波のやりとり

 声は横隔膜の上下によって肺から気管を通り、喉から唇を抜けた結果、出力される空気の振動のパターンであり、信号である。声は波の形で表現することができる。音波は音の速さで減衰して消える。オリジナルのパターンは二度と戻って来ないけれど、それが無かったことにはならない。

「人間にはみんなお尻がついている」
 知り合いが話しだした時、なんか面白いこと言い始めたなあと思う。
 たしかにお尻がついているようだ。僕にもついているし、おそらく知り合いにもついている。
「スーパーで買い物をして外に出たとき、目の前にものすごく大きなお尻をした女の人がいたのね。普段目にしないようなお尻の人。私はそのお尻を見てとても驚いた。とてつもなくインパクトのある見かけをしていた。その女の人は私とは違う道に歩いて行ったんだけど、私はお尻について考え始めた。それから不意に、全人類にはお尻がついているということに気がついたの」
 知り合いは煙草のけむりをふうと吐いた。
 それから身を乗り出して目をぎらぎらさせた。
「全人類にお尻があるのって、すごく面白いと思わない? この人にも、あの人にもお尻があるんだって思ったら、なんだか全部どうでもよくなって笑っちゃった!」
 その時、知り合いがどんな面白さを感じていたのかは、おそらくきちんと言葉にできないんだろうなあと僕は考える。
 人類にはみんなお尻がついているので、全部どうでもよくなるという経験は、たぶん一般的ではないので、その気持ちにはまだ名前がない。
 しかしそれは知り合いの中では確かに起こったことで、知り合いの中では真実で、それは僕にとって有益なことだったから、その波のパターンを、不完全でもよいので残しておきたいなあと考えていた。
「それは首とか、膝小僧ではだめなんだろうなあ」
 と僕は言った。
「お尻じゃないとだめ」