整理のつかない最近のこと

 どうも幾分疲れているようだった。疲れているだけならまだしも、頭の具合が良くない。思考のバランスを欠いている。そのようなよくない状態が長期に渡って続いており、休息の仕方も忘れる。睡眠が一番の薬だと判ってはいる。けれど眠れない時期も突然やってくる。このストレッサーは一体なんなのだろうか? ぼんやり考えてみると、やはり原因は僕自身なのだろうと思う。悪いことの大半は僕自身が招いた。因果を辿ると年単位で過ちを繰り返していたりする。八方塞がりで、どうも未来は無いように感じられる。GAME OVERだ。真っ黒な画面に白抜きで表示される終わり。そこで5秒ぐらい真剣に絶望する。本当に駄目な人間だな、僕は。もう消えてなくなった方が世のため人のためなんじゃないか。サヨナラ! そこで僕の魂はたしかに一度幕を下ろした。終劇。精神が死に尽くした。けれど身体は生きている。呼吸と鼓動が止まらない。真っ暗で何も見えない空間に文字が浮かび上がる。今度はGAME OVERではない。終わってしまったものを終わらせることはできない。だから次は必ずCONTINUEだ。やまない雨は無いし、夜の次には朝が来るし、一回死んだら王様に「情けない」とか言われながら何度でも蘇るものだ。死んだらそりゃあ情けないかもしれない。でもリブートの後、大抵の不具合は解消されているものでもある。一回死んでおくか、と考える時僕が考えることは、まあまあいつも、そんなようなことである。

 東京都知事が東京アラートの発動を宣言し、レインボーブリッジ及び都庁が赤色にライトアップされた。一体どんな意味があるのかと同僚は述べる。そんなことは僕にもわからない。意味という言葉はあまりにも便利すぎるから、ここでは効果と言い換えてみる。都庁が赤くなることでどんな効果があるか? 少なくとも「意味無いよね」という話題が生まれる。まだCOVID_19はここにいるよ、と意識付けることが目的なのでは? 何しろ目にも見えず匂いもしない生き物だから、彼らを忘れることは簡単だから。それ以外の効果は、やはり僕にはわからない。ニューノーマル(新常態)に必要なのは見えないものを信じる力なのかもしれない。仏像や仏壇と同じような意味で、都庁は赤く光っているのかもしれない。そんなことがあった日に、Tシャツについて書かれた村上さんのエッセイを読了した。僕はどんなTシャツを持っていただろうか。思い浮かべてみると、バンドTシャツか、オタクTシャツだ。特徴のないTシャツはほとんど捨ててしまっているか、そもそも思い出すことさえできない。ためしにボックスの奥を探ってみたら、相棒が行方知れずになった靴下が出てくる。それから、老け込んだ水中メガネもみつけた。僕は彼らをベッドの上に並べ、じっくり眺める。そして両方ともポケットに突っ込む。

 スキンヘッド、シカゴブルズの赤いショルダーバッグ、オータニ17番の赤いTシャツ。とその日の日記には記されていて、それがなんのことだか一瞬では思い出せないのだけれど、たぶん駅で見かけた素敵なおじいさんの服装で、服装というものはその人に合っていればなんでもよいな、とずいぶん前から考えている。そしてボーガンが発射され、大学生の男が殺人未遂で逮捕される。男は家族を複数殺害したと述べ、非正規労働者が減少し、休業者が増える。雇用情勢は悪化している。中野ブロードウェイの路上で肩にオカメインコを乗せた男性を見かける。本物のオカメだった。思わずじっと見てしまう。とても仲がよいのだろう、騒がしい雑踏の中でオカメは、肩に止まったまま動かない。ブロードウェイの艶丸という店でラーメンを食べた。何度も食べている。日差しの強い、暑い昼下がりのことだ。カウンター席しかない狭い店だけれど、癖の無いスープがとてもいい。細麺に繊細な出汁の味だけが絡む、上品な味だ。それはまるでほんのりと味のついた白湯のように淡白だけれど、わずかな味の中に深い広がりがあるので、もっとたしかめてみたくなる感じだ。恐い映画で、幽霊がちらっと映る、あれである。僕は知りたい。

