ながされないこころ
好きなことが出来る時間と心と体力がそろいました。
それで、何をしようかなと考えました。
やりたいことはたくさんありましたが、今やりたいことはひとつでした。
それはお散歩へゆくことでした。
いつものお散歩の道を歩きます。僕はカメラを持ってきました。散歩にゆくときは、なるべく持っていくようにしているカメラです。Nikonというメーカーの、初心者向けのもので、中古で1万円くらいで買いました。レンズは中国産のとびきり安い単焦点レンズです。僕はこの組み合わせしか持っていないのですが、今まで使ったことがあるどのカメラよりも好きです。
写真は川です。この間の台風のときには、川が溢れ、下の道路も水没していて、世界の終わりのようになっていましたが、今はちょっと散らかっているくらいで、元のとおりになってきました。僕はこの川が好きです。
川岸の風景は、春夏秋冬で変わってゆきます。僕は、好きなカメラを使って、一年中、この川の季節のうつろいを、ぱしゃぱしゃ撮ってきて、パソコンのフォルダの中は、色とりどりの景色で、それはもう綺麗なことになっています。
今はもう秋ですから、すすきが生えて、あのぽさぽさした毛の部分は、まるでけもののしっぽみたいで、かわいいですね。
これがなんだか、わかりますか? この変な草です。最初は昆虫が何かしたのかなと思いました。たとえば、みのむしみたいな者が、草を運んできて、これを作ったんだろうかと思いました。でも違いました。このへんてこな、草に巻き付いた草は、台風がこしらえたものです。この草が生えている場所も水没していたので、流されてきた草がこのように巻き付いて、へんてこな形になったまま残されたのです。このような巻き付き草は原っぱにたくさんあり、フェンスにも同じようなものができていて、台風というのは想像もできないものを作り出すものだなと思いました。
道に落ちていたものですが、ゲームが好きな人なら、これはひと目でわかりますけれど、やはり台風によって流されてきたゲームカセットです。ゲームが流されてくるというのは、なんだかとても悲しい気持ちになります。このゲームはひとを楽しませるために作られたのに、このような姿になってしまって、きっとゲームも悲しかろうなと思います。
さっきの巻き付き草よりも、もっとダイナミックに巻き付いている大量の草と、粗大ごみになってしまったストーブなどです。ひとつひとつの物に、それぞれの生活があったはずなのです。
このソファーも、きっと誰かのお気に入りだったはずです。家族が集ってだんらんをするのに使われていたのかもしれないのです。あのゲームソフトだって、友達が来たらいつも遊ぶ思い出のソフトだったかもしれないし、ストーブだって愛着があって、何年も使っていたものかもしれないのです。
人は物と暮らしています。毎日新しい製品が出て、どんどん暮らしは楽になっていきますけれど、こうしてたくさんの物の朽ちていく姿を見てしまうと、もっと物を大切にしなければならないなあという思いが、つよくなりました。
僕はこの、古いカメラを大切に使って、これからもいろいろな写真を撮って、それで、いろいろなことをたくさん考えようと思います。
これは猫です。