『スカイホープ 最後の飛行』の謎を解く

 ある年末の茫漠とした昼下がり、よい気分で豆大福の写真を撮り「愚生のじんせいは10年前に終わったのだ」と呟きながらカレーライスを食べ、芥川賞について調べようとしたその時、知人A氏からラインにメッセージが届いた。これから得も言われぬ面白いゲームをするのでうちに遊びにこないか、どうせ君は「我輩のじんせいは15年前に終わったのだ」等と非建設的なことを考えて時間を無駄にして内省的無限回廊を彷徨っているのだろう、曲がり角を右に曲がり続けているのだろう、つまり暇だろう、と知人A氏は述べる。暇かどうかと問われると、主観的には別段暇ではないのだが、客観的に考えるとおそらく暇なのだろうと思われ、ということは世界的には暇なのだろうと思われたので、潔く暇を認め、自認し、暇である自分に誇りを持って生きようと決意し、口車に乗る形でA氏宅に遊びに行くことにした。ポケットに20年前の思い出を入れて……。

 

 A氏宅にはB氏もおり、そこにSSM氏が加わり、見慣れた知人宅のリビングは想像を絶する怠惰の集合体に進化を遂げた。A氏は真冬だというのにすててことTシャツを着て床に寝転がって「うしおととら」を読んでおり、寒がりのB氏は室内だというのに分厚い毛皮のコートを着てロシアみたいな帽子を被って部屋の隅にチンと座ってワンダースワンをしていて、SSM氏こと愚生は10年かかっても解けそうにない知恵の輪を指の熱であたためていた。みな思い思いの内的世界に没入しコミュニケイションの気配もなく、まるで刑務所の雑居房のようであったのだが、何か思うところがあったのかA氏が敢然と立ち上がり「さあゲームをするぞ」とゆって机の上から何やら箱を持ってきてリビングの床にドンと置いた。物音に敏感な愚生は床に置かれたものに近づき、一体A氏が何を置いたのか確かめようと思った。B氏はお尻歩きで徐々に接近してくる。

 床に置かれたものの正体は、得も言われぬ面白いゲームこと「スカイホープ」であった。

 

 

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 A氏がつらつら述べるには、スカイホープというゲームは三人で読む推理小説であり、謎解きゲームであるらしい。箱の中には三人のキャラクターの小説が入っていて、それぞれのキャラクターの物語が展開するのだが、三人とも物語世界を共有していて、それぞれの視点から情報を集めなければ謎が解けない仕組みになっているのだ、とのこと。説明を聞いただけでほのかに面白そうだし、なんだか知的ですらある。こういったパーティーゲーム的な遊びは人生ゲームしかやったことがなかった愚生は、上手くできるか不安になり、もじもじしそうになったが、もじもじしていても気持ちが悪いだけなので、いっそ自信満々の風を装って、推理小説はよく読むからね愚生ね、名探偵なのだからね、と虚勢を張ってみると、A氏が「俺は小説のことはわからんよ!」と言って太鼓腹をひとつポーンと打った。ひどく陽気である。B氏はさきほどから箱のイラストをつぶさに眺めており、もうすでに推理モードに入ってしまっているようだ。真剣な眼差しで「難題だぞこれは!」と小声で呟くなどしているが、ゲームはまだ全然はじまってもいなかった。

 

 A氏は箱の中から小冊子を三冊取り出してB氏とSSM氏に配った。それからチョコパイをB氏とSSM氏に配った。この美味しそうなチョコパイは一体なんなのだ、と愚生が問うた。お腹が減ったら食べるんだそれは、とA氏は言った。愚生とB氏はうなずいた。そして事件は幕を開けた。

 

渡された小冊子にはキャラクター1人分のシナリオが書いてある。愚生が渡されたのは刑事のシナリオだった。作中ではなんだかあやしい描写がところどころに顔を出す。違和感を見逃さないように注意深く読むと、薄い本でもまあまあ時間がかかった。3人とも読み終わったらスマートフォンで特設サイトにアクセスする。特設サイトに解くべき謎が提示される仕組みになっている。ハイテクなものだなあと思った。パーティーゲーム的なものは人生ゲームしかやったことがない愚生には、推理小説を読み合わせるという発想も、アナログとデジタルが使い分けられてゲームに組み込まれることも、驚くべきことである。

 

 提示された謎に対して、A氏B氏SSM氏は話し合う。A氏はトイレに入ったか? いやその時間は別な場所にいたからトイレにはB氏がいるんじゃないか? 僕のとこでは騒ぎが起こっていたからトイレには行ってない。では誰がトイレに行ったのだ。誰もトイレに行ってない、難題だぞこれは! トイレに誰かいなきゃ駄目なのか? それはわからないけれども、愚生が気になったのだ。じゃあトイレには誰もいかなくていいんだ! 待って、僕がトイレに行ってたようだ。よし、一度チョコパイを食べよう。ああ、それが最善手だ。チョコパイは美味しい、Q.E.D

 みんなで頭をひねる。検討する。問題点を明確にする。時には特設サイトのヒントを見て、再び考えてみる。それぞれのシナリオから有益な情報を引き出すためにコミュニケイションをする。コミュニケイションが前提になっているゲームだから、とても自然に話し合う。ひとりひとりに役割があり、不必要なひとは一人もいない。謎が全て解けたら、面白かったなあと言い合い、チョコパイを食べる。つまりすばらしいゲームである。

 

「愚生のじんせいは10年前に終わったのだ」と呟いていた自分が、帰り道ではもう他人である。スカイホープの謎が解けたのは、あの場所に三人集まったからであり、ひとりでも欠ければゲーム自体が成立しなかったのだ。そのことを誇りにして生きていこうと決意して、新しい思い出をポケットに詰め込んだ。