かたちとたましい

 池袋の街を異質な衣装を纏った人々が歩き回っている。街角に立って話をしている。様々なキャラクターがおり世界観は混ざり合いそれぞれの物語解釈が表出する。いつもの町は姿を変えて別世界になる。ハロウィンの季節になってほんのわずかな期間だけ現実にはありえない存在の姿をしても誰も笑わなくなる。現実に存在を許されている僕は現実に存在を許されている僕のコスプレをして池袋に向かった。

 株式会社アップランドに所属している12人のバーチャルユーチューバー集団アイドル部。その中のひとりであるカルロピノさんが、池袋コスプレフェス内の企画のひとつ、ハレザ池袋にあるドワンゴイベントスペース「ハレスタ」のプレオープンに先駆けた生放送を現地で行うと知った時、今行かなければアイドル部のイベントには一生行けないんだろうなあと思い、ニコ生で中継されている池ハロの様子をスマートフォンで見ながらリビングを何分か歩き回った。それから覚悟を決めて流行遅れのサコッシュにお財布を入れた。サコッシュを肩にかけるといつもピクニックに行くような気分になった。サコッシュの中で家の鍵がちゃらちゃら鳴っている時、いつも天気は晴れていた。

 いつでもお祭りのような人混みのサンシャイン60通りは、いつにも増して喧騒が渦巻いている。アニメイトの前に差し掛かるとコスプレをしている人が随分多くなり、ほどなくして特設会場が見えてくる。首から一眼レフを下げたカメラマン達と、脳の情報処理能力を著しく低下させる見慣れぬ異世界の衣装の人たちでごった返している。巨大なラウドスピーカーからは太い低音のリズムが途切れること無く溢れ出して、現代の祭り囃子はDJがひとりで演奏するものらしい。20年後には盆踊りに取って代わったコスプレ祭りのアニメリミックスを懐かしく聴きながら誰も彼もがアバターにエモートを出力しているのかもしれない。インターネットではもう随分前からそういう事が行われている。

 ハレスタはガラス張りの狭い空間だった。奥の壁面は大きな液晶画面になっていて、カルロピノさんが立っていた。平面の姿をしていた。どこからともなく彼女の声が聞こえてきた。ヴァーチャルな彼女が笑うとヴァーチャルではない声もまた笑った。ヴァーチャルはヴァーチャルじゃないんだなと僕は思った。カルロピノさんは14歳の少女であり、人型をしている。そしてカルロピノさんはカルロピノさんのコスプレをしている。二次元の体を見ても人間には思われないけれど、三次元の声と、声にリンクした体の動きや表情のおかげで、やはり彼女が人間に見えるということが、僕にはとても複雑なことに思われた。

 カルロピノさんを見るために、たくさんの男性がハレスタの前に集って、拍手をし、声を上げ、イラストを用意し、スマートフォンで写真を撮り、笑い、応援をする。本物の肉体が無くても、人が人を好きになるのなんて当たり前だった。絵すらも必要でなく、声だけでももちろんよくて、でも本当は音声すらも必要なくて、文字だけだって十分だし、もっともっと考えたら、思い出だけだっていいんだな、もういなくたって、人を好きになるなんて。