池袋のめまい

 あわただしく炎天下を歩き回っていた。バスが出るまで1時間。その間に駅で定期券を更新し、ブックオフでスッタニパータを手に入れ、銀行で預金残高を確認し、コンビニでモンスターエナジーを買わなければならなかった。多忙だった。多忙たらしめているのは自分だと気がついていた。

 本当は家で寝ていてもよかったので、何度かそうしようと思った。エアコンの効いた部屋でごろごろする。ジュースを飲みスナック菓子を食べ絵本を読む。ゲームをする。気が向けばアイスクリームをなめる。机の引き出しの中に入っているスライムで遊ぶ。動画配信サービスを利用して映画を見る。そうして日暮れを待つ。夜明けを待つ。会社にゆく。それでいいのだと思う。
 それでもいいのだと思う。それでもいいのなら、これでもいいのだ、と分かる。家で眠っていることと、外を駆けずり回ることは、休日の過ごし方に於いて本質は変わりない。ただ種類が違っている。種類に良し悪しは無い。好悪があるだけだろう。どちらがより好きか、というだけの話だった。

 最高気温は32℃。額ににじむ汗。涼やかな風がふうわり吹いて、個人的な不快指数は80。晴れ間と曇り空が交互に続くけれど雨の予感は無い。熱を発する硬い石を踏みしめてゆくうちに腹が決まる。歩くのが好きだ。

 バス停からブックオフまでは15分。たどり着いてからは早い。スッタニパータの位置は把握していた。この間見た時に買おうがどうか迷い、手にとり、また同じ位置に戻したから。二階に上がって一番端の棚の中央付近にその本はある。スッタニパータ。”セイロン(スリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教パーリ語経典の小部に収録された経典のこと。”とwikipediaにはある。意味は判然としない。最古の仏典のひとつとされているらしい。1200円。

 値段をつけるという行為は本当におかしなものだ。ブッダさんがものすごく一生懸命考えて苦行をして瞑想をして悟った言葉が1200円。誰かの命を救ったかもしれない教えが1200円。なんだかめまいがしてくる。でもそう、530円のライトノベルで命を救われてもいいのだった。高いとか安いとかは問題ではなく、値段をつけること自体がへんてこなことだった。

 すごくどうでもいいことだけれど、僕は子供の頃、近所の陸上競技場でおけらという虫を捕まえて、一匹10円で友達に売ろうとしたことがあった。おけら売りの少年だった。おけらが好きだった。当時は虫を手でつかむことに抵抗が無かったから、土の上にいるおけらを取って虫かごに入れ、たぶん2人くらいに声をかけたけれど売れなかった。おけら売りは即日廃業した。

 僕の命はおけらよりも安い。欲しい人がないし、売ろうとしている人もないから、ただいま無料である。ただ僕の時間には労働力という付加価値がついてきっちりと値段がついている。まったく頭がへんになりそうだ。

 コンビニの剥き出しの冷蔵ボックスから青いモンスターエナジーを1本取ってレジに向かうと、線の細い女性が間髪入れずバーコードを読み取り「袋いりますか」と問うてくる。洗練されたプロの技だった。僕がバッグを持っていることを一瞬で見て取り、袋の要否を尋ねた。これが技術なんだ、と思うのだけれど、お財布から素早く小銭を出す技術が僕にはないので「見ないで、見ないで」と言いたい。足りないのはお客の技術。今度からはお支払い金額をきっちり用意し、店員さんがピッとした瞬間にレジテーブルに小銭を並べよう。大きい方から順番に、数えやすいようにして。

 コンビニを出ると残時間は30分。早足で駅に向かう。終わりかけた夏なのに蝉の声はまだ聞こえている。季節は人が決めるものではないのだしね。人々は半袖を着ていて、おじいが自転車をこぐ速度は風よりもゆっくりだ。青いモンスターエナジーを飲み終えると同時に駅に着き、自販機の横のゴミ箱に缶を捨てた。乾いた金属の音がした。

 定期券売り場の自動ドアをくぐると清浄な、冷却された空気が薄い膜のように感じられた。定期券を更新し終えると、バスが発車するまで残り5分だった。駅からバス停まではすぐだから、にわかに安心している。ぎりぎりだったけれど、マッチポンプな多忙を、ついにやり遂げる。

 バスの中は涼しくて少し眠い。窓際の席で『ブッダの教えが分かる本』を読んでいた。つい先日、子供向けの聖書を図書館で読んだため、今度は仏教も知りたくなった。宗教って一体なんなんだろう、と勉強する気にもなっている。良い面も、悪い面も知りたい。時々目を閉じて休ませた。時々窓の外を眺めた。目を細めて信号が変わる人たち。

 パチンコホールの3階にある映画館に着いた。全てを見え終えると、18時を回っていた。ぬるい風が、まだ薄い夕闇と同じくらいやわらかい。混み合った池袋の町を歩きながら、ふと携帯の電源を切ったままだという事に気がついて、駅前で電源を入れた。なんとなくブログを見た。自分のブログを見て、それからよく見させて頂いているブログを見た。

 手前さんの記事を目にした時、激しいめまいを感じた。自分を表す名前がそこに書かれているということが、うれしくてはずかしくておもしろい。どういう風に返事をしようかと考えた。何を返せるだろうか。僕は何を感じただろうか。ブログに書けないことまでぐるぐる考えた。だから今度、ブログに書けないことを送ろうと思った。
 僕も最近、彼女が言うように、好きな人に好きということを少しだけ実践したところだった。当たり前のことだけれど、僕の考えを変えるのは、えらい神様の言葉だけじゃない。