ありのままの日曜日
激しい震動が枕の脇から響いてくる。反射的に目を覚ましスマートフォンをひっつかむ。
知らない番号が表示されていた。氷山に閉じ込められているマンモスくらい知らない。もしかしたら誰かが、とても大事な用で電話をしてきてくれたのかもしれないから、戸惑いも迷いも瞬時に切り捨てて通話ボタンを押す。
「お世話になっておりますわたくし、ししみ様にお得な情報をお伝えしたく」
電話の向こうの彼は、おそらく本当にお得な情報を教えてくれようとしているんだと思う。通信費用が安くなるとか、そういうことを教えてくれるんだろうと思う。しかし僕は、友人の誕生日プレゼントに消火器を買ってラッピングしたり、変なノートを作ったり、2時間も散歩をしたりするのが好きだから、よく考えたらお得とはあまり関係のないところで生活しているようにも思われたし、どちらかというと無駄なことの方が好きだった。悪あがきが好きだった。
そして彼は無駄なことも悪あがきも好きではなかった。彼はお得なのが好きなのだ。彼は電話を切った。
いつか氷山に閉じ込められているマンモスのことを教えてくれる電話がくるのを僕は待っている。
目覚めてしまったのでカーテンを開けた。よく晴れていた。窓を開けると、すこし冷たいけれど新しい空気が部屋に流れる。遠くのマンションがきらきらと光っていた。鳥が飛んでいそうな青い空だった。
ノートパソコンを起動してThe BeatlesのBlackbirdを聴いた。日曜日の朝がより鮮明になるような、穏やかな曲だ。とても静かだけど、人間を応援している歌でもある。元気になる。
たまには書類整理をしようと考えた。考えた瞬間、自分はなんて偉いんだろうと思った。しかし日曜日に降り注ぐ朝日を浴びながらThe Beatlesを聴きつつ書類整理とは。このままだとパスタを茹でることになると思ったのでむぎ茶を飲んで文脈をへし折った。
床に座ってごちゃごちゃに積み上がった書類を右と左に振り分ける。今すぐご確認ください、と書いてある携帯電話の契約会社からのDMなど、何故とっておいたのかよくわからないけれど、とりあえず開封して中を見てみる――最新のスマートフォンが半額で手に入ります、もっとお安いプランがあります。とてもお得だった。朝に電話をかけてくれた彼のことを思い出した。彼らはどうしても僕やあなたに得をさせたい。手紙を出し、電話をかけ、路上でビラを配り、得をさせたい。損をさせたいのではないのだよな。考えてみると、それはずいぶんかわいいことだ。DMを右に振り分けた。
懐かしい手紙や、僕が新人だったころの仕事の資料、貰い物のステッカーは左に分けた。
部屋の隅で疲れた牛みたいに眠っていたシュレッダーを引っ張り出す。うっすらとほこりを被っていたので重曹ウェットティッシュできれいにしたあと電源を入れる。右に振り分けておいた紙類を細長い口に入れると、臆病なモルモットみたいにぶるぶる震えて書類を食べつくした。住所氏名の記されていない紙はゴミ袋にそのまま入れた。時刻は正午を回っていて、Blackbirdはもう40回ほど流れていた。残りの書類は後日整理することにして、買い物に出かけることにした。肌が綺麗になるという泥のパックが欲しいのだ。それからタヒさんの新刊も欲しいし、僕専用のスワンボートも欲しい。コナンくんが乗っているスケボーも欲しいし、家庭用の宇宙船、知恵や勇気なども欲しい。欲しいものはたくさんあるけれど、とりあえず今は泥のパックを買うと決めている。
マックのスマイルが0円であることは周知の事実だけれども、それは0円だけれどもたしかに売り物(サービス)のひとつだから、だから考えたんだけれど、もしあえてスマイルを注文するなら、おそらくなんらかの対価が発生するはずだった。それはお金以外の対価でなければならないから、つまりスマイルを購入するとき、僕自身もスマイルなどを支払わなければ、対等な取引とは言えないのではないかと考えた。でなければスマイルが尽きると思う。
エッグチーズバーガーセットを食べました。ハンバーガーは普通に美味しく、普通は最強だった。
ドラッグストアで泥のパックを探したけれど、案外売ってないことを知った。前もってネットで調べていた商品がないどころか、そもそもフェイシャルな美容泥パックが全然なかった。大きなお店でなければ置いていないのだろうか。2店目でようやく一商品だけみつけ、レジに向かうとおばあさまがレジの店員さんに向かって怒鳴っていた。いつになったらマスクが入ってくるの! どこにも全然ないじゃない! 店員さんは一生懸命謝っていた。自分とは関係のない同業他社に在庫がないことも、買い占めを行っている人がいることも、ウイルスが蔓延してしまったことも、すべてを受け止めて笑顔を崩さずに謝っていた。簡単にできることではない。とてもすごいことだった。
僕はテレビをあまり見ないけれど、きっとニュースやワイドショーでは、マスクが無いということを煽っているんだろうなあと思った。それで不安に思った人達が買いに行くと、実際にマスクがなくて、怒っちゃうんだろうなあ。マスクはつけてても感染はすると思うのだけれど、つけていないと白い目で見られるのだろうし、つけたくてもつけられない状況もあるみたいだ。新コロに関しては比較的症状の軽い人が多いらしいので、僕はかかっても治るだろうと、何の根拠もなく楽観視している。
