺さった方がA氏は幸せなのだろうか。ビンが床で粉々になってガラス片が部屋中に飛び散ったのを酔っ払って指を切りながら掃除するほうがありがたいのだろうか。 

 A氏の行動に対して、もうあまり口を出すのはやめようと思っているのだけれど、先日彼の家を訪ねると、ガスコンロの真上の壁にガムテープでカレンダーが貼ってあった。何故そういうことをするのか、僕は本当にまったくわからない。わかりたくもない。
 本当に口を出すのはやめたいんだけれど、辛抱できなくなり「これ、剥がれてきた時にコンロに火がついてたら、燃えちゃうんじゃないかなあ?」と、ソフトに忠告してしまった。
 A氏は「そう? 大丈夫だよ」と言って、スマホでゲームをしていた。
 彼がそういうなら、大丈夫なんだろう。
 A氏はスマホのゲームが好きすぎて、月に五万円課金することもあるそうだ。
 大丈夫なんだろう。きっと大丈夫なんだろう。
 A氏はクレジットカードが使えなくなったそうだ。
 大丈夫だ。大丈夫。
 それは僕が気にすることではないんだろう。
 ただ僕が心配性なだけなのだろう。