余裕

 夏休みの最中、仕事に行くことになっていた僕とゴーレムくんを待ち受けていたのは、圧倒的な余裕だった。物事の大半が上手くゆく魔法の言葉、それが余裕だった。つまり僕とゴーレムくんは余裕があるから失敗をすることがなかった。なぜなら余裕だったからだ。

 するべき仕事は無かった。4時間ほど何もない時間が存在していた。何もない時間。指向性も生産性もない時間。僕とゴーレム君は並べた机の隣同士に座ってパソコンのモニタを眺めていた。作業部屋は驚くほど静かだった。小さな端末が熱を冷ますために換気をする低い唸り声だけがひっそりと響いていた。

 廊下を歩く者はなく、窓の外の喧騒は僕たちの階までは届かず、蝉の声は厚いガラスに阻まれている。夏を主張する陽射しはブラインドを越えられず、エアコンが室温を丁寧に整え続けていた。僕たちは普通だった。常温だった。正常だった。そして余裕だった。

 余裕があると、余裕を埋めたくなるのが人間というものなのではないかと僕は思った。僕は余裕を心から愛した。しかし余裕は埋められたがっているように感じられた。余裕は変身前の蝉のようなものだ。シュレディンガーの箱の中の暗闇のようなものだ。それは何かを含んではいるけれど、まだ何者であるかは余裕自身が気づいていない。

「ゴーレムくん、youtubeで音楽を聴きたい」と告げると彼は、にわかに笑った。
「ええ、いいですよ」
 僕はインターネットブラウザにてyoutubeを検索し、音楽をかけた。
 モーツァルトのレクイエム。カラヤンの指揮。

「なぜですか? なんでモーツァルトなんですか?」
 モニタを覗き込んだゴーレムくんが言った。
 荘厳なメロディー。たくさんのうつくしい男女の声の重奏。神に救いを求めるメッセージ。
「わからない」と僕は答えた。「モーツァルトの音楽は、集中力を高める」
「集中力を……」
 僕たちにはひとつも仕事がない。

 いまやシュレディンガーの箱の中にはなにもない。猫もない。毒ガスもない。ゴルコンダもない。エルコンドルパサーもなければ、インディグネイションもない。ビョルンスティエルネビョルンソンもない。在るものが無い。僕たちは歌詞が浮かび上がってくるモニタをじっと見ている。それがまるで僕たちのやるべきことのようにじっと見ている。そして荘厳なメロディーに耳を澄ませる。魂は救われていない。救いを求めていない。

「ゴーレムくん、ちょっと相撲を取ろう」
「どうしたんですか急に。相撲なんてやったことないですよ」
 ゴーレムくんは混乱し、机に頭を乗せて唸っている。
 僕は彼をじっと見ていた。
 机の上で頭を抱えている彼の姿は、ドラマのワンシーンのようだった。

 作業部屋に入ってきた他部署の人が、部屋の奥で作業をはじめた。
 機械の調子を見に来たらしかった。
 僕とゴーレムくんはモニタをみつめていた。
 モニタにはデスクトップ画面が静かに映っていた。
 ただそれを眺めていた。
 僕の頭の中には、余裕がぎっしりと詰まっていた。
 隙間なく、濃密に。
 余裕が思考を奪い、余裕が視界を塞いでいる。
 物音が遠くなり、精神の湖はどこまでも深い。
 他部署の人が出て行った時、僕とゴーレムくんは完璧に椅子に擬態している。

「じゃあ、僕は帰ります」とゴーレムくんは言う。
「お疲れさまです」と僕は言う。
 ゴーレムくんは作業部屋を出ていき、振り返らない。
 僕はずっとモニタを見つめている。
 広大な余裕。失敗から遠く離れた楽園。

「お疲れさまです」と告げて作業部屋を出る。
 廊下を歩く僕の頭の中にはまだレクイエムと余裕が詰まっていた。
 帰りの電車の中はお盆のせいか空いていた。
 ここにも余裕があった。
 余裕そのものからは何も生まれなかった。
 何も教えてはくれないし、何も願っていないから、何も感じていない。
 何者にもならない。何にもしてくれなくて、それ自体は美しくもない。
 優雅だ。