太陽A

 冬である。北風からシベリアのにおいがする冬である。冬はいつも新鮮だ。凍っていて新鮮な感じがする。動物たちは新しい毛をまとう。もこもこになる。人間もまたもこもこになる。あたたかいダウンジャケットを着るようになるからである。東京の駅にはもこもこの人間たちがたくさん現れる。そこにさっそうと少年Aが現れる。匿名の少年Aは、季節外れの薄着である。しかし一向に寒がっている様子はない。むしろ不敵に微笑んでいるくらいである。一体少年Aはいかにして寒さを退けたか? それは少年Aが独り占めしている「世界の秘密」に関係している。ある寒い日、少年Aは気がついてしまったのだ。寒い時にはヒートテックを着ればよいのだと。

 ユニクロという衣料メーカーが開発したヒートテックという素材を使ったシャツは、一説によると着用することで体感温度が3℃上がると言われている。少年Aはユニクロのチラシを見ながら、考えたのだ。ダウンジャケットを一枚買うより、ヒートテックのシャツを三枚買った方が安く、かつ効果的なのではないか? 少年は自らの理論を実証するため近所のユニクロに走り、ヒートテックを三枚購入した。急いで家に帰り、三枚重ね着をした。着用が済んだ瞬間に滝のような汗が流れた。一枚につき3℃上がるのだから、三枚重ねると9℃も暖かくなる計算である。少年は汗だくになりながらその場で飛び上がって喜んだ。ダウンジャケットが無くても、もう寒くない。とても嬉しい。もっとたくさんヒートテックを買って、もっと暖かくなりたい。少年Aは貯めていたお小遣いをすべてヒートテックに変えた。集めた枚数は100枚を超えていた。熱に換算するとおよそ300℃である。もう少年Aは暖房をつけることすらしなかった。ヒートテックさえ着ていればよかった。それどころかヒートテックには様々な使用法があった。やかんにお湯を入れ、ヒートテックを大量に巻きつけることでお湯が沸くことに気がついたのである。今や少年Aは熱の覇者であった。彼はヒートテックでお風呂を沸かし、ヒートテックでステーキを焼き、ヒートテックで除雪し、ヒートテックで宇宙ロケットを飛ばすことに成功した。少年Aが発見した画期的なヒートテック使用法が世界を変えたのだ。少年Aは幸福に暮らした。

 少年Aはいつのまにか老人Aになっていた。死の床で老人Aは幸福であった。彼が生涯を共にしたヒートテックに包まれていたからだ。私はたくさんのものをあたためた、と老人Aは思った。ヒートテックのおかげで、心はいつもぽかぽかしていた。老人Aのほほを涙が伝う。それは感謝の涙だった。老人Aは彼を見守っていた孫たちに最後のお願いをした。私が死んだら、数え切れないほどのヒートテックで包んでほしい。老人Aの願いは聞き届けられた。老人Aの棺桶は宇宙ロケットに格納され、打ち上げられた。船内の仕掛けが膨大な量のヒートテックを一枚、また一枚と老人にかぶせる。ヒートテック内部の熱が臨界点に達した瞬間、それは激しく燃え上がる。ヒートテックは更に勢いを増して炎にくべられる。ロケットは燃え尽き、巨大な火の玉になり強く発光している。火の玉はやがて人智の及ばぬ大きさまで成長し、圧倒的な熱を放射しながら宇宙空間を永遠に漂うことになった。老人Aは、太陽になったのだ。そして今も絶対零度の宇宙をあたため続けている。