会議室キャンプ

 夜勤の業務が終わる時間帯が、ちょうど終電が無くなる時間なので、僕たちは仕事を終えたあと、仮眠室や休憩室、という素敵なものがないことによって、会社のあちこちに適当に散らばり、休むことになるのだけれど、人によってはバックヤードのテーブルの上をねぐらにしていたり、玄関のロビーのソファーで寝ています、というびっくり豪傑もいるくらいなのですが、たいがいの人は、仕事部屋の横に3つ並んでいる、会議室で休むことになりますし、かくいう僕も、研修の時に教えてもらったとおりに、赤青黄色の、3つの会議室のどれかからひとつを選んで、翌朝の7時くらいまで休憩することになります。

「それでは僕の方の業務が終了しましたので、お先に休ませていただきます」
 と諸先輩方に挨拶をし、ロッカーの中に入れておいた空気枕を携えて、書類鞄も持って、黄色の会議室へ向かいます。会議室は青が一番広く、黄色が中くらいの大きさで、赤がとても狭い、という構造になっていまして、何故か一番狭い赤が人気です。きっと人が眠る時、あまりに広すぎると落ち着かないのでしょう。カプセルホテルはあっても、満天の星空の下で眠るサービスというのは、あんまり聞いたことがありません。僕はモンゴルの草原に、ベッドを置いて風の音を聴きながら、馬のいななきを聴きながら、狼の遠吠えを聴きながら、眠るのが夢なので、もし星空で寝るサービスというものがあったらば、そんなものは心底、素敵だなあと思います。

 黄色い部屋に入って、鞄を椅子に置いて、それから壁際に寄せてある椅子を三脚寄せ集め、即席のベッドを作ります。それはもう、見るからに寝心地の悪そうな、粗末でかわいらしいベッドです。椅子を3つ並べて眠る時のコツは、1つを頭に、1つを腰およびお尻に、最後の1つを足を乗せられる場所に並べること、つまり一直線に並べることです。これが曲がっていると、眠る時に体が曲がってしまいますので、注意が必要です。並べ終えましたら、きちんとまっすぐになっているか、少し離れて確認します。それから慎重に、椅子を動かさないように、そっとベッドに横になります。この時、必ず椅子は動きます。どれだけ慎重になっても、椅子は動いてしまいます。動いてしまったら、取り乱さず、「ああ、やっぱり動いたな」と呟き、動いてしまった椅子に体を合わせます。人生の大半の出来事と同様に、現実は不随意なものです。おおらかな気持ちで、椅子をゆるしましょう。

 椅子にはふかふかのクッションがついているので、暑くなってきます。暑くなってくると眠れませんので、いっそテーブルの上で寝てみましょう。細長いテーブルの上に、靴を脱いであがった時、なんだかとても人間として、やってはいけないことをしている気持ちになります。罪悪感のような、違和感のような、おかしな気持ちがこみ上げてきて、眠気が覚めます。眠気が覚めたら、「椅子にしてもテーブルにしても、結局眠れないじゃないか」と思いましょう。そうです眠れないのです。眠れないけれど、体は疲れているので、固いテーブルに身を横たえ、天井などを眺めます。すると不思議なことに、天井がごくゆっくりと回転しているような錯覚を覚えます。とても暗い会議室の天井は、まるで1852年の太平洋を横断中の商船の、船底に近いキャビンの壁に造り付けた、ごろごろした木のベッドに思われてきます。僕は見習いの船夫で、右も左もわからないままに一日の仕事を終え、熊のような先輩方が、ぐうぐういびきをかいている部屋の中で、眠れないままに天井を見上げている、という気持ちになってきます。あるいは僕はどこかの国の兵隊で、行軍中にみつけた山小屋の床で体を休めているような、そんな気持ちになってきます。どちらにせよ、固いベッドの寝心地の悪さは、その不快感は、生きているということを、まざまざと僕に思い知らせます。眠れないが故に冴えていく目と、尖っていく精神と、それでも体を横たえたい疲労と、決して思い通りにならない寝床の固さと、それでも今この瞬間だけは間違いなく安全だという安心のすべてを、僕はときどき、尊く思います。

 眠れないまま朝を迎えたら、テーブルの上に食べ物を並べます。昨晩のうちに買ってきておいた、味のないフランスパンと、サーモンとチーズの生春巻きのパック、それからぬるくなったお茶です。食べ物の横には、携帯電話や充電器、社員証、結局使わなかった空気枕、スマホから引き抜いたイヤホンなどが雑然と置いてあり、なんだかキャンプみたいな気分になります。とても瞬間的な生活感。どんな場所でも、人間が寝泊まりするところに現われる、生きた痕跡のようなもの。テントも青空もない、会議室のキャンプ。固いフランスパンをばりばり噛んで、生春巻きを手づかみでむしゃむしゃ食らい、今日も都会を冒険します。