日曜日

 正午を過ぎた頃に目覚め、目覚めてからいつもそうするように、己の心に映るよしなしごとをのぞきこんでみると、そこはかとなく図書館にゆきたい気持ちを発見するに至って、時間を無駄にしないように――というよりも一日が終わる時、後悔しないかどうかを検討する意味で、他の選択肢を挙げようとするのだけれど、思ったよりもしなやかさを失っている心は――しなやかではないけれども、重くもなく、また複雑でもないんだけれど――図書館が最善だと決めてかかっており、その根底には、今となっては非常に貴重な、期待感やわくわく――それは密やかにきらきらしている――までもが確認され、心の全層にて意見の一致をみた。「図書館に行こっと」が可決された。

 空の様子を見るのが好きなんだと思う。
 白ではなくもう薄い青になっている。空気がごく僅かな影を含んでいるから、色が濃く見えるのだと思う。雲は高くなっていて、塊が充分な固さを備えている。雲の半分より下は、やはり灰色の影になっている。秋に近づいているんだ、と何度でも思う。夏はもう終わるのだけれど、そう考えると心が窮屈だから、地球の気持ちになってみたら、1年は1年というだけのことで、諸行無常のおかげで新しいゲームが発売される。万物が流転するおかげで、コンビニのおでんが湯気を上げ、肉まんがやってくる。永遠ってものがないのなら、飽きなくてよいという側面だってあるんだった。

 図書館では子供向けの、戦争の写真集を見た。
 ガザ地区の写真集で、もし友人が目の前で爆弾に吹き飛ばされたら、と考えたら涙がわいてきたので、周りにばれないように目を見開いた。本を閉じると涙はすぐに乾いたので、絵本の聖書物語を読んだ。図書館には、普段は買わないし見たこともないような子供向けの本がたくさんあって、それはわかりやすくて面白いので、時々読むようになった。ものすごく重厚なピノキオの絵本をみつけたときには、すこしときめいたほどだ。キッズコーナーには、膨大な数の紙芝居のセットもあって、どうにかして読めないか考えている。

 17時頃、座っている姿勢に疲れたので図書館を出た。
 川の周りを巡る10kmの散歩コースに向かい、空の色が変わっていく様子を眺めながら歩いた。
 土手の斜面に、黒いコートのような服を着た人が立っていた。肩にひらひらした飾り布がついていて、腰のあたりもなんだかぴらぴらしている。剣は持っていないけれど、騎士のようだ。
 彼の後ろでカメラを構えていた人が「ほら空の色すごい」と言った。
「飛ぼうか?」と彼は言った。
 もうその言葉のせいで、夕暮れの中を駆けている騎士の姿が、脳裏に焼き付いてしまう。