町と僕

 北国の片田舎に生まれました。

 本当に何もない小さな町でした。僕の生まれた家からは、海が見えました。海は夏になると青黒く波打ちました。綺麗なことは綺麗ですが、もっと恐ろしい感じがする海です。冬になると、空の色を映して重い灰色になりました。灰色の海は、人間の侵入を拒んでいるようでした。僕の友達のうちの漁船は、嵐の日に海に沈みました。離岸流に巻き込まれていなくなってしまった子どもたちの話を、大人たちはまことしやかに呟きました。僕たちは海を恐れました。

 

 海の反対側には、山がありました。

 夏の山は深い緑色で、濃密な生き物の気配がしました。蝉の声と蛙の声と鳥の声が、耳をつんざきます。たくさんの生き物が近くにいると分かるけれど、山には人間が一人もいませんから、驚くほど孤独です。杉林の暗闇には、得体の知れない怪物が潜んでいるような気がしました。森に迷い込んだら、二度と帰ってはこれないのだと思いました。大人たちは、ガスの穴に落ちて死んでしまった人のことを話しました。危険なダニに噛まれると、どんな噛み跡が出来るのかを話しました。僕たちは山を恐れました。

 

 海と山しかない町で、子どもたちが海と山を恐れると、どうなるでしょう? とても簡単なことですが、子どもたちは家で出来ることが好きになります。ということで、ゲームやマンガや小説が僕の一番の友だちでした。僕が住みたかった町はアリアハンです。ザナルカンドです。オネットです。くず鉄町です。ネオ東京です。死力を尽くして空想の羽を広げ、空想の町に住もうとしました。

 けれどどうやっても空想の町に住むことはできませんでした。これは僕の人生において、最大の悲劇でした。フィクションの世界に行けないことが悔しすぎて泣きました。退屈な現実に耐えきれなくて絶望しました。絶望するのにも飽きると、ベッドに座り込み、窓の外を眺めて過ごしました。窓の外には川沿いの土手と空が見えました。とても寂しい景色でした。その光景は、僕が死んだあともずっとそのままで、永遠に変わることがないように思われました。僕だけがただ歳をとって、この時の牢獄の中で、ちょっとずつ死んでいくような気がしました。

 

 でも、そんなのは僕の思い込みで、この世の中には永遠などというものは無かったのです。高校を卒業すると友達はみんなばらばらになり、進学をしたり就職をしたり、県外に出たりしました。僕は家庭の事情で引っ越しをすることになり、見知らぬ町の、他人の家に住むことになりました。そこは僕の住みたかった町ではなかったけれど、いい町でした。

 僕が住まわせてもらっていた家の方は、たくさんお酒を飲む人で、突然怒り出して大声を出したり、ドアについているガラスを叩き割ったり、階段から落ちて血を出して入院したり、母と喧嘩をしたりするようになりました。住めば都という言葉もありますが、住んでも地獄という場所もあるような気がします。僕は違う町に住みたくなりました。

 

 いつか母が言いました。

「あんたはこんなところに居てはいけない。あたしのことは気にしないで、やりたいことをやりなさい」

 僕は眠れなくなりました。その頃たくさん考え事をしました。どんな本を読んでも、僕がやりたいことが書いてある本はありませんでした。僕は僕の人生がどうでもよくなりました。どうでもよいからこそ、死んだつもりで色々やってやろうと思いました。やったことがないことでも、苦手なことでも、何でもやってやろうと思いました。見えない何かに追い詰められ、あたまがちょっぴりおかしくなっていたので、殺せるものなら殺してみろ! と正体不明の不安に対して挑むようなつもりでいました。そうでもなければ一歩も踏み出せませんでした。

 

 僕は茨城県の水戸の町に引っ越しました。住み込みでラーメンを作ることにしました。水戸市は、テレビで見たことがあるような大都会です。この町で素敵なことがたくさん起きるに違いないと思いました。おしゃれなカフェや、おしゃれなバーがあって、ゲーム屋さんだってマンションの近くにあるはずなのです。心が踊りました。でもそれは現実ではありませんでした。現実は朝5時起きの22時閉店で、毎日必ず24時まで反省会という名の飲み会があるという状況で、おしゃれなカフェにも行けませんでした。従業員の人達とも上手く馴染めず、1週間で仕事を辞めてしまいました。

 住み込みで働いていたので、仕事を辞めた僕には、帰る家がありませんでした。

 僕は愛知県に行くことにしました。

 

 愛知県の知多半島というところにある自動車工場に、住み込みで働くことになりました。工場の寮は山の近くにあって、毎朝バスで工場まで通います。工場の中には体に良くないチリが舞っているので、分厚いマスクをつけて、ヘルメットをつけて作業をします。機械に巻き込まれると死ぬと言われました。仕事はとても単純で、重い砂の塊を機械にセットするだけです。10分で覚えられる仕事ですが、半日も働くと握力が無くなります。握力がなくなると、砂の塊を上手くつかめなくなり、セットする時に砕いたりしてしまいます。1週間ほど経って、握力が赤ちゃんより弱くなったので仕事を辞めました。また家がなくなりました。

 僕は自分には何も出来ないのだなと思いました。何をやっても人並み以下なのだと知りました。寮から出るバスには乗れなかったので、水戸市まで歩き、新幹線に乗って東京に向かいました。東京には姉が住んでいました。

 

 はじめて東京駅に降り立った時、ついに東京にたどり着いたんだなあと思いました。僕のような無気力で不器用なやつでも、東京にたどり着くもんだなあと思いました。

 姉は西馬込に住んでいました。やはり僕には大都会に見えました。東京は、どこまでもずっと建物があります。僕の故郷で感じた深い孤独は、この町にはありませんでした。どこに居ても人の気配がするというのは、なんとなく安心することでした。

 姉の家には、姉の友人が住んでいましたので、三人での不思議な共同生活が始まりました。僕たちは三人でゲームを作って暮らしました。とても不安定な生活でしたけれど、少なくとも僕には家があり、家族がありました。

 東京の色々な町に遊びに行きました。池袋や渋谷や新宿は、テレビの世界そのものでした。秋葉原や神保町や上野は、それぞれ独特な雰囲気があって面白いし、大好きです。

 

 僕は今、東京の片隅の、おだやかな町に住んでいます。

 夏には花火大会もあって、時々駅前の広場でお祭りがあって、バンドが演奏したりもします。交通の便もよいし、カラオケもコンビニもゲオもケンタッキーも漫画喫茶も、なんでも歩いていける距離にあって、そのことが僕にはいまだに驚異に思われます。

 色々な町をふらふらとさまよってきて、そのことは当時の気持ちや状況と深く結びついていて、失敗ばかりでしたが、それでも良いことのように思っています。どんな町があるのか、それを知ることができたからです。

 僕が住みたい町というのは、たぶん、僕みたいな者を住むことを許してくれる街なんだろうなあと思います。それは、本当にしょうもない人生を送ってきた僕にとって、一番大切なことです。

 

 ところで、僕の町には、とても大きな川が流れています。それは故郷の町の川とよく似た、広い川なんです。大人になって、自然を恐れなくてもよくなった僕は、よく川に散歩に行きます。そこで、四季折々の自然を眺めて、ぼうっとして過ごします。

 そうして穏やかな時の移ろいに身を投じると、退屈な現実なんてひとつもなかったなって、そんな風に思ったりします。

 

 

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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by リクルート住まいカンパニー