一人言

 一日に映画4本約8時間見たのち、生茶を飲みながらふと一人言について考えている。
 一人言を言う人は、僕はあんまり好きではないけれど、考えてみると自身ごくたまに口にするようで、例えば駅のホームがなんだかやたら暑い時「うっ、暑い」と小さな声で言っているのを自覚する。それはすぐに忘れてしまうことだし、誰に話しかけているわけでもないから印象にも残らないけれど確かに言うことは言っているし、そういう一人で口にするとっさの言葉って、なぜだか負の感情を表現することが多い気がした。
「疲れたなあ」とか、「遅いなあ」とか、「またかあ」など。
 おそらくそういう種類の一人言を「ぼやき」というのだろうな。会社でミスしたときなんかは先輩でも「あっ、やっちゃった!」とか「やばいミスった!」とかいう人が多い。それはそれで自分の状況を周囲に伝える効果もあると思うので、僕はあんまり気にしない。

 つい先日、このぼやきの達人を街角で見かけたのだけれど、その人は喫茶店の入り口の階段に座り込んで、自分のリュックサックの中身をごそごそしながら、
「わあー! なんなんや俺! なんのためにここまで来たんや! ちっくしょー!」とものすごく大きな声で、関西弁でわめきはじめたのだった。大変失礼ながら面白かった。もしその言葉がもっとひどかったり、言い方がじめじめしていたりしたら、大丈夫かな人生には嫌なことが多いなとか思って嫌な気分になったかもしれないけれど、その達人の表現の方法が実に歯切れよく、しかもドライだったから、嫌なこと全部言葉にして吹き飛ばしているように感じられた。その瞬発力には明るさがあって、聞いていても不快にならない。むしろこちらも明るくなっちゃって、どうしたんですかって笑って声をかけたくなるような、そういう失敗の出力の仕方もあるんだって思った。

 それでクリント・イーストウッドさんのことなのだけれど、今日彼の映画を見ていて気づいたことがひとつあって、それはクリントさんが映画の中で娘と、そのボーイフレンドが車に乗り込むシーンだった。例の渋いしかめっ面で二人を見守っていたクリントさんは、
「さあ、俺はバスで帰るとしよう」とぼそりと呟いて歩き始める。
 悪態でもぼやきでもなく、未来を感じさせるかっこいい一人言だった。
 そこで僕は人生で一度でもかっこいい一人言を言ったことがあるだろうか、と気づいた。
 失敗したことや、嫌なことや、負の気持ちを吐き出すだけではなかったろうか。
 時々はかっこいい一人言を言ってみてもいいのではないかと思った。

 それからずっと部屋にこもり、かっこいい一人言をいうチャンスをうかがっていたけれど、今この瞬間まで、事件がなにひとつ起きない部屋の中で、タイミングを逃し続けている。