夜空で花火が爆発する

 花火大会の日だった。

 予期せぬ事故が起きたらしく業務用黒ひげ危機一発の黄ナイフが入力の受付けをやめる。
 3台のモニタが真っ赤に染まってエラーとアラートを吐き続けている。のんびりエラーログを見ている時間はおそらくない。もたもたしていると黒ひげが飛び出すかもしれない。

 作業部屋の中にはひとりしかいないのにやけにお祭りじみている。黒ひげ1号機にテスト用赤ナイフと青ナイフを差し込む。入力は成功している。黒ひげは飛び出さない。まだ出来ることがある。黒ひげ2号機、および3号機の根本まで走って行く。2号機3号機は全てのナイフを受け付けることを確認した。狂ってしまったのは1号機だけだ、と予想を立てた段階で田中先輩が喫煙所からのんびり帰って来る姿が見える。

 田中先輩はすぐに異変に気がつく。状況を伝えると彼はどっしりと椅子に座って腕を組んで目を閉じる。
「志々見さん、これ自然になおんねえかな」
 僕はその言葉に一瞬目を見開いてしまう。それから心臓の音を聴いた。それから空気がやわらかくなったことを知った。
 1号機は爆発四散して僕と田中先輩は上司にしこたま怒られるかもしれない。けれど別に死ぬわけじゃない。死ぬわけじゃないといううすっぺらな言葉は時としてとても効果を発揮する。
「直らない気がします」
「だよなぁ。じゃあ偉い人に電話するかあ」
 田中先輩は電話帳を繰って偉い人の携帯電話に片端から電話をかけ、僕は何が正常で何が異常かをメモする。もう深夜の1時なのにまだ通常業務は半分も残っている。朝の6時までに片付けなければ面倒なことが起きる。面倒なことなんていくらでも起きればいいと思う。だんだん目が覚めてくる。

 深夜にも関わらず偉い人が電話に出てくれた為、田中先輩は指示を受けて黒ひげ1号機の根本のパネルを引き剥がし始めた。黒ひげ1号機は作業部屋の地面に半分埋まっているような形で突っ立っている装置で、内部の構造を目にすることはほとんどない。1号機の黄ナイフが入力を拒絶しているため通常業務が滞っている僕も田中先輩を手伝って金属のパネルを引き剥がしては壁に並べる。

 黒ひげの埋設してある部分にはまるで10年間放っておいた洋館の片隅のタンスの裏の蜘蛛の巣のように細いケーブルが無数にのたくっていた。その中の黄ナイフの入力に使われているであろうケーブルをみつけだしてその先がどこに向かっているのか僕たちは調査する。地上からケーブルを追うことが不可能なところまでくると、ケーブルに目印のテープを巻いて田中先輩と二人で床下の配線通路に降りる。ポケットからライトを出して埃っぽくて暗くて狭い通路を這うようにして進む。足元にのたうっているケーブルを追って行くと、初期の業務用黒ひげの欠片が地面を転がっていたり、他部署で使う業務用わにわにパニックの古い基盤や、何に使うのかわからないボタンとスイッチだらけの機械が転がっていたりする。それらをまたいだり踏みつけたりしてどんどん進んでいくともう入り口の明かりも見えなくなってきてライトが照らし出す田中先輩の背中が幻のようにかすんでくる。この光景は雪で閉ざされた用水路を思い出させる。水は流れていなくて、埃と土と土になりそこねた枯れた植物が、雪の穴から差し込んだ弱い陽光に照らされていて、一切の興味を奪っていく感じがする。火星みたいだ。何もないという言葉、ゼロとか、nullとか、そういうものがその穴の中にはあった。もう戻れないかもしれないという妄想にも似た思いが自然と湧き上がってきた頃、通路は突然行き止まりになり、ケーブルは一台の小さなロボットにつながっていた。

 暗闇の中に横たわる四角いロボットには埃が積もっていた。田中先輩は彼を持ち上げて背中の蓋を取り電池を交換した。その瞬間ロボットはザーザーと乾いた声を発して目をぴかぴかさせ右手と左手を交互に上げて、仕事をはじめた。ロボットの仕事は不思議な声を発して目をぴかぴかさせ右手と左手を交互に上げることであり、それ以上は何もやらない。けれど、ロボットが仕事をすることによって黒ひげが元気になって仕事をするようになる。そして黒ひげが仕事を始めると、僕達は仕事ができるようになる。
「こいつが原因だったんだ」と田中先輩は言った。「でももう終わったことだ」
 僕と田中先輩は来た道を延々と戻り、穴から這い上がり、パネルを元に戻す。服は汚れて髪はごわごわになり肌はなんだかかさかさしている。作業部屋の壁際の箱の中に入っている黄ナイフを取り出して業務用黒ひげ1号機に突き刺すと、ばりばりと電気の走る音がしてエラーもアラートも幻のように消え去り、モニタに映っていた花の蕾がゆっくりと花開く。赤ナイフを突き刺すとアラスカのもみの木から雪の塊がぼとりと落ちた。青ナイフを突き刺すと、眠っていた少年が微笑んだ。
「ったく、とんだ障害だったなあ志々見さん! コーヒーでも飲もうぜ」
 尻をかきながら作業部屋を出ていく田中先輩の後を追いながら、ぜんぜん花火の音が聞こえないなあと思った。なんだかずっと聞こえる気がしていた。それでも僕の見ていない夜空で、花火が爆発していることは、僕はなんだかとてもよくわかるのだ。