劇場版すみっコぐらし

 のけものにせものかわりもの。かわいいアウトサイダー達の心を癒やす小さな隅っこの世界。メインストリームにいられなかった彼らだからこそ面白いキャラクターになってしまうのは自明だったかもしれない。すみっコ達は隅に固まってはいるけれど、そこでじめじめしているわけではなかった。タピオカの残ったやつも、ホコリも、雑草もよく笑っている。小さな世界が彼らを慰めたからこそ笑っていられるのか、仲間がいるということが心を支えているのか、それはわからないけれど彼らは群れとして強いわけではなく個が個として尊重されているからこそのびのびしていられるんだと思う。ある種族の中では変質的でも他種族にとっては案外気にならない性向というのがあるなら群れにこだわる必要がないのかもしれないなんてダイバーシティみたいなことなんだろうか、僕は頭が悪いから考えることしかできないけれど。でも彼らは少なくとも彼らの所属していた社会から脱出して新しい世界を手に入れた、その優しい世界は優しい世界がどこかにあるかもしれないという可能性を提示してくれるだけですこしうれしくて泣きそうになる。

 意味もなく可愛いキャラクターは、可愛さに無駄がない。すみっコたちが隅っこでタワー状になっていることがあり、あれは一体なんなのか、ひとりのうえにさらにもうひとり乗って、すみっコタワーが出来ている。それが何を意味しているのか、彼らの文化に疎いのではっきりしたことはわからないんだけれど、それは僕にとって意味もなく可愛いし、無駄もなく可愛い。そうか、そうか、君たちはそういうことをするんだな……。と思ってにこにこしてしまう。なぜだかわからないけれどそういうことをする、というのがまず新しさの感覚なんだと思う。つっつくと光るとか、暗闇に置いておくとゆらゆら揺れるとか、温度が下がると赤くなるとか、の文脈のままにすみっコがタワーになるのは愛らしい。

 すみっコ達は豆マスターの店でのんびりしていて、地下室から物音がしたのでみんなで見に行った。そこでみつけた一冊の絵本の力によって物語の世界に入ってしまうんだけれど、というお話を、大の男が泣いて見てしまった、という評判を聞いたので見に行ったんだけれど僕は泣いてしまった。僕は泣いてしまった。何が素晴らしかったか、やさしさがすばらしかった。やさしさをめざす力が。