弱さ

 職業的側面の成り行きによって愚生とY氏は年末大トリ仕事納めの仕事場管理を仰せつかった折、双方共に尋常の勤務態度とたがわず寡黙及び慎重を期して対応及び処理を進行する静謐及び敬虔な職業人たる時間の最中の心境、それはある種の祈りを帯びていた。曰く、準備不足の無いこと。曰く、突発的なアクシデントの無いこと。曰く、安らかに越年したいこと。どれもこれもささやかな祈りである。しかし、どうして祈らずにいられようか。事故は起きる時には起きるのだと、愚生共は長い年月を経て学んでしまっていたのです。
 綱渡りのような手順をひとつびとつ丁寧に、あるいは執拗な確認を交えて来たるべき終結に向かって進んでいた。罠の張り巡らされた鬱蒼と茂る毒花の群生地帯を怯えながら前進した。彼方に見えるごくわずかな光の筋を目印に、自らを鼓舞して大地を踏みしめる。そうして目の前までゴールが迫った時、つまり夜勤明けの朝8時10分前。愚生のくるぶしをトラバサミが噛みました。他部署の準備不足が愚生共の張り巡らせた警戒レーダーにかかったのです。そうなると担当者に電話確認をしなければならず、早朝8時に着信音によって叩き起こされる休日の担当者は、魔獣になっちまいます。我の眠りを妨げる者に死を、とおっかない声で言うのです。たちまち愚生は震え上がり、平身低頭してなんとか許して頂きます。眠たげな神よ、どうか怒りを鎮め、ほんのちょっこしでよいので確認してもらえないですか、これおそらく平気なやつですしこっちで対応してもいいんですけど愚生の一存で対応しちゃうと問題なのでゴーサインだけ頂けたらやるので確認だけでいいんで、と柔道の寝技の掛け合いみたいな会話をしなくてはいけない組織というものの途方もない面倒臭さを何度でも再認識している。
 責任の所在や証拠画像等の生贄を求める荒ぶる神は、ふにゃふにゃの答えに業を煮やして「部下に確認させますから会社に残っててください」と言い残して電話を切る。ほどなくして現場担当者から連絡があり、曰く「それ大丈夫なやつです」と、たったの一言で問題は解決する。話が分かっている現場はいつでもすばらしく優しい。「お休みのところすみません、本当にありがとうございます」というお礼の言葉も自然と湧いて出る。「いえこちらこそすみませんでした」という言葉の背景にある時間の足りなさも人手の足りなさも、ごめんねという気持ちも、自分は悪くないのに謝らなければならなかった数々の記憶も、愚生の記憶から推測することによって理解できる。彼は人間なのだ。
 電話を切って一息ついた時、Y氏が言った。
「ししみさん、ずいぶん謝ってたけど、こっちがミスしたわけじゃないんだから、悪いのは向こうなんでしょう?」
 自分が悪いって決まってないなら、謝らない方がいいよ。

 高校生の頃、冬になると隣の家の駐車場を雪かきした。
 隣家の住人はおばあちゃんだったから、母が気を遣って愚生に命じたのであった。
 愚生が雪かきをしていると、おばあちゃんが家から出てきて、ありがとうとにこやかに言う。
 そのあとで急に真顔になり「あんたはもっとずるくなりなさい」と言った。

 やさしさのマントはばかには見えない。
 けれどそれが見える人は、今すぐ脱げと言う。
 それはやさしさではなくただの弱さだと言う。
 Y氏もおばあちゃんも、愚生のためを思って言葉をくれたのだろう、とありがたく思うが、弱さもやさしさも、いささか卑怯な武器になり得ると考えないのだろうか、と考える愚生は、全然これっぽっちも弱くはないような気がするのだけれど、おそらく正しいやさしさの持ち主から、やはり口を突いて言葉が出るくらいには、僕はみすぼらしかったのだろう。