減らす
部屋の模様替えを行い、うたたねをするようになる。
うたたねの効果は折り紙つきで、そういえば今日は勤務中に隣に座った小河原さんと会話をした。
その時に食べていたバレンタインデーのチョコレートは、どこかの会社の総務の方が、ポストイットにメッセージを書いてくれて、どなたでも食べて良いことになっていた。
チョコレートはフランス産で、かわいい包み紙がついていたので、剥いた後の紙を四角に折り畳んで小河原さんの目の前にそっ……と置く、という遊びをしていて、ふと思いついたのだけれど『折り紙』を私は作ることができないのではないだろうか。
もしアラビアの商人なら折り紙を折れないことに疑問の余地は無いけれど、日本人の成人を過ぎたよいおとな、が折り紙を折れないというのはいささか問題なのではないかと発見し、早速グーグルで鶴を検索すると。
モニタにいっぱいの鶴の設計図が表示され、正方形に切ったメモ紙をくちゃくちゃに折ったり広げたりしているうちに、30分ほどかかっただろうか。
自らの不器用さに呆れるばかりではあるが、完成した鶴の紙模型は、羽を広げて正面にぴしりと嘴を突き立てている。
小学生ぶりにこしらえた鶴は、良い出来である。
小河原さんの目の前にそっ……と鶴を着地させたら「もういいですか?」と聞かれ、
結局は折り畳んだ包み紙と共に鶴はシュレッダーへと吸い込まれていく。
鶴はシュレッダーの中で元の名もない紙へ還元される。
「なんてことを……小河原さん、鶴殺し!」
「業務中に鶴が置いてあるとね、不都合じゃないですか。チョコレートの包み紙も」
おとなはわかってくれない。
模様替えをしたために、自宅の机の周辺がすっきりしたのだけれど依然として物が多い。配線が多い。ぼうっと雑然を眺めているとむくむくと不要物をすっきりさせたいという欲が湧き上がり、ノートパソコンに接続していた23インチのモニタを取り外した。
使っていないデスクトップパソコンを取り外した。
リアルフォースを取り外した。
USBハブにわしゃわしゃ刺さっていたよくわからないケーブルをむしり取った。
外部スピーカーを取り外した。
最低限の物があればそれでよいのだなあと思った。最低限、書く道具さえあれば。快適で無くてもよくて、むしろ快適さは自由を増やしてしまう。自由を増やすとチュートリアルが長くなる。説明書も分厚くなる。よりたくさんの自由には、よりたくさんの制約がつく。
最低限の自由があればよくて、その最低限のルールはむしろ快適なのでは?
不必要なものをバックパックに詰めて姉の家に向かい「これは全部あげます」と言った。
「こんな大層な機械をどうして?」と聞かれる。「何か嫌なことでも?」
説明がとても困難だった。私は言葉が不自由な体質だ。そもそもが地蔵として進化してしまった猿の一味だ。
「部屋の模様替えをしたら何もいらないってことに気がついたのだよね」
それから姉の家のもうひとりの姉がくれるならあたしの机にセットアップしてゆきなさい。
とクエストを発注するのでモニタ、スピーカー、キーボードを装着してあげるなどして善性ポイントが少し上昇した。
「画面がおっきくなった! すごーい」と喜んでいた。私はうなずいた。
帰宅しながらすっきりした気分だった。
色々な物を減らした。それは気にかけるものを減らすということでもあるのだった。
帰宅してすっからかんになった机の上は前よりもよほど眺めがいい。
気分がよくなったのでKen IshiiのFrame Outを聞きながらベッドに横になると不思議な夢をたくさん見た。
夢から目が覚める時いつも夢なのか現実なのかわからなくて少し不安だ。
しかし不安のうちに素早くスマートフォンの電子書籍リーダーを立ち上げて文章を頭に流し込むだけである程度の意味のない不安は消え去るということを経験的に学んでいた。
今読んでいる本は岡本太郎さんの『今日の芸術』
パンクロックと落語と芸術にはある種の共通点があるように私には思えるのだ。
それはクラシックや歌舞伎やスポーツが持っている共通点と反対のものだ。
でもそれがなんなのかうまく言葉にできないので、とりあえずすっきりした机の片隅に牛とだるまの置物をおいて、やわらかいぬので磨いた。