人と街のポリリズム

 話し相手と会話がぶつかってどちらも沈黙したのち、相手とかぶらないように話すことをポリリズムとすると、お互いに相手のことを考えずに話し続けることは不協和音で、二人共まったく同じことを考えついて声高に同じ言葉を同じタイミングで発することはハーモニーだ。
 ハーモニーが生まれた時、心はシンコペーションする。

 中学校で初めてケチャを聴いた時、たしかに僕も面白かった記憶がある。
 半裸の男の人達が真っ暗な夜に、何人も集まって不思議な踊りをしながら聴いたことがないリズムでちゃちゃちゃと叫んでいる。
 松明の明かりが男たちを真っ赤に染めて異様。
 衝撃だったし、日本人の僕からすると相当に変だ。しかしだんだん変だなとか面白いなとか、そういう事は全く考えなくなって、ケチャはケチャだからこれが普通なんだと思うようになった。
 星の王子さまならきっと気持ちよく笑ったんじゃないだろうか。

 新宿三井ビルディングの広場で芸能山城組が主催しているケチャ祭りに誘ってくれた友人から「急用ができたから明日行けなくなった」と連絡が来た時、一人でもケチャに行こうと考えた。
 人生でケチャに行きたいと思ったことはほとんどないし、今回もものすごく行きたいというわけではなかったけれど、自分は行くんだろうなと考えていた。7月最後の休日はケチャに行くと決めていたから、脳が他の選択肢を用意するのをやめていた。

 ビルの前に遺跡のような石造りっぽい質感の門が建てられ、巨大な竹製の木琴のような楽器「ジェゴグ」が何台も並んでいる。ジェゴグには怒ったシーサーみたいな顔がついている。きっと神聖な楽器なのだと思う。
 南国みたいな植物がところどころに置いてある。その背景には見上げる高さのビルがそびえている。南国の古い伝統と、それに相反する鋼鉄とコンクリートの巨大建造物の対比、テクノロジーと人間。

 芸能山城組が法被を着て現れる。女性が多い。彼女達は中腰になってジェゴグを叩く。深い余韻のある丸みを帯びた瞑想的な響きがアンプを通して増幅され広場は精神の一番深い空間につながる。洞窟かもしれない。密林かもしれない。尖った爆音を使うわけでもなく最先端の楽器を使っているわけでもない。芸能山城組の演奏技術が特別に優れているわけでもないと思う。彼・彼女たちはたぶん一般人の有志が演奏している。それでも演奏に、音に、凄みがある。どこかへ連れて行こうとしている。そういう音楽なんだと実感する。
 芸能山城組といえばAKIRAを思い浮かべる向きも多いと思われるけれど、きちんと『金田』を演奏してくれて、ただの竹の筒からどうしてこんなにかっこいい音が出るんだろうって思う。

 ジェゴグの演奏が終わった後、ステージを離れて丸亀製麺でうどんを食べた。
 最近ずっと冷やしぶっかけうどんを食べている気がする。これが今年の夏のマストうどんだと思われる。

 ステージに戻ると、今度はガムランの演奏がはじまる。
 金属製の小さい鍋みたいな楽器で、これを棒で叩く。鉄琴のような楽器をハンマーで叩いている人もいる。全体的に金属質の鐘のような音がするんだけれど、音の中に不協和音のような響きがあって、ほとんどまともな音楽には聞こえない。演奏もガムランを乱打しているだけのように聞こえるけれど、じっと耳を澄ませていると、混沌の中に秩序が見出すことがある。その瞬間は空が晴れたみたいな気がする。
 おそらく混沌のパターンを解き明かしたり、自分で良い感じのパターンを当てはめたりできるところが聞きどころなんだろうなあと思う。Autechreさんの音楽にも同様の感想を抱いていて、どちらもやはり普通に楽しむレベルに達していない。これはjazzとは違っているように感じていて、jazzにはメロディーがあるのでコード進行やキーから外れているように聞こえる音もやがて気持ちよいところに戻ってくることがわかっているからあまり苦労せずに聞ける。問題は音程感のあまりない音の連続、かつランダムに聞こえるような複雑なリズムが現れた時に音楽に聞こえないことなんだと思う。

 ケチャに関しては事前にどういう音楽なのか知っていたこともあって、ポリリズムがとても良い感じだった。メロディーというよりはリズム音楽(そういうジャンルは無いのかもしれない)だけれど、たしかなビートがあり、発声が愉快でもある。獣めいている声も素敵だし、風の音のようにも虫の声のようにも聞こえる音が含まれている。ケチャは伝統芸能と呼ばれているけれど、実際には1930年代にドイツ人の画家の人がバリ島を訪れて島民と作っていったものらしい。ケチャの原型になったサンヒャンという本当に伝統がある舞踏の方にはガムランが使われていて、これはyoutubeでも見ることができる。
 ケチャは音楽としてもとても興味深いのだけれど、これは劇でもあって、ラーマーヤナというヒンドゥー教聖典のひとつが元になっている。実際にお姫様が出てきたりお猿の神様のハヌマンが出てきたり、鳥の神様のガルーダが出てきたり、僕はお話を知らないので筋もなんだかよくわからないのだが、それでもなんとなくシナリオは理解できた。
 最後まで見終わって、大変充実した一日になった。

 帰り道の新宿、巨大な都庁と無数の人々、排気ガスの臭い、車の騒音、力なく地面に座るホームレス、ぴかぴか光る巨大モニタでは誰かが踊っていて、ピンク色のネオンが怪しげな光を放っている、目つきの悪い男たちの集団が街角にたむろしていて、歌舞伎町は真っ白に明るい、無数の人々、スマートフォン、街と人、テクノロジーと人間。ネオ東京に鳴り響く竹の音。

 

 


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