非常事態宣言の発出直後くらいの事だったと思うけれど、インターネットニュースのとある記事に、宣言下での過ごし方の例が記されていて、その中のひとつに「人の少ない場所を散歩しましょう」と書かれていた。誰でも考えることなのだなと思う。
 大きな川の土手を散歩している。東京に越して来てから、もう何度歩いたか分からない道程を、今日も辿っている。何度繰り返しても飽きないところを見ると、案外僕は土手の道が好きなんだろう。
 大きな青黒い水の流れ、見渡す限りの空、土手の斜面に生い茂る緑。昼はハクセキレイ、椋鳥をよく見る。蟻や蝶もいる。夜になると蝙蝠が飛ぶ。斜面にはシロツメクサが密生し、夏の終わりになると幻みたいに彼岸花が咲く。川沿いの自転車道を走り抜けるサイクルジャージ姿のライダー、野球場からは球児の声、レジャーシートから冒険に出かけるよちよち歩きの子供を若い父親と母親が見守っている。川岸の木を見上げると木漏れ日の中に鳥の巣をみつける。なんの鳥だろうか。巣だけでは、鳥の種類まではわからないけれど、細い枝を編んで作ったゆりかごはあたたかい。
 今日は良い風が吹いている。元気の良い明るい風が吹いている。前髪が吹き飛ばされる。服が肌に押し付けられる。地上の熱気を吹き飛ばす爽やかな風だ。緑の匂いがする。夏がもうすぐそこまで来ていた。
 陽ざしは日に日に強くなる。少し歩いただけなのに腕が赤くなり始めていた。強い光を浴びた草が、強く光を反射して、濃い緑色になっている。空は透き通る青色で、ああ海だと思った。海に行きたい。この光と風は、海のものだ。波に裸足を浸した時の冷たい感触を思い出している。水面のぬるさと、水底の恐ろしい冷たさを思い出している。白い砂浜、タイドプールの小さな世界、外国から流れてきた不思議な瓶、花火の死骸、足の速いカニが岩の陰に滑り込む。ああこれ、ぼくの夏休みだ。ぼくの夏休みやりたいと思う。王冠を拾って、虫相撲をして、牛乳を搾って、蚊取り線香の匂い、ズボンにくっつき虫がついて、巨大なオニヤンマに驚く。ああ時間は有限だなと思う。そのおかげで太陽が昇って沈む。時間は止まらないでいてくれる。海から上がるとき、びっくりするほど体が寒いんだよね。マスクをしてコンビニに入り、スーパーカップをふたつ買う。