 ブラジルの死者が3万4000人以上になる。ボーガンに規制をかけるか検討している。ゲームソフトに対する支出は2倍になる。解雇や雇い止めが2万540人になる。僕はメモ帳に「物語のゴールは二種類しかない」と書いた。僕は腕時計について考えている。海水浴場で事故が起きる。バンクシーが警鐘を鳴らす。僕は腕立て伏せをしながら、人間は筋肉が無ければ動くことができないのだな、と不意に思う。ありがとう筋肉、と考えてしまってひとりでおかしくなって笑ってしまう。眼薬は開封後三ヵ月で使い切るのがいいらしい。川で事故が起きる。僕は眠れなくなる。高田馬場のミカドがインタビューされる。過労死が起きる。ZARAが世界で300店舗を閉鎖する。僕は「コンプレックス商材」という言葉を知る。コンプレックス商材。その言葉を見ただけで色々なことを納得する。たしかにそうだな、コンプレックス商材。それらが存在することはおそらく何の問題もないと思う。しかしこういうことだ。たとえば僕に子供がいるとして、彼が「あのゲームを持ってないと友達に仲間外れにされるんだよ」って言ったら、僕はすごく悲しい。とてもとても悲しい。そのとき僕は人間全体が悲しい。コンプレックス商材の、主に広告についての話だ。怪獣のバラードの話でもある。

 友人の新しい家の居間のテーブルの上に、伝説の剣が置いてある。僕はそれを見てとても嬉しい。とてもとても嬉しい。それは柔らかいラバーで出来ている。刃は途中で折れている。鍔は金ぴかで宝石もついている。百均で買ったのだと友人はいう。そんなことは、些細なことだった。大事なのはこの伝説の剣を友人の息子さんが使っていることだ。そして使い尽くしてへし折ってしまうほどだということだ。僕は魔法の剣を持っていた。お店で売っている立派なものではなく、棒きれにガムテープを巻いて、マジックで魔方陣を描き込んだものだ。その魔法の剣は魔方陣グルグルのニケが持っていた剣(たしかほしくずの剣という名前だった)をモデルにして作った。見た目からして全然別物だったけれど、すごく気に入っていた。魔法の剣を持って家の周りを走り回り、何者かと戦って、勝った。(もし負けていたら僕はここにはいない)
 ひとりで遊んでもまったく面白くなく、むしろ寂しさが倍増した。けれどそれも含めて剣なのだった。友人の息子さんの剣は折れている。それは何者かと戦っている証拠だった。僕はそういうのが好きなのだ。何かを作っている人のことが。何かを想像している人のことが。巧拙は関係なく、多寡も関係ない。折れた伝説の剣は、それだけで芸術作品だった。

 住民税を支払う。散髪をする。街角にパトカーが二台停まっていて、男性が警官に囲まれている。気温は31度。水道管が破裂し茨城県で1万3000世帯の断水が起きる。ガンダムの武器が盗まれ、タンクローリーが爆発する。嫌な上司が異動したので酒の量が減ったよ、と上司が笑う。それはとてもいいことだった。上司にとっても、嫌な上司にとっても。終電まで残り一時間の神保町でうどんを食べる。冷たい温玉ぶっかけうどんは夏の夜の神保町にぴったりだった。頭の中で花火が上がる。電車の隣に座った少年が読んでいた文庫本に、かかしのマークが描かれている。オーデュボンだ、とすぐに分かって僕はなんだかほこらしい。少年が文芸を支えている。

 アウトレットモールで買い物をする。ひどくくたびれた。姉と姉の友人にアンガス種の黒毛牛100%ハンバーグをご馳走する。ステーキをそのまま砕いたような、しっかりと肉の味のするハンバーグだ。香辛料もほとんど使われていない。姉と姉の友人は疲れ知らずで活発に動き回っている。僕はめまいがするくらい疲れたのでベンチに座って本を読んでいた。死についての本だった。アウトレットモールで読むようなものではなかった。モールには死を連想させるようなものはひとつもなかった。雑踏があった。笑い声や、BGMや、アナウンスがあった。人の気配があった。僕はアウトレットモールに少しもなじんでいなかった。死んだようにくたびれて死についての本を読んでいただけだ。でもそれは案外心地よかった。帰り道はタクシーが通らなかったので駅まで真っ暗な道を歩いた。木が空を覆っている夜の道には騒がしい虫の声が響いている。故郷とよく似ている。林を抜けると、遠くに巨大なマンションがそびえている。白い、無表情な、壁のようなマンションだ。何か、どうしようもなく強いものから身を守ろうとして人は壁を作る。

