草美ちゃんの夏休み

 草美ちゃんはこう考えていた。
「夏休みになったら、TDLに行きたいわ。あるいはシドニーでBBQをするわ。もしくは軽井沢でNKYをするわ」
 そういうことが出来たらさぞ素敵だろうなと思い、草美ちゃんはお母ちゃんに相談した。
「お母ちゃん、夏休みになったらTDLかBBQかNKYをしたい……」
 するとお母ちゃんは、とても気の毒そうな顔をした。我が子に見せてはいけないような、生活の疲弊を煮しめたような、気の毒そうな顔だ。
「草美ちゃん……ほんとうにごめんなさい、我が家はお金がないのだから、そういう場所には、行かれません」
「お母ちゃん意地悪。お母ちゃんは意地悪を言ってわたしを困らせる!」
「草美ちゃん……」
 お母ちゃんは、草美ちゃんが可哀想になり、泣いてしまった。
 草美ちゃんは、お母ちゃんが泣き始めたので、うちは本当にお金がないのだと分かって、すごく哀しくなったけれど、黙って自分の部屋に戻った。
 そしてベッドにごろりと横になり、枕に顔を埋めて、考えた。
「夏休みなんてなくなってしまえばいい……」
 そんなことを考えているうちに、すっかり眠くなり、寝てしまう。

 そうして草美ちゃんが世の中への憎悪を募らせているうちに、時間がどんどん過ぎて、夏休みがきてしまった。
 草美ちゃんは、いよいよつまらぬ心持ちになり、テロリストにでもなってやろうかしらと考えたけれども、そんなことをしても虚しいな、と心を改めて、行くあてもなく町の中をぶらぶら歩いていた。

 福子ちゃんの家の前に行くと、おめかしをした福子ちゃんが偶然現れ、
「草美ちゃんじゃないの! 私はこれから家族でNYに行くの。タイムズスクエアでたらふくホットドッグやらパンケーキやらを食らうわ!」と楽しげに言った。
 草美ちゃんはその場を逃げ出し、町を放浪することにした。

 土留美ちゃんの家の前に行くと、スキップをした土留美ちゃんが偶然現れ、
「草美ちゃんあんた暇なの? 私はこれから彼氏とヨットクルーズに行くの。ちょっと世界を見てくるわ!」と楽しげに言った。
 草美ちゃんは耳を塞いで走り出し、町を放浪することにした。

