朝のjazz

 目が覚めて気分が上手く眠りの底から這い上がれない時にMiles Davisがちょうどメロウなトランペットの音色をライブハウスに満たす。反響の抑えられたデッドな音色はロマンチックでやさしい。その音には想像力がある。たとえば土から緑色のつやつやした双葉が顔を出した瞬間のような。

 .LIVEというプロダクションに所属する12人のVTuber集団アイドル部。その中のひとり善意の擬人化と呼ばれているヤマトイオリさんが先日、配信の中で「突然奇声を上げたくなることってあるよね」と言った。その時とてもわかる。真実が見えている。そしてそれを恐れることなく告げることができる。1万人くらいの人の前で。強いなあと思う。

 ZAZEN BOYSというバンドのフロントマン向井秀徳さんが彼の歌の中でやはり同じようなことを言っている。「意味がわからん言葉で意思の疎通を図りたい」その時とても分かる。おそらく人は意味がわからん言葉で意志の疎通を図りたいのだし、突然奇声を上げたくなるものなのだ。それを口に出して言ってみるか、しまっておくか、どちらかなんだろう。

 うろ覚えの思い出から心理学の教科書を取り出して、そこに書いてあったはずの知識を眺めてみると、それは赤ん坊の欲求だった。赤ん坊は言葉をうまく発することができない。だから泣きわめくし喃語を駆使する。泣くだけで親が身の回りのことをしてくれる。お腹が減っていないか、おむつが汚れていないか、病気になっていないか、全て察してくれる。意味がわからん言葉や衝動を、こちらの努力無しに、解釈してくれてやさしくしてくれる。そういう欲求は、かつて赤ん坊だったことがある全ての人の中にあるんではないだろうか。

 僕は音楽理論を知らないし、それが一体どういう思想哲学時代背景から生まれたものなのかわからないけれど、意味の分からないインプロヴィゼーションの開放的な叫びや呟きの中に、いろいろな言葉を見出して解釈し、そこから明るい朝を取り出すことができる。前もって用意された言葉ではなく、自分で言葉を当てはめることができるということが、jazzのやさしさである気もした。

 椅子をリクライニングさせ、ヘッドホンを頭にかけて目を閉じて三ツ矢サイダーを飲みながら、洗濯機が回り終えるのを待っている。今日はいい休日になりそうだと思う。