漂流

 琥珀を擦ると軽い物を引き寄せる謎の力が発生する。まるで神話のようだったから僕は神話の世界に住んでいる。
 最初に静電気をみつけた人は、おそらく驚きすぎて手に持っていた琥珀を取り落して少し逃げただろう。ちょっと叫んでしまったかもしれない。そのまま家を飛び出して「琥珀を擦ると塵とかがくっつくよ!」と友人に言って回っただろうか。そしてそれを「うそでしょ」と笑われただろうか。そういうなんか不思議な力がこの世にある、とみつけてしまった時、一体何を考えればよいのだろう。紀元前600年頃に生きていたギリシア人のタレスさんという哲学者は、静電気をみつけて、何を考えただろうか。
 僕は想像することしかできないけれど、彼のおかげで下敷きを擦って静電気を溜めて髪の毛を逆立てることができるようになったし、雷は神様だけの力じゃなくなってほんの少し人間が使うことができるようになって、今では無線LANルーターでギガを気にせずスマホYoutubeが見れるようになったって、それが本当には何を言ってるのかよく分かっていないけれど、生活は確かにゆたかになり、人間から動物らしさをどんどん奪っていく。シンギュラリティーのその先に石と棍棒で戦う世界大戦が待っているなら意外と腕立て伏せなんかは最先端の趣味かもしれない。目に見えないけれどたしかにあるものをみつけてくれた人々に感謝をします。タレスさんのおかげで、ヨドバシカメラは今日もクリスマスみたいだ。

 目に見えないものってなんだか難しそうに見えるから、仮想通貨や哲学やWifiの正体が未だによくわからない。よくわからないものに恐怖を抱くのが人間だから、よくわからないままにしておくより勇気を出して飛び込んでみた方が結果的には楽だということがよくあるため、秋葉原に向かうことにして、いつもの炎天下を汗をかきながら歩いている。靖国通りはお昼休みのビジネスパーソンが闊歩して、車道にはカマキリみたいな高級車が列をなしている。道端に座り込んだ汚れた服の男性がピンク色のタオルで首筋と髭面を拭っていた。その背後にはぴかぴかに磨き抜かれた高さ10mのガラスがあって、巨大なモニタには抽象的な形と色が溢れていた。思考の一部を機械にアウトソースする精神的サイバーパンク世界でアナログな出力器官を退化させないためのおかしな習慣を自らに課している人間の矛盾と自家撞着と夢と現実と答えは永久にみつからない問いと終わらない散歩がわりと好きだった。

 JR秋葉原駅昭和通り口から出ると目の前に要塞のような建物が姿を現す。フォート・ヨドバシではあらゆる電化兵器が揃うらしい。最先端の装備、最先端の技術、生活のゆたかさは情報戦の結果であり、物質的に満足し始めた人間たちは空き容量を埋めるためだけに新しい情報を頭に詰め込んで手で触ることができる論理を手に入れることで自らを拡張したつもりになって、電気人間になって体も機械になって、よっぽど涅槃に近づいた。マザー2で体をロボットにした時、とても寂しい気持ちになった。けれど戦うのは体ではなくて心だし、最後に必要なのは攻撃力ても防御力でもなく、まったく不用に思われた祈りだったことが僕がゲームから学んだ真実だった。人間が月に行くことができたのはロケットが開発されたからではなく月に行きたい! って思う意思があったからだった。へいシリ僕が何をしたいか教えて。アレクサ、人間はどうなってしまうの。因果な腹話術の背後に全く普遍的な愛があればよいな。無線LANルーターを買って家に帰って接続し、スマートフォンで最新のゲームをたくさんダウンロードして、見たことのないアイコンがスマートフォンのホーム画面にたくさんあって、全然自分が考えていた景色と違うなあと思ったから1719年の小説を手にとった。とある船乗りが無人島に漂流するお話。