きらきら

 高校生の頃、音楽のフェスティバルというものがあると知って、憧れた。すごいミュージシャンが集って一日中ライブをやって過ごすのだそうで、見に来る人々はみんな音楽が大好きで、野っぱらを歩き回ってビールを鯨飲したり、見知らぬ者同士肩を組んで歌ったり、時には雨に降られてびしょ濡れになったりするのだとか、それは楽しそうだなあと思ったし、いつか行こうと思っていた。

 高校生ではなくなってもう随分経つけれど、当時に比べると音楽というものに対する真剣さは薄れてしまったけれど、それでも今でも毎日聴く音楽があって、ずっと好きな音楽があって、ずっと好きなミュージシャンがいて、そのミュージシャンがフェスに出るのだということが分かって、そのフェスの日がちょうど会社の休日と重なった時に、行こうと思った。

 フェスには参加したことがないし、出演者の名前を見てもぜんぜん分からないバンドが多くて、すこし気後れしたけれど、ずっとどきどきしていた。会社でもわくわくしていたし、緊張していた。電車に乗って群馬に向かう時も、ホテルにチェックインする時も、前橋駅の周辺をぶらぶらしている時も、何かを待っている気持ちが続いていて、そんな気持ちになることって、最近はすっかり無かった。僕が演奏するわけでもないし、ただ音楽を聴きに行くだけなのに、緊張しているのは何故だろう。どこかへ、ただ観光に行くときとは明らかに心の動きが違うからとても不思議だった。僕は緊張している。それはおそらくステージの上のミュージシャンに、音楽で何か問われるから、あるいは音楽で言葉を受け取ることだから、落語や演劇と違うのは、ロック音楽が剥き出しの言葉だからではないだろうか。だからたぶん、おそれているんだと思う。自分らしさみたいなものを揺るがされるのではないかと思って、あばかれるかもしれないとおそれながら、楽しみにしているのではないかな。

 ホテルの周りに食べ物屋さんがあまり無くて、好きな文章を書く人がやっていたみたいにコンビニで食べ物を買おうかなと考えるとほのかによい気分がする。旅行への姿勢として、僕は旅は生活だと考えているし、生活は旅だと考えていて、その根底に、何年も他人の家で暮らしていたことが関係しているんだと思うけれど、母がこの前言ったみたいに「あたしがいる場所があんたの故郷だ」と同様の意味で、僕がいる場所が僕の居場所なんだ。当たり前のことだけれど。

 夜勤明けで、見知らぬ町を散策する元気もなくなって、意識が朦朧としてきたからホテルに戻ってお風呂に入りながら音楽を聴いた。それからかさかさの真っ白なシーツに潜り込むと、かつて寂しい感触だと思っていた素っ気ないシーツの手触りに、まあまあ心地よい距離感のぬくもりを感じている。眠れないだろうなと思っていたのに8時間ぴったり夢も見ないで眠った。

 目覚めると11階の窓の外は晴れていて、赤城と榛名の裾がぬーんと伸びているのがビルの隙間から見えている。いつまでもだらだらしていたくなった。ニュースを見ながらベッドに寝転がっているうちに何故か、何も用事がないような気分になって、このまま寝ようかなという思いが強くなったから、服を着替えて町外れのドームに歩いて向かった。

 ルールが分からないので人の群れに着いていくことにして、チケットと引き換えにプラスチックのリストバンドを貰い、薄暗いコンクリートの通路を流れのままに進むと、天井がものすごく高いドームの中に進んでいて、アリーナ席にはもう人がひしめいている。所在無い気持ちが強くなって、なんとなくあまり人のいなそうな区画に入って立ち尽くした。立ち尽くしている時、僕はどこでも地蔵なんだなあと思って悲しいのだか楽しいのだか分からない気持ちになった。周囲の話し声や笑い声が随分耳に入ってくるし、携帯を操作するのも本を読むのも場違いな気がしてステージをずっと見ていた。ステージは赤かった。

 しばらく待っていると大きなモニターに龍が出てきて出演者の名前が大きな音と一緒にあらわれる。バンド名が出るたびに、おそらくファンの方が、あちこちでワーッと叫ぶ。僕が好きなバンドの名前が出て来た時、僕も一緒にワーッて言いたい気持ちになったけれどできなかった。でもやっぱりわくわくしていた。

 最初のバンドの人達が現れて、演奏を始める。物凄く大きなスピーカーから出力される物凄く大きな音が、耳の奥でぎーんと鳴り続けていた。最初の方々は、笑ってほしいんです、と言っていた。それで、それまでも笑っていたけれど、きちんと笑っていいんだなあと分かって、笑った。それから何故か運動会になって、大縄跳びを飛んだ。

 僕の好きなバンドの出番が来た時、なるべく彼らが近くで見れる場所がいいなと思い、ステージに近い場所で待った。彼らが真っ白な強い光の中に現れた時、楽しいとかうれしいとかの感情はなくて、ずっと「あっ」と思っていた。何度も聴いた歌を彼らが演奏して、それを口ずさみながら、時々下手くそに手を上げながら、僕は「あっ」と思っていた。どんな行動をすれば気持ちに沿うのか分からなくて、表情もよく分からなくなって、ただ見ていようと思った。歌うのも、手を上げるのもやめて、棒立ちになって、目を奪われながら、笑っているような泣いているような変な顔をしながら、人がそうしているからそうするっていうのはやめて、僕が好きなように見てもいいんだって、たぶんそういうことを彼らは歌っていたような気がしたから、ただどきどきしながら、すこしおそれながら、僕は敬意を払って棒立ちでいたい。彼らは歌を歌って、楽器を演奏して、ほとんど喋ることもしないで、ステージを去った。

 ホテルに戻って、ピザーラに電話をかけた。11階までピザを配達してもらうことにして、かさかさのベッドに寝転がりながら、自分が何を見たのか整理しようとしたけれど、やっぱりよくわからなかったから、よくわからないきらきらしたもののままで、お腹ん中の宝石みたいに、消化されずに残ればいい。