易しいラブストーリー

 かつて貴子だった肉体は人生と空想の二重生活を送っている。
「はあ」肉体は慣性の法則に依って空気塊を噴射する。「我が過酷なる労働の日々よ、幾ばくの金銭と束の間の安息を得て未来に何を望もうというのか」
 荒涼とした獣臭が肉体の頬を撫ぜる。不意に今は亡き思い出のかんばせを目の端に捉え、屹立しかけた精神を寝間着に包むため肉体は、精神的ホメオスタシスの維持を目的とした自然吸気を三十秒間試行した。その間動悸と僅かな手の震えをメインセンサはあえて無視する。結果はどうあれ外面を取り繕おうという反射的なアルゴリズムが目標にしたのは事態の終結ではなく沈静化だった。傷を隠すのは獣の習性である。
「疲れているのかしら、見えているんだわ。幻覚が」
 幻覚は土手の上を水平移動し香ばしいブリオッシュを頬張っている。
 幻覚は、名を角屋という。

 二郎坂貴子と角屋鋭介の出逢いは健全な購買活動の場で成された。
 貴子は値ごろな毛髪洗剤に腕を伸ばし、それを購入せんとしていた。一方角屋は高機能携帯通信端末にてプロピオニバクテリウムアクネスと炎症性サイトカインについて調査し、輪郭を失った思考の命じるままに薬剤ショップを彷徨っており、人としての形を半ば放棄していたから、顔面洗剤と毛髪洗剤を誤認したことには無理がない。両人が運命の糸に引かれた傀儡である。不可避の現実の名の下に御手が触れ合った刹那、アーク溶接の如き発光を伴った放電現象が二人の脳裏でたしかに現出する。貴子は「どぅるる」とおらび手を引いて、引いた手を胸に添えハートブレイクの構えを見せる。角屋もまた「どぅるる」と呟いて右足で退き、触れた右手を天高く掲げ鶴首驚天の構えで迎え撃った。貴子の「どぅるる」は驚愕によってもたらされた不可抗力の感嘆詞だったが、角屋の「どぅるる」は突発的な音声模倣行動である。見晴るかす大渓谷のような深い沈黙が来て、見て、去った後、両名はソウルフルなポージングをなるたけ公序良俗を乱さぬよう配慮してゆっくりと無に帰したが、一部始終をとんがりコーンの隙間から見ていた主婦・大滝銅子の言に拠ると「馬鹿みたいだった」とのことだ。
 両名は羞恥心により連れ立って喫茶屋に駆け込み、互いの自尊心の補修・点検等を十全に済ませた後、精神的波長特性の近似を見て再会の約束を成した。爾来、両名は最期の時まで清く正しく逞しく交際を続け、概ね何の心配もいらなかった。

 角屋の死因は老衰であった。
 貴子と出会った時には既に齢九十二を数えていた。
 死別は貴子が二十一の年である。
 その時に貴子の心の一部も、たしかに消滅したのだと、彼女は考えている。

 時は今。
 かつて貴子だった肉体は今は亡き思い出のかんばせを目の当たりにし、一時はそれを無視しようと努めたが、迸る熱い衝動に突き動かされた両足は心よりも疾く覚悟を決めていた。肉体はベンチの前から土手の上の幻覚目がけて矢のように駆けた。遠くで蝉の集団が合唱を始めている。空はどこまでも澄んで青く、まるで三菱ルームエアコン・霧ヶ峰から吹いてきたような可憐な風が貴子の髪をくすぐる。幻覚を見据える眼は対峙を求めて強い。反面、幻覚は瞠目し対面したかつての絆の面影の表面をまろぶような定まらぬ視線で走査していたが、認識を自らの意志で決定すると口元がほころぶようにも見えた。
「貴子さん儂はご覧の通りの幻覚じゃ」角屋は言った。「それを知っての所業であるか」
「幻覚さん、或いは角屋鋭介さん。問の答えは既知である。貴方は幻覚。そして人間の脳は記憶と想像を区別しない。幻覚であろうと、非幻覚であろうと、私が信じる貴方が本当の貴方である」
「左様か」
「ああ」
 二人の間を珍しい生き物が駆けていった。毛むくじゃらの蛇である。しかしその生き物の話は全くこの話に関係がない。
「そちは決めたのだな」
「ああ、私は決めたぞ」
「では接吻の儀と致すか」
「参れ」
 そうして両名は接吻をいてこました。その刹那角屋の幻覚はいつかのスパークのように発光し、かつて貴子だった肉体の中へバチバチ流入して今や二人はひとつになって恒星のように輝いている。胸に手を当て輝きを抱擁し、今や世界が全く違って見えることを彼女は触知する。人生と空想の両方を同時に生きることができる。幻覚も、果てしない妄想も想像も、すべて自分の一部であることを知ってしまった。角屋は思い出の中で生きているのではなく思い出が生きているのだ。貴子の心身に力がみなぎった。疲れは吹き飛んでしまった。なんでも出来る気がした。恐れることは何一つ無かった。
「行くぞ、人生」
 貴子が舞う。
 そして彼女の中で角屋が舞う。
 もう世界中が舞っている。