そういえばティッシュが無くなるというデマが広がって、それを真に受けた人達が100円ショップやドラッグストア、スーパーのティッシュをたくさん買い、本当にティッシュがなくなっているけど、なんというのだろう、その光景はとても奇妙な感じだった。嘘が本当になった感じだった。人間を絶滅させるのは不安という気持ちかもしれない。
帰宅して、いつものように読書をしながらお風呂に入った。今日読んでいたのは文學界の3月号だった。やはり文章が固いことが多いので、ゆっくりとしか進まないけれど、つるはしで岩盤を削っていくみたいに読み続けるのももちろん面白い読書の形だ。1時間ほど熱湯読書をしていたら吐き気がしてきて、立ち上がった瞬間、信じられないくらい心臓が痛くなって、ああ死ぬんだと思って笑ってしまった。浴室に座り込んで冷たいSHOWERをがんがん浴びて体を冷やしていると、この間見た怖い映画を思い出してしまって、だんだんおそろしくなってきたので急いでお風呂を出た。怖い映画は見ているときよりも、見終わって思い出した時のほうがこわい。
リビングで泥パックを顔に塗った。しばらく待つとパックが固まってきて肌がつっぱる。泥の表面はやわらかいゴムみたいになる。鏡の前で固まったパックを剥がそうとするんだけど、これが途中で千切れたり、うまくめくれなかったりして、果てしなく見苦しいことになった。録画して友人に送ろうかと思ったくらい見苦しい。剥がし終えたあとも、千切れたものが顔中に点在しており、つめでひっかいても取れないので、このまま明日まで放置してやろうかとも思ったけれど、おとなしく水で洗い流した。肌がワントーン明るくなる! との噂だったけれど、効果はよくわからなかった。なんとなくつるつるになったような気がしないでもない程度だった。続けていればそのうちワントーン明るくなるのだろうか。そもそもワントーン明るくなるという状態が、どういう状態なのかよくわからないけれど、ワントーン暗くなるよりよいだろうと思い、続けることとする。
部屋着に着替えてベッドに横になりながらプライムビデオでナビゲーターという映画を見た。監督はランドル・クレイザー。1986年公開だから、34年も前のだった。映像自体からたしかに古さを感じるけれど、タクシードライバーほど古いような感じもしない。けれど作風がSFだからか、科学技術の作り込みのあっさりした部分(NASAの研究所とか、お手伝いロボットとか)に古さを感じてこれがよい。そうして考えるとタクシードライバーはなんとなく僕は90年代っぽい空気の感じがしている。逆にバッファロー66なんかは映像がじゃみじゃみしていれば本物のアメリカン・ニューシネマみたいに見えるんだろうなあと思う。
そういえばこのあいだ1939年公開のオズの魔法使いを見ていて、カラー映画だったことにすごく驚いた。調べてみると当時も珍しかったみたいで、カラーになる瞬間のうれしさがすごい。演出としても面白かった。監督もたぶん、カラーになる瞬間がすごくうれしかったのではないかと思う。ほら色がつくんだよ! って、不思議な世界に素敵な色をぎっちり用意してくれて。
ドロシーとかかしが会話するシーンがある。かかしは英語でスケアクロウというんだけれど、Scareは怖がらせる、おびえさせるという意味で、Crowはカラスを意味している。それをそのまま組み合わせてスケアクロウ、カラスを怖がらせる者、かかし、ということなんだと映画を見ていてはじめて気がついた。とてもゆかいだ。
「ぼくのことScareじゃない?」みたいなセリフをかかしが言った時のなんとも言えないあたたかな気持ちよ。勇気の無いライオンもかわいい。Lion Heartは勇敢な心という意味だものな。ドロシーの願いは家に帰ることだけど、ただ帰るだけでは意味がなくて、彼女の犬を守らなくてはならない。普通の生活は普通に最高だった。
映画を見ながら横になっていたのがそもそもの間違いだったのだけれど、気がつけば僕は眠っていた。深夜になっていて、パソコンは真っ暗だった。
なんとなくスマートフォンをみるとメッセージが2件来ていて、1件は母からで、マスクを大量に送りましたとのこと。故郷では余っているのだろう。お礼を返したらサングラスをかけた黄色い丸顔の絵文字が送られてきた。まったく意味がわからなかったけれど、意味などは特に必要無いときもある。
もう一件は知り合いからで、音楽を制作してほしいとのことだった。僕は音楽などは作れないので断ろうと思ったけれど、熱心にお願いされたのでGarageBandというアプリをダウンロードして使い方を学んでいるうちに面白くなってきてぴこぴこさせているうちにしょうもない音楽が出来たので知人に送ると「すごい良い! でももっとちゃんとしたのが欲しい」と言われ、困惑する。どういうのを求めているのか聞いてみると、ポプテピピックのOPみたいな曲がいいのだという。とてもむずかしいことなので、まずよいパソコンとよい音楽制作ソフトが必要だし、その他にもよい楽器とよい音源ソフトと広いスタジオとボーカルとが必要だし、なにより時間と才能とがなければいけないし、その上でどんなに頑張ってもいい曲なんて一曲もできないかもしれないので、プロに頼んだほうがいいと言ったのだけれど、全く話が通じず、「ししみならできる!」と言うので、そうか、僕ならできるんだと思った。意味のないこと、無駄な抵抗、悪あがき、そういうのが好きだった。