僕がミュージカルだったらの日記
今日も天気は晴れ。陽射しがぽかぽかしていて春の足音近し。
もし僕がミュージカルだったらかばんを振り回して躍っているね。
中華料理店の隣に居を構える白犬は、住まいの隣で渦を巻いて寝ていた。
昨日よりも確実に人々は薄着になっている。その適応力は、東京の人々を俳優のように思わせる。
明るい時には薄い服を着て、雨の日には黒い傘をさして。
駅のホームに団子のような鳩がいた。
まんまるに羽を膨らませ、首を縮めて目をぎゅっと閉じている。
二本の足を慎ましく地面につけて、微動だにしない。
とてもやわらかそうなのに、気配はとても固い。
団子鳩の近くのベンチには枯れ木のようなおじいさんが座っていた。
おじいさんも団子鳩とおなじような格好をして、やはりびくともしなかった。
とてもお似合いなのだ。関係性は皆無でも、存在は近接しているから。
鳩は老人性を帯び、老人は鳩性を帯びている。
おじいさんが鳩の顔になっていてもいいなと思った。
複数の人間が会話だけをコミュニケーションの道具にして仕事をするのは難しい。
内線電話をかける社内の人間で、顔を見たことがない人が20人くらいいて、ほとんどフィクションの人達みたいなのだけれど、それは僕も同様なのだろう。
僕が何を考えているのかわからないから、僕がどういう行動をするのかわからない。
だから行き違いが起こるのは当然の結末で、
「ビタミン科の人が新しいドライブの赤い野菜というフォルダにあるカロチンの資料を更新したって、さっき聞いたんですけど知っていますか?」
と僕は内線電話に語りかける。すると顔を見たことがない相手は、
「ああカロチン、知ってますよ。でもそれ10日前くらいにベジタブル科の人に聞いたんですけどね」
「じゃあずっと前からカロチンの成分って決まってたんですか? 最新のやつに合わせて作業していいですか?」
「確認するから少し待ってて」
電話を切ってぼうっとしているとすぐに電話がきて、
「その今格納されているカロチンの資料、一ヶ月前のコピーだって」
という本当に意味のわからない結末が訪れ、僕は面白くなってワハハと笑ってしまった。
毎日大体こんなふうなのに、会社ってよくこれで大丈夫だなあって思う。
電車で帰る時、すぐ近くに立っている女の人が、男の人に向かって言った。
「あのね、人に質問された時、とにかく何か喋らなきゃって思っている人、多すぎないかな。そういう人に質問すると、ものすごくたくさん説明してくれるんだけど、大切なことは何一つわからないままなんだよね。結局、聞いたわたしも面倒になっちゃって、はいって答えて終わらせちゃうの」
とても内容に共感したのでばっちり覚えてしまった言葉だった。
本当にそうなのだ。本当にそう!
イヤホンをしてスポティファイで新しい音楽を聞きながら暗い窓の外を眺めた。
電車の走行音が遮断されて、人の声も聞こえなくなると、少しだけ体が浮かんでいるような感じになった。
それは現実から少しだけ切り離されたからだ。
僕がミュージカルならドアが開いた瞬間、両膝でスライディングをしてホームに出ている。