ひと

 地下鉄の中にはたくさんの人が立っている。
 ドアの横に立ったワイシャツの男は、首をだらりと曲げ左肩に頭を預けるようにして天井を見ていた。彼の周りには人がいなかった。
 座席とドアを仕切る板に重心を傾け、まるで人形のように天井を見つめていた。

 電車から降りると、小雨が降っていた。
 夜空には町の明かりに照らされた薄い灰色の雲が敷き詰められている。
 小雨は霧のように細かい粒子になって空気の中を漂っていた。
 傘を持っていなかったので、うつむいて歩く。
 うつむいても顔に、頭に手に、雨の粒子が当たった。
 すこしだけ冷たかった。

 広い国道の横断歩道の前で、信号が青になるのを待っていた。
 向かい側で待っていた人が、横断歩道を歩いて来る。
 その足取りはたしかで、速くもなく、遅くもなかった。
 しかしほのかに迷いがあるように見えた。とまどっているような。
 何かを恐れているような、ほんの少し速度にブレーキをかけているような歩き方だった。
 彼は胸から腹にかけて赤い線が何本も交差するデザインのジャージを着ていた。
 夜の暗さのせいで、前身に無数のポケットがついているように見える。
 赤信号を待つ僕の横を過ぎていく彼の服を、じっくりと眺めた。