街角ダンス
非常にたびたび街角で、誰も見たことがないステップを踏みます。
大した用事ではないのだけれど、七月の記念のために田無に向かう。
地下鉄を乗り継いで都営大江戸線へ。
大江戸線の窓も、ほかの路線と同様に開いている。換気のためだ。
しかし僕がよく使う路線と大江戸線では、大きな違いがあった。
窓の外からとんでもない轟音が響いてくるのだ。金属が軋む激しい音と地響きで鼓膜が三枚ほど破れた。
窓を開けているから余計にやかましいのだと予想がたつが、それにしても僕以外の乗客は全く何の異変もないような顔でスマホなどいじっていたりするのには少し笑う。
人はどんなものにも慣れてしまうから頼もしい。
世界の終りがきたらこの100倍はうるさいのだろうなと思いながら窓の外を眺める。
トンネルの壁が窓のすぐそこまで迫ってきて、車体が傾いているかのような、不思議な気分にさせられた。
おそらく大江戸線のトンネルは狭いのだ。だから音もよく響くし、世界が迫ってくるような感じがする。
僕はそれがすこし楽しい。
新宿西口から西武新宿へ歩き、田無行きの電車に乗る。
なんとなくこぢんまりしたかわいい電車で、乗客はそれほど多くなかった。
本を読んでいるうちに田無に到着する。
携帯で地図を見ながら目的地に向かうと、シャッターが下りている。
どう見ても営業をしていない。改めてネットで調べると禍関係ですらなく、ごく通常の定休日だった。
僕は一体知らない町で、なんで閉ざされたシャッターの前で、立ち尽くしているの。妖怪シャッター男だろうか。
愉快になり、もういっそ観光をしようと決める。
地図を頼りに総持寺に向かう。総持寺の巨大な門はこれ以上なく固く閉ざされていた。立ち入りを禁じている。なるほど今日はこういう日なんだなと納得をした。それならそれでやりようもある。
田無神社に向かうと、今度は開かれている。やってるんかいと思いつつ石の鳥居をくぐってお参りをする。神社音楽が静かに流れていた。僕は神様の存在を心から信じてはいないけれど、マナーは知っている。二礼二拍手一礼である。心の中で神様に語りかける。あー神様、神様僕は、すみませんちゃんとお願いを考えていませんでした、今ちゃんと考えます、神様、うーん僕に……。
レストランのウェイトレスの人ですら怒りそうなしどろもどろを神は許してくれるのだろうか。祈る前に心の雑音を消す修行をした方がよいかもしれない。
田無の駅前に戻り、そのまま帰ろうかと思ったけれど気が向いたので駅前のデパートに入ってみる。
といって特に用もないし、欲しいものがあるわけでもない。となるともう行く場所は書店である。新しい書店というのはそれだけで心躍るもの。散々うろついてからデパートの出口に向かった。
出口のガラス張りの自動ドアの向こうに、親子がいた。
お母さんと少年が二人。少年はきゃっきゃと笑いながらお母さんの周りをぐるぐる回っている。
僕が自動ドアを通ろうとすると、少年のひとりも駆け込んで来て、ドアの前で急に立ち止まる。
少年が止まったので僕も止まる。
少年が右足を前に出す。僕は左によける。少年が後ろに一歩下がる。僕が左足を一歩出す。少年が右足を出す。僕が左足を引っ込める。少年が後ろに下がる。僕が前のめりになる。少年が右足を前に出す。
少年と僕の激しい攻防の後ろで、お母さんが野球のセカンドみたいな中腰で身体を前後に揺らして少年を捕まえるべきか否か迷い続けている。
少年のテンションがみるみる上がっていくのがわかる。もう満面の笑みで今にも叫び出しそうだ。僕もその顔を見てしまってもう大笑いしそうだ。
お母さんが動いた。もう限界だと思ったのか、ラグビー部のタックルもかくやというほどの低空でとびかかったお母さんは両手で少年を捕らえる。少年はあきゃあと猿のような声を出してだらだらと脱力して溶けてしまう。
僕とお母さんはマスクで隠されていない目で1秒見つめ合い、1秒で珍妙なダンスを俯瞰し、評価を下す。われわれ人間は不完全な生き物で、時におかしなことをしてしまう。そしてそれは笑える。
「すみません」とどちらともなく笑いながら言い合って、僕は家族の横をすっと抜けて駅に向かう。
変なことになったのに、すごく爽快な気分だった。
あの街角のダンスのおかげで、中途半端な一日が、とてもきれいにまとまった気がした。