かしこさ

 電車の中に犬がいた。
 ラブラドールレトリバーで、青い雨合羽を着ていた。
 犬は人間たちの足元で伏せていた。
 しっぽがぴんと伸びたままになっていた。
 ドアが開き、人間たちの何人かが電車を降りた。
 犬は一度立ち上がり、再び伏せた。
 乗客の何人かは犬をちらりと見た。
 立っている人間たちがいなくなると、犬がよく見えるようになった。
 伏せたままの犬は、伸ばした左足をしきりに舐めていた。
 自分の左足の毛並み以外にはなんの興味もなさそうに見えた。
 かしこい犬なのだ。とてもかしこい。
 犬の雨合羽には赤いリードが繋がれていた。
 シートベルトのような幅の広いリードだった。
 とある駅で、犬は再び立ち上がった。
 ドアが開くと、犬は人間と共にホームへ降りて行った。
 決して吠えなかった。
 甘えた声すら出さなかった。
 彼は自分が何をすべきなのか、とてもよく分かっていた。