適当
下手の考え休むに似たりというので、少し休みます。
自分ばかり仕事をしているような、なんだか仲間たちが何もやってくれないような、そんな気持ちになることがたまにあって、そういう時は決まって忙しい時だ。
当たり前のことかもしれないけれど――暇な時には仕事がないのだから、僕も、仲間も、何もやっていないのは当然だった。だから僕が「僕だけが忙しくないか?」と感じるとき、僕は忙しい。
そして忙しい時には、当たり前のことかもしれないけれど――疲れている。
疲れて視野狭窄を起こしている。
周囲に目を向けられないから、ひとりで何でもやらなければという思いが強くなり、仕事を抱え込みさらに忙しくなる。
そうして、大した仕事もしていないのに、すっかりくたびれて電車に揺られていると、今度はひとり反省会だ。
あの時はああ言えば良かった、とか。
あのメールは書き方がダサかった、とか。
もっとスマートに仕事ができるところだったのに、とか。
𠮟られたわけでも、ばかにされたわけでもないのに、ひとりで真っ暗な螺旋階段を下りていく。
帰ってきた視野狭窄2ザ・ムービーが始まる。
当たり前のことかもしれないけれど――こういうとき、疲れているのである。
疲れているのだ! と、気が付くことができたら、それだけで大したものだと思う。
本当に疲れている時には、疲れていることにすら気が付かないのだからね。
帰宅して、ラジオでクラシック音楽を聴きながら、この文章を書き始め、僕にはもっと柔軟な、正しい意味での適当さが必要だなあと考えた。
それは雑であるということではなく、おざなりであるということでもなく、字義通りの適当さだ。
てきとう【適当】
1.ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。
Oxford Languagesの定義より
これは要するに、100円のガムを買う時、100円ぴったり出すことだった。
当たり前のことかもしれないけれど――90円じゃ足りないし、110円では多すぎるのだ。
という感じで終わらせていいかなと思ったけれど、ふと別の適当さが思い浮かんだ。
100円のガムに100円を出すのは、赤子と手をつなぐように簡単だけれど、5メートル先のホールカップにゴルフボールを入れる適当さは、これは至難の技の適当さだった。
僕はゴルフをしたことがないので、この適当さには対応ができない。
こういう時にはどうすればいいのか、何個か考えてみた。
1、何回も打たせてもらう
2、ゴルフの上手い人にやってもらう
3、ゴルフボールを手に持ってホールカップの5センチ前に置かせてもらう
4、ホールカップの直径を1mにさせてもらう
5、ゴルフをやめる
現状の自分ではどうしようもない問題が立ちはだかった時、それが僕にしかできないことなら、その時には一生懸命頑張るのが適当なのだろう。
しかし、僕の仕事ではそういうことはあまり起きない。
僕は僕以外の仲間と互換性があるので、みんなが楽になるように、得意な業務をやったり、成功率が上がるように手順を見直したり、あまりにも失敗が多いようなら、ゴルフじゃなくてバスケットにしてみるとかすればいいのかもしれないな。
今日は適当に休めたので、明日も適当を頑張ろうと思う。