退屈をしよう

 獣と俳優と宇宙人が、三本の糸のように撚り集まって僕が出来ていた。

 会社から帰って来る時、ひどい疲れを感じている。このところ疲れはピークにあり、重力が倍になって目に見える世界はぐるんぐるん回っていた。正体不明の憎悪、出処のよく分からない怒りが入道雲のように湧き上がり、集中力は点滅し、悲観的な視点から逃れられなくなった。過去、未来、現在の全てが誰かの手によって真っ黒に塗り替えられている。こんな状態は久しぶりだったから、ちょっと休もうと思ってリビングのごろ寝マットレスに寝転がり、本を読もうとするけれど3行読むたびに目や頭が疲れて本を閉じなければならなくなった。ブログは書けなくなった。この症状ははじめてではなかった、どころではなく前から実にたびたびあった。そのたびに僕は自分には才能がないからなあとか、もう書きたい題材もなくなってネタ切れだなあとか、発想がよくないからなあとか、どんどん落ち込んでいった。改善されないというより、癖になっていた。そして今、やっと僕はひとつの解決策をみつけた。獣と俳優と宇宙人が、三本の糸のように撚り集まって僕が出来ていた、ということに気がついた。

 獣は僕の体である。腕や足や目や心臓や、つまり筋肉や、感覚器である。獣はとてもわかりやすい表現をする。腹がへるとお腹が鳴って、眠たくなるとまぶたが落ちてくる。筋肉を使いすぎると筋肉痛が起きる。とてもわかりやすいので、対処することができる。バンテリンを塗ろうとか、お風呂に入ろうとか、早く寝よう、とか思うことができる。

 俳優は僕の千変万化の心である。心はわくわくしたりしくしくしたりする。些細なことで喜んだり、かなしんだりする。心が疲れている時には、必ず何か原因がある。たとえば仕事でミスをしてしまったことがいつまでもひっかかっているとか、階段から転げ落ちてしまって恥ずかしいとか、原因があって、疲れていると分かる。

 宇宙人はなんだろう。体でも心でもない。けれど体でもあり心でもある。宇宙人が疲れている時には、何が疲れているのか全然分からない。宇宙人が疲れていると、気分が暗くなって怒りっぽくなって悲しくなって集中力が無くなる。慧眼な読者諸賢らにおかれましてはもうおわかりのことと思われるけれども脳である。脳。脳が疲れると気分に変調をきたす、ということが分かった。朝から晩までパソコンを見て、携帯を操作して、本を読んで、などとひっきりなしに情報を脳に詰め込んでいると、脳は自分で痛みや疲れを発信することができないから心を操作して疲れてますと訴えかけてくる、のではないかと思う。思ったのでインターネットを駆使して脳・リセットなどで調べてみたら、結局寝ることと、何もしないことが脳に良いことがぼんやりわかったので、帰りの電車の中で本を読むことなどをやめたら、笑ってしまうくらい悲しい気持ちや焦りが少なくなった。やはりよく働くことはよく休むことなのだなと思った。

 体の疲れがあるかどうかを確かめる、なければ心が疲れているかどうかを確かめるために原因を探してみる、それもなければ脳が疲れているのではないかと疑ってみる、という順番で確かめればよいと分かった。急いでいる時、やらなきゃいけないことがあると考えている時、焦っている時、それでも上手くいかないときは、youtubeで30分間雨の音を聞く。僕は普段、退屈だとか暇だとか全然感じないんだけれど、30分間雨の音をぼうっと聞き続ける時、とてつもなく退屈を感じて、空想が独り歩きしはじめて、なんとなくぽかんとした気持ちになった。何かをしながら雨の音を聞くのではなく、雨の音を聞く以外のことをしない、ということをやると気力みたいなものがものすごく回復する。つまらない! という思いの反動が怒りを追い越す。


 頑張らないとな、という時には、肩の力を抜いて、口を半開きにして、10分くらいぼうっとした方が、うまくいく気がしたから、今日から僕は、いつにも増して地藏道を究め、なにもしない、なにもないという境地を目指して、なにもしないことにする。