ピュアな愛の気持ち悪いポエムにしかならない愛の性質

 自己啓発サークルにはまった子が砂を売っているの、と知人は言った。それはただの砂ではなく、よくわからない神様のパワーが込められた、ちからのある砂だという。そんなの馬鹿げていると思うわけ、と知人は言う。ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを一口飲み、それから言う。自己啓発なんて全部ウソだけど、わたしは、風水は信じてる。風水だけは絶対正しいの、と言って知人は笑った。

 以前僕は、このブログで同じようなことを書いたと思うけど、好きなものには少しだけ嫌いな部分があった方がよいと考えている。好きという気持ちや愛が、あまりに強い時、判断力を失って、物事の肯定的な面しか見えなくなることがあるから。卑近な例で申し訳ないけれど、パチンコで5万円分の玉が出ても、6万円投資していたら収支はマイナスになる。好きな気持ちが強すぎると、肯定的な面しか見えないから、負けていることに気が付かない。自分が気持ち悪くなっていることすら、分からない。

 好きなものがあることは、本当にすばらしいことだ。好きなものがない人生など考えられない。だから僕は、好きなものの嫌いな部分を分かっていたい。自分の頭が狂っていないか、すこし離れて見ていたい。嫌いな部分を分かった上で、それでも愛など止められないなら、身辺整理をして、言い訳をごみ箱に捨てよう。胸のすくような、気持ちの悪いやつになろう。