人間の子

 月曜日が休日の時は映画館に行くことにしていて、それは一時期すっかり習慣のようになっていたけれど、上映中にがさがさと不穏な音が鳴り続ける事件が起き、映画館というものの在り方について深く考えさせられた僕は、一度距離を置こうと考え、時間をかけて映画館のあるべき姿を思考し続けたのだけれど、僕が考えているだけでは結局なんにも変わらないということだけが見事に解明される。

 映画館に行く時には、歩いて行くことと、バスで行くことと、二つ我にあり、此度は残暑ゆえバスで向かうこととした。月曜日の昼日中のバスは気持ちがいい。ほとんどの席が空いているし、窓の外は明るくて陽気。頭上の細長いエアコンから涼しい風も吹きすさぶ。止まったり走ったり揺れたりする車内で、僕は酔わないので、本を読んで過ごしていると、すごく面白い文章があって、その時には本を閉じ、目も閉じ、笑いをぐっとこらえ、髪の毛が逆立っている。

 映画館に併設されているレストランでステーキを食べることも、映画を見ることの中に含まれていて、ステーキを食べるという言葉の、滑稽さを気に入っている。ステーキを食べたよと友人が言ったら、知り合いが言ったら、やっぱりなにか微笑ましい。それはグラタンやペペロンチーノの中にはない原始的なものを感じるからかもしれない。ステーキを食べたいという気持ちがパンよりもごはんよりも僕にはかわいい。

 天気の子という映画を見ようと思い、券売機械で席を選ぶ画面を出すと、ほとんどの席が埋まっていた。これは普段の月曜日ではありえない状況だったから、ああこの映画は人気があって、だからお祭りみたいな陽気な雰囲気が画面からするんだ、と想像をする。流行の映画というのはあまり見ない方だと思うけれど、新海さんの作品を見るたびにRADWIMPSさんの音楽が脳髄に浸透していく気がする。僕は人間の子で、天気の子を見終わって映画館が明るくなって出口に向かって列になって歩いて、無印良品で靴下を三足買って、本を読みながらバスに乗っておうちがある町に帰る――こんな時間がずっと続けばいいと願ってしまったんだ。

 ミスタードーナツでオールドファッションと砂糖のポンデリングとアイスロイヤルミルクティーをオーダーして窓際で本を読みながら食べた。窓の外は白から紫色に変わって、気がつけば真っ黒になっていた。ドーナツ屋さんを出て川沿いの道に向かって歩くと真っ黒な空には稲光がきらめいて今にも雨が降りそうだったけれど、1時間の散歩コースを歩きながらスマートフォンで読み続けている旅のエッセイは全然終わる気配が無いから、濡れてはいけない理由をひとつも探しだすことができないことに気がついた。
 人間の子のまま濡れて歩いていこうと思う。