暗闇の窓から

 みずいろのガウンを着て過ごしている。立った毛のあたたかなガウンで、着る毛布だった。ふかふかに包まれていることは寒くないために気持ちの良いことで、例えばフローリングの上で気を失って倒れても、ふかふかが衝撃を吸収し、ふかふかが体温を保温する。救命性を着ている。衣食住のうち衣と住をカバーする着る毛布のすばらしい新春汎用性。かっこうつけたい時には着る毛布の裾をひるがえす。ひるがえして颯爽とトイレに行ったりできる。旅人のマントのようで気に入っていた。
 みずいろのガウンを羽織ったことと関係なく窓の外は晴れている。気持ちよく晴れている。ベランダに続くガラス戸の前に椅子を置いて陽の光を頭から爪先までざぶざぶ浴びている。着る毛布自体が発熱しているようにあたたかく、脳内睡眠物質ネムタミンが生成されたいそうまぶたが重い。ヘビーまぶたの隙間から小説を眺めている。紙の本の小説を冬の真昼のあたたかな陽光の下で読んでいる時、植物のよろこびみたいな気持ちになる。単純に陽光が生命に対して友好的で有効だった。日照時間とセロトニン分泌量について、季節性の鬱について、陽の光をざぶざぶ浴びることの実利的な側面、等々が頭の中を新幹線のように通り過ぎて消える。窓際の椅子の上でまどろみながら新春日向ぼっこスペシャルであったまりな。強い陽の光を浴びて手の中の本は宝物のように白くかがやいていた。その光景はとても見るにあたいする。
 新春洗濯スペシャルを行いながらリビングに移動して小説を読んでいるとき、外に出なくてはもったいないのではないかとオラクルが感ぜられ、耳元で小賢しいけれど短絡的な妖精が何事かを囁いていた。「目覚めよ、家を出よ」と、そういうことを申している。季節柄家に居続けることはおそらく普通であると認識しているけれど、社会の要請とは文脈を異にしているメンタルの恒常性、あるいは前述の日照時間関連のフィジカル的要請を伝える妖精であると思われた。機を見て自宅を脱出することに決め、ひとりでブレイクダンスでもしているかのような洗濯機が落ち着きを取り戻すまで尋常の休日として時を消費する。
 洗濯物を干物にしたあと、すっかり日の落ちた外界へ出た。薄紫の色の空。まるで人の消えたような静かな静かな住宅街。街路で立ち話をしている犬の群れと、リードを両手にわんさかぶらさげている主婦の方々、クラクションも怒鳴り声もカラスの声も聞こえない町並みがきれいだった。分厚いシベリア用のジャケットのジッパーを首の上までぎっちり閉めて、足早に歩みをすすめる。住宅街を抜け、浄水場横の並木を抜け、石造りの階段を登りきっていつもの土手に出ると、河川敷の野球場が煌々とライトを灯してダイヤモンドが白々と、はっきりと照らされて何かの準備が整っていた。歩きながら本を読んでいるけれど、文字がブレ、またブレ、視認性が著しく劣るので、フォントのサイズを大きくした。夜空にはちょんちょんちょんと星がまたたいた。
 帰宅して機械のスイッチを押すと暗闇の中に窓が現れる。どこかへ繋がっている窓だ。その仕組は分からなくても、もこ田めめめを、そしてTHX1138を、嵐のMonsterのMVを見られて、なんだかわからないけれど、ほんの200年くらい前は江戸時代だったなんて、にわかに信じがたいわい。