さぼてん

 フラットでありたいと思う時、心が山の上にいるのかもしれない、あるいは谷の底にあるのかもしれない、山の上にいる時の景色は空ばかりで何もない、見渡す限リの景色はみな遠く、さびしさがあるかもしれない、あるいは谷の底にあるときの景色は全部見上げるばかりの壁であり、見渡す限り見るべきものがみな近い、近すぎる、と思うかもしれないからフラットという海抜0メートルの空と地面の中間地点に立つサボテンに憧れることがある。

 サボテンは何を見ているだろうか、空を見ているだろうか、それとも地面を見ているだろうか、そろそろ雨降らないかな、と思えば空を見るだろうし、地面に蟻が歩いていたら、地面を見るかもしれないし、地平線の彼方にバッファローの群れをみつけているかもしれないし、それでもいつも万歳しているし、万歳しているサボテンは、全然かっこよくはないから、全然かっこよくないのにずっと万歳しているサボテンはかっこよかった。

 墨烏帽子という棘のないサボテンと一緒に暮らしていた時、やはり彼はいつも万歳をしていた。彼の形はとても薄っぺらで、アイスの棒みたいだったけれど、時々水をやるだけでぐんぐん伸びた。空を目指してすごい勢いで伸び、主役の幹から伸ばした両手をも伸ばして、そんなに大きくなってしまったら、自分の重さでいつか倒れてしまうぞ、鉢も小さいんだから、ちょっと伸びるのやめたらいいんじゃないか、と心配になる僕をよそに、そんなことは吾輩の知ったことではないのだ、という笑顔で彼は、巨大化することを一向にやめない意志、砂漠を生き延びる種族の途方もない意志を見せる。吾輩、でかくなりたいのだ。

 大きく伸びた墨烏帽子は、もう家に来たばかりの頃とは違って、可愛らしさなど微塵もなく、一種異様な佇まいになっていた。意志のないおばけみたいだった。妖しさすら漂っていた。ところどころ表皮が枯れ、小麦色になっている。平べったい体はそのままだったけれど厚みを増して力強い。いつの間にか母が植え替えたので鉢も大きくなっていて、存在感が増しており、見つめていると恐ろしくなるほどだった。生き物として完全に負けていると思わされた、絶対に動かないはずのサボテンなのに、喧嘩をしたらきっと僕は叩きのめされるだろう。彼の雰囲気はそんな風になっていた。そしてまだまだずっと大きくなりたがっていた。空を目指していた。まわりのことなど一切気にしていなかった。僕は彼がすっかり好きになった。こんなにサボテンが傲慢だとは思わなかったし、サボテンは全然フラットでもなかった。

 この間、故郷に帰った時、あのサボテンを久しぶりに見たけれど、僕の腕よりもずっと長くなっていて、その姿は本当に笑ってしまうくらいたくましい。なんでそんなに大きくなる必要があったんだ君は! と思ってしまう。すごくいい。さわがしくなくても強い。ライオンみたいに牙がなくても全然つよい。大砲なんかなくても全然つよい。それは生きる意思だと思った。繊細さも美しさも捨ててひたすらに意思を研いだんだと思う。その形がサボテンだったのだと思う。その姿と意思の形がぴったりと分かちがたく結びついている彼は、やはりかっこいい。サボテンはもう僕のことを忘れていて、僕が話しかけてもムッとした顔をするだけになっていたけれど、それでもよかった。彼は今度こそフラットに近づこうとしているのだと思った。

 あのサボテン、一度花が咲いたんだよ、と母が教えてくれた。
 片手のさきっぽに、小さな黄色い花を持って、立ってたんだという。
 まったくほんとに、いかしたやつだ。