床屋

 2,3年ぶりに床屋に行って冷や汗をかいた。

 年を経るごとに髪型というもんがどうでもよくなり、生えていればいいんだろうなと単純に考えることが増えてきた折、同僚が坊主になって現れ「坊主は楽でいいよ」と教えてくれたため、インターネットでバリカンを注文し風呂場に新聞紙を敷いてバリカンを駆動させた時、手に伝わる小動物のような震動がひどく恐ろしかったことを今になってふと思い出す。

 左手に鏡を持って浴槽の縁に鏡を置いて合わせ、不自由な態勢のまま超振動を続けているバリカンの刃先を前髪に突き刺した時のわずかな抵抗と違和感と大変な過ちを犯してしまったような不安とが、たしかに丸坊主初心者の気持ちだった。2,3年後には鏡すら使わず手触りと音の強弱だけで綺麗に髪を刈り取ることができるようになるんだけどそんなことは初心者にはわからないからバリカンと同様に自身も震えて運を天に任すつもりで腹を決めて頭の形にやみくもに刃を滑らす。全てが終わって鏡の前に立った時、いままでとは全然違う自分が立っていて、それは笑ってしまうような光景に違いあるまい。嬉しいような悲しいような情けないような心強いような、坊主っていう髪型のエモーショナルな側面を存分に味わってしまって、生まれ変わっているんだよな。それは本当に新しい自分だったし、何かを変えてみることって、髪型でも服でも職業でも家でも、きっと同じような現象が起きている。

 非坊主が坊主にすると言われる言葉は大抵同じで、以下に示す。
「何か悪いことしたの?」
「野球部みたい」
「やくざみたい」
「こわい」
 ある程度親しい人に何を言われても問題は無いけれど、他者からどのように見えているのかはやはり気になるし、気になったところで髪を取り戻すことはできないからあんまり評価を気にしても仕方ないことなんだけど、好むと好まざるとにかかわらず上記の言葉は与えられる。坊主という髪型は、そのシンプルな造形に反してたくさんの意味を持ちすぎている。大人が実践するにはあまり一般的ではない、という印象が人に言葉を与えるのだろう。あまり一般的ではない、とされているからホワイトカラーな職場では歓迎されないとされている。歓迎されないとされている職場で2,3年坊主をやってきた僕が考えるには、人は慣れる。うわっ、あの人坊主になってるという女性社員の遠巻きな視線に僕が慣れるし、彼女たちですら坊主の僕に慣れて見向きもしなくなる。人は慣れる。

 山頭火スタイルで生きてきたけれど、そろそろまともになろうかなと冗談交じりに考えて髪を伸ばしはじめたのが一ヶ月前で、同僚からも「だいぶ髪伸びたね」と言われるようになってから耳にかかる髪が気になって仕方なくなってくる。この間までまるぼうずだったのにビートルズみたいな髪型になってきている。床屋に行こうかなと考えた。
 月曜日が休みの日は映画館に行くことにしていて、そのついでに床屋に入った。カットが1800円の、美容室みたいな雰囲気の普通の床屋だった。受付の用紙に自分の名前を書いて椅子に座って順番を待つ、ということがじれったくてもじもじしてしまう。そもそも子供の頃から床屋が苦手だったけれど、坊主期間中はDIYしていたから床屋の雰囲気をすっかり失念していた。そういえば僕は床屋が苦手だったな、と改めて椅子の上で暗い気持ちになりもする。何が苦手かって鏡に自分の顔が映っているのがすごく嫌だ。僕は自分の顔を鏡で見るたびに妙な顔だなあと思ってしまう。
 空席に座って己と対面していると美容師さんが来て例の言葉を放つ。
「今日はどういう感じにしますか」
 この種類の質問にはあらかじめ解答を用意しておかなければならず、そのことも苦痛を増長させる一因であり、どのようにオーダーすれば未来予想図が伝わるのか、言葉で説明するのは至難の技なので、できれば図入りの書面でやり取りしたいのだけれど、そんなことをしなくてもお客さんはそれぞれ満足したり不満足したり、案外曖昧なままで続いている散髪文化って考えてみると面白い。
ツーブロックにしてください」
 当初から予定していた爽やかさと快適さを兼ね備えていそうな髪型を述べてからの丁々発止のやり取りは割愛して、完成した髪型を、美容師さんが折りたたみ式の大きな鏡を持って背後に立ち後頭部までしっかり確認させてくれるのだけれど、サイドの刈り上げがかなり上の方まで攻め上げており、頭頂付近の長い髪は左右で微妙に長さが違うというアシンメトリー構造になっていて、坊主のちょっとした反社会的側面など気にならないくらい奇抜な髪型になっていた。
「どうですか?」と美容師さんが問う。
「いいですね」と僕は答える。
 答えながら僕は冷や汗が流れるのを感じている。このアシメツーブロックのかっこいい髪型の人は誰だ。まともに鏡が見られない。この髪型でスーツを着て通勤電車に乗ったらすごく浮いてしまうのではないだろうか。軽薄なアーティストくずれみたいな髪型だ。これは誰だ。お金を払って逃げるようにして床屋を後にした。
 この世の中の何事も予想通りにはいかないものであるが、予想通りにいかないから面白いのであって、せっかくなので奇抜な髪型のまま出勤し、周囲を驚かせようと思う。その驚きだって1週間もすれば人は慣れるってことを僕はもう知っている。上司に叱られたらまた坊主に戻ればいい。坊主は僕にとって罰ではない。髪型はどうでもよくなってきていたから、かっこいい髪型だって本当はどうでもいいんだ。取り返しがつかないという不安を一度味わったら、失敗したという思いがどんどん少なくなる。こう考えることもできる。行動の数だけ自由になっていって、スキーで最初に習うのは転び方で、挑戦する時にはいつも新しい自分がそこに立っている。