 誰も彼も草美ちゃんを否定しているような気分になり、草美ちゃんは入水自死しようかと思った。
 けれどそんなことをしても苦しいだけだと思い、更に放浪を続けた。

 大大子ちゃんの家の前に行くと、おかしな格好をした大大子ちゃんが、家の前に立っていた。
「草美ちゃん。良いところに現れたね。今日は開園しているよ」
「なに? なんだって?」
 心が腐っていた草美ちゃんは、吐き捨てるように聞き返した。
「DDKランドが、今日は開園しているよ」
「DDKランドだぁ? 聞いたことねえランドだなぁ。どこにあんだよそれ」
「すぐ目の前! ここがDDKランドよ!」
 大大子ちゃんは、誇らしげに両腕を広げた。
 よく見ると、彼女の住むアパートの入口の塀と塀を結ぶように、手書きの看板がかかっていて、DDKランドと楽しそうな字で書いてあった。
 前から大大子ちゃんの事をちょっとへんだなあと思っていた草美ちゃんだったけれど、今度という今度は、少し引いてしまった。
「遊んで行くでしょう? とっても楽しいのよ」
「ごめん、ちょっと用事があるので……」
 大大子ちゃんは、逃げ出そうとする草美ちゃんの手を取って、DDKランドに引っ張って行った。
 連れて行かれたのは、アパートの入り口が並んでいる側の、小さな空き地だった。
 空き地には、漫然と何かしらの物が置いてある。
 上半身しかないマネキンや、レンズの入っていないメガネや、壊れた原動機付自転車の残骸や、縄に繋がれた少年などだ。
「こういうのをきっと、シュールって言うのね」
「草美ちゃん、何を言ってるの? いいからアトラクションを選んで、一緒に楽しみましょうよ!」
「アトラクション? もしかしてこの地面に散らばっている廃品や、縄に繋がれた大大子ちゃんの弟のことを指している?」
「いいから選んでね」
 大大子ちゃんが思いのほか圧のある口調になったので、草美ちゃんは恐る恐るマネキンを指差した。
「これはバーチャル恋人よ」
 大大子ちゃんは、マネキンの上半身を持ってきながら言った。
「草美ちゃんは恋人がいないでしょう。こんなところをほっつき歩いているくらいだからいないはずだわ。そんな人にはこのアトラクションはぴったしよ。というか全人類にぴったしのアトラクションなのよこれは」
 大大子ちゃんがマネキンを押し付けてくるので、草美ちゃんは受け取ってしまう。
「自分にとって全く完璧な恋人をバーチャル体験できるの。さあ、やっていいわよ」
「すごく敷居が高いわ」
「最初は怖いかもしれないけれど、ちゃんとその道のエキスパートが助けてくれるから平気よ」
「具体的にはどうしたらいいのかしら」
「目を閉じて、それがはっきりと心に像を結ぶくらい細かく想像するの。目がどんな感じか、鼻はどんな形か、口はどんなのか、眉毛はどんなのか、肌の感じ髪の長さ、柔らかさ、声の高さ、どんな風に喋るのか……」
 草美ちゃんは、せっかくなので大大子ちゃんが言うとおりにやってみた。
 するとだんだん目の前に理想の恋人が現れたような気分になってきて、わずかに楽しい気持ちがした。
『草美……俺のこと、覚えてる?』
「大大子ちゃん! 想像上の恋人が喋り始めたんだけど!」
「いいのよいいの。それでいいの。私もやっとエンジンがかかってきたところよ」
『草美、もしかして忘れちゃった、かな?』
「でもなんだか声が大大子ちゃんっぽいわ!」
「いいのよいいのいいの。すぐに慣れるわ……」
『君にずっと会いたかったんだ』
「君じゃなくてお前、あともっとラフな感じで」
『お前、なんで会いに来なかったんだよ?』
「夏休みの宿題が溜まってて、ごめん、忙しかったんだ」
『困ってんなら俺に相談くらいしろよ。ったく、ひとりでなんでも抱え込んでんじゃねえって』
「眼鏡谷ひばり男くん……でも、ひばり男くん勉強きらいかな、って……」
『嫌いだしできねーよ。でも、お前が困ってんのは……もっと嫌なんだよ』
「ふふ……なんか今日、やさしいね」
『ばっ、困ってるやつ見過ごせねえって話だろ!』
「もしかして、照れてる?」
『ばーか。照れてねーよ。ここからは追加料金が発生するよ』
「えっ? ひばり男くん、なんて言ったの?」
『ここからは追加料金が発生するよ』
「わかったわ。払うわ」
 草美ちゃんは、すっかり我を忘れてバーチャル恋人を楽しんだ。

「どうだった? なかなかのものでしょう。これほどのアトラクションは他には無いと思うよ。DDKオリジナルなのよ」
「うん。思ったより普通に楽しかったよ。こういう遊びって、あんまりしなくなったから新鮮だった。すごく追加料金を取られた気がするけれど……」
「次はこのスーパーリアル3D眼鏡にしない?」
 大大子ちゃんはお金の話をスルーし、スーパーリアル3D眼鏡を手にとって草美ちゃんに渡した。
「この眼鏡、レンズが入っていないけれど、何なの?」
「ちょっとかけてみて」
 草美ちゃんはレンズの入っていない眼鏡をかけた。
 視界は今までと何も変わらなかった。
「すごいでしょう。その眼鏡をかけると、世界が全部3Dに見えるんだよ」
「……うん、そうだね。そうだね大大子ちゃん」
 私の目に映るものは、なんの力も借りなくても、3Dなんだ。
 私は何か大切なことを忘れていたのかもしれない。
 と草美ちゃんは思った。