 夢を見た。
 僕は子供で、実家の周りを歩いていた。家の裏のなんでもないスペースに見慣れないものがある。道路標識が立っているのだった。青い地に、白い矢印が一本。家の裏には道路などないし、人がひとり通れるくらいの細い空間しかない。すごく不思議な感じがした。こんなところに標識なんてあったかなと思う。そこで目が覚める。
 目覚めると午後三時を少し過ぎていた。面白い夢を見たなと思った。ある少年が森の中に伸びる小道をみつける。そこには道路標識が立っている。僕が夢で見た「直進」のマークだ。少年は小道を直進する。標識はずっと奥まで等間隔に並んでいる。道はどんどん荒れ果てる。木漏れ日は鬱蒼とした枝に遮られ周囲は夜のように暗い。どこかで鳥が奇妙に鳴いている。少年は好奇心のままに進んでいく。道はフェンスに遮られてしまう。この先通行止めと書いてある。けれどフェンスの奥には直進のマークが続いていた。少年はフェンスをよじ登って越える。道はどんどん暗くなる。少年は不安だ。直進のマークがついに途切れ、道はふつりと途切れる。枝や葉の散らばる森が見渡す限り続くだけなのだ。少年はやっと家に帰れると思う。道の終わりを見て少し満足もした。帰宅するために振り返ると、直進の標識の裏に別な標識がついているのに気づく。青い背景に、背の高い帽子をかぶった男性と、小さな子供が描かれている。男性と子供は手を繋いでいる。まるで男が子供をどこかへ連れ去ろうとしているように見えた。少年の手に、冷たい手が触れる。
 というお話を考えた。
  
 小説を読み終える。町にサイレンが鳴り響く。和歌山を模した庭園を歩く。都会の街の中に巨大な池と山があり、茶屋があり、そこでは写真モデルがカメラ小僧と撮影をし、学生の集団が現れ、外国人観光客が現れ、鏡のように凪いだ水面にはビルが映っていたりする。不思議な場所だった。花火大会の8割が中止になる。読書は積極的に肯定され続けるべきだなあと不意に考える。焼き肉屋でO157が検出される。美しさと汚さについて考える。ワインを飲みすぎて腹を下す。エッセイを読み終える。友人を笑わせるためにYoutubeに動画を上げる。オンラインで映画の同時視聴をしてみる。スコットランドで刃物を振り回す男が現れる。インドに激しい雷が落ちる。バイクをあげるよと先輩は言う。雨がしとしと降り続ける。東京の人はもう、ほとんど手帳型のスマホケースを使っていないのではないかと不意に思う。グミを食べていたら銀歯が取れる。

 4000円の靴下を履いて家を出る。期日前投票をする。歯医者で銀歯を入れてもらう。動画を2本撮る。定額給付金が振り込まれる。バスを降りると映画の上映時間の10分前だった。慌ててパン屋でホットドッグとフレンチトーストを買う。(朝から何も食べていなかった)
 エスカレーターに乗って最上階の映画館に向かう。広いロビーにはおばあちゃんが二人と、彼女たちに何かを説明している係の人がひとりいるだけで、本当に静かだった。ジム・ジャームッシュの『デッドドントダイ』のチケットを買ってもぎりの係の人に検温してもらう。上映室に入って始まる前に食べようと思っていたパンを取り出すことは僕にはできなかった。上映室は衣擦れひとつ聞こえないほど静まり返っていたし、僕はそもそも映画館でものを食べるのが好きではない。たとえ空腹でも我慢しようと考えた。映画館を出てフードコートで急いでパンを食べ、歩いて帰宅する。気温は28℃。僕は最近、自分は何もしていないように感じていた。何もしていない。でもどうだろうか。僕は本当に何もしていないのだろうか。帰宅したら文章を書こうと思った。僕はそれを楽しみにしていた。45℃のお風呂に入った。麦茶を飲んだ。スマートフォンのメモ帳を見ながら文章を書き始めた。なんだかものごとがごちゃごちゃしていて、上手く整理できないようだった。でも僕には、案外それが心地よい。