「次は体感型ライドマシンのランナウェイ2にしようよ」
 と大大子ちゃんが言うので、草美ちゃんは原動機付自転車の残骸にまたがった。
「やっぱりこういう乗り物は、テーマパークの花形よね。草美ちゃんも、乗り物は好きでしょう」
「ええ好きよ。ジェットコースターでしょう」
「ジェットコースターより面白いのよ。なにせ自分で運転できるのだから、自由なんだよ」
「でもこれ、全然動かないわ。さっき見たけれど、たぶんエンジンが壊れていると思うわ」
「今から動くわ。さあ行くわよ」
 草美ちゃんの乗っている原付きが、ぐらぐら揺れた。
 次にがたんと衝撃があって、のろのろと前に進み始めた。
 まるですごくゆっくり進む自転車みたいだった。
「大大子ちゃん! これ動くわ!」
「そうよ……はあ……はあ……動くのよ、当たり前だわ……はあ……アトラクションなのだから……」
「ランナウェイ2はバイクなのね。アクセルは、これをひねるのね」
「そうよ……はあ……はあ……アクセルをひねると、どうなると思う?」
「加速するのよ! 今ひねったわ!」
「ぶうううん! はあ……はあ……ぶうううん! はあ……すごい排気音が聞こえる?」
「聞こえたわ! あんまり早くはならないみたいだけれど」
「今どこにいるの?」
「えっ? 私は大大子ちゃんが暮らしているアパートの庭にいるわ」
「そうじゃないのよ。そうじゃ、今は湾岸線よ。湾岸線にいるわ」
「そうね、そうだわ。湾岸線にいるわ。湾岸線には何があるの?」
「なんでもあるわ。DDKランドの湾岸線なのだもの、好きなものはなんでもよ」
「じゃあケーキ屋さんがあるわ。宝石屋さんもあるわ。それにスーパーに銀行に、失敗屋さんもあるわ」
「失敗屋さんって何?」
「失敗を売っているお店よ。先に失敗を買っておけば、いきなり失敗にあわなくて済むでしょう」
「ああ草美ちゃん、草美ちゃん。私はあなたをDDKランドに誘って、本当に良かったわ。だって失敗屋さんって言える人だもの、そういうことを考える人だもの、だって私がやることは、いつも変だと言われてきたもの、そうよ、頭がおかしいことが私は好きよ、でも本当は私もTDLやNYやヨットクルーズに行きたかったわ、でもそれとは別に、DDKランドだって良いランドだって私は本当に思うのよ、だから誰かに分かってほしかったのよ、だから草美ちゃん、私はいまとても嬉しいのよ」
 大大子ちゃんが言い終わると、ランナウェイ2は急にスピードを落とした。
 地面に足をついた草美ちゃんが驚いて振り返ると、大汗をかいた大大子ちゃんが顔をこすりながら、
「少し休むわ」と言い残して、自分の家に入ってしまった。
 草美ちゃんは、大大子ちゃんの背中を見送り、ランナウェイ2から降りる。
 それから最後に残ったアトラクションのもとへ、ゆっくりと近づいた。

「あなたは大大子ちゃんの弟ね」
「そうだよ」
 縄に繋がれた少年は、地面に三角座りをして空を見ている。
「あんたも物好きだな。あんなやつに付き合うなんて」
「最初はちょっと引いちゃったけど、結構楽しかったよ。ところであなたはどんなアトラクションに関係しているの?」
 草美ちゃんが聞くと、少年は苦み走った笑みを浮かべる。
「さあな。最初はマスコットキャラクターだったかな。今は犬だったよ。明日はジャバウォックかもな。なんだって大して変わりないよ。おれはアトラクションではないもの。おれはおれだもの」
「現実的なのね。お姉ちゃんと全然違う」
「みんな違うさ。ただどういう役割を担っているか、それだけの違いだよ。でもあんたが吠えてほしいと思ったら、犬になってやってもいいよ。おれは今、そういう役割だから」
「いいえ、よすわ。ねえ、その縄取ってあげようか」
 少年は少しの間迷っていた。
 けれど、やっぱり苦み走った笑みを浮かべて答えた。
「この縄は、本当は自分でとれるんだ」

 

 

 

  こういう話は、やっぱり少し貧乏くさいだろうか、と僕は考えた。
 なんだか嫌な気持ちになるだろうか。不自由な感じがするだろうか。
 しかし僕が子供の頃の夏休みで、一番楽しかったのは、ガンダムのプラモデルを両手に持って、友達が持っているやつとぶつけ合って「ドガーンデュクシデュクシ」ってやってる時だったなあって思うと、DDKランドは、結構幸福かもしれないなあとも思った。
 夏休み最後の今日は、家にこもって、この話を考